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マスコミの報道で、市民からの抗議が殺到しているとのこと。
話題が話題だけだっただけに、ちょっと反応してしましました。
自分がこの阿久根市長の意見に嫌悪を感じたら、ここで取り上げることなどしません。
無視して、見なかったことにします。
公人たる方がブログ形式でないにしろ、WEB上で日記を公開していたら、その発言は公へ向けたものとして捉えられるし注目されるのは当然ですが、それでも「こんなに批判されることもないんじゃない?」と、私なりに感じたことを書いてみます。
きっかけはある新聞記事でした。
それがこちら。
阿久根市長、ブログで物議…障害者家族ら反発
(全文引用)
鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)が自身のブログ(日記形式のホームページ)に「高度医療が障害者を生き残らせている」などと、障害者の出生を否定するような独自の主張を展開している。
障害者団体は反発、市議会でも追及の動きが出るなど波紋が広がっている。
ブログは11月8日付。深刻化する医師不足への対応策として、勤務医の給料を引き上げるべきだとの議論に対し、「医者業界の金持ちが増えるだけのこと。医者を大量生産してしまえば問題は解決する。
そして、「高度な医療技術のおかげ」で機能障害を持ち、昔の医療環境であれば生存が難しい障害児を「生き残らせている」などと述べ、「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」と主張している。
知的障害者の家族でつくる「全日本手をつなぐ育成会」(本部・東京、約30万人)の大久保常明・常務理事は「人類繁栄のため、優れた子孫だけを残そうとするかつての優生思想そのもの。命の重さを踏みにじり、公人の意見とは思えない」と批判。
阿久根市身体障害者協会(約1050人)の桑原祐示会長も「差別意識も甚だしい」と反発、役員会で対応を協議し始めた。
同市議会の木下孝行市議も市長に説明と謝罪を求め、14日から始まる市議会一般質問で追及する。
竹原市長は取材に対し、「養護学校に勤めている人から聞いた情報をそのまま書いた。事実と思う。障害者を死なせろとかいう話ではない」と説明している。
(引用終了)
物々しいですね。この記事だけを読んだ時は「けしからん!」っと思ったけど、ソースが読売だけに、地位ある一市長がこんなこと言うのかしらん?っと思い、実際に市長のWEB日記を読んでみたら、全然怒りは感じ無かった。
過去の時代の「色んなこと」を考えただけ。
シャーマニズム。。。
問題の竹原阿久根市長のブログ記事はこちら
↓(引用開始)
医師不足が全国的な問題になっている。特に勤務医の不足は深刻だ。
医師が金儲けに走っている為だが、この体質を後押ししてきたのが医師会だった。
以下 池田信夫blogから引用
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f65bacae249f66488dc8bfc3e9fbe384
----------------------
かつて「医師過剰」の是正を繰り返し求めたのは日本医師会出身の議員だった。たとえば1993年に参議院文教委員会で、宮崎秀樹議員(当時)は
次は、大学の医学部、医科大学の学生定員の問題でございます。これに関しましてはいろいろ定員削減という方向で文部省と厚生省との話し合いができておりまして、一〇%削減、こういう目標を立ててやっているのですが、実際にはそこまでいっていない。[・・・]例えば昭和六十三年には十万対百六十四人だった。これが平成三十七年には三百人になるんです。三百人というのはいかにも医師の数が多過ぎる。
と医学部の定員削減を求めている。宮崎氏は日本医師会の副会長を歴任した。
----------引用おわり
勤務医師不足を解消する為に勤務医の給料を現在の1500万円程度から開業医(2500万円程度)に近づけるべきなどとの議論が出てきている。
しかしこんな事では問題は解決しない。医者業界の金持ちが増えるだけのこと。
医者を大量生産してしまえば問題は解決する。全ての医者に最高度の技術を求める必要はない。できてもいない。例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。
社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。
↑(引用終了)
まあ、随分はっきりと言う人だとは感じたけれど、不快感など無く、骨のある発言だと思いました。
もう少し誤解を招くような表現は見直した方がいいんじゃないかとか、言葉足らず過ぎなんじゃないかとは思ったけれど、記事全文を読んで、私は怒りを感じませんでした。
少々デリケートな件ですが、私なりに感想を書いてみます。(批判があれば、甘んじて受けます)
この発言が反感をかっているのは、前後の記述を無視して
「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果 擁護施設に行く子供が増えてしまった。」
この文言だけを切り取っているからだと思う。恣意的な臭いがします。
読売記事だけを読んでいたら、誰もが読後は不快感を残すでしょうね。。。
竹原市長は、某有名ブロクの記事を取り上げて、現在の慢性的な医師不足を嘆いていただけなんですよ。
特に産科医の人手不足は目を覆いたくなる現状ですので。
そこで、高度医療ではなくとも、昔ながらのお産婆さんを復活させればいいじゃないかとの提起とも取れる発言。
そして、物議を醸している発言に至りました。
けれど市長は最後にこう締めくくります。
「生まれる事は喜びで、死は忌むべき事」というのは間違いだ。個人的な欲でデタラメをするのはもっての外だが、センチメンタリズムで社会を作る責任を果たすことはできない。
社会は志を掲げ、意志を持って悲しみを引き受けなければならない。未来を作るために。
この一文はとても重要だと思います。
この文を除いて報道すれば、非難轟々でしょう。
私が思うに、高度医療によって昔は落としていたた命が拾われるようになったことは、素晴らしいことだと思う。
誰だって自分にとって大切な人には、何時までも生きていて欲しいというのが基本だから。
けれど反面、この高度医療ってヤツは、時には過度なことまで見通せるから嫌なのだ。
予期せぬことを知ってしまい、更に案件が思いの他重大なことを思い知らされ、殺生与奪の判断を当事者に任されるようになっちゃったから嫌なのだ。
私の場合、妊娠6ヶ月目で胎児に異常があると判明し、辛い決断をした事実があります。
・このまま産みますか?
・母子共に生存率50%の手術で良ければ受けますか?
・諦めますか?
こんなことなぜ知らせるのだろう?
知らなければ知らないままに産み落とし、後に重大な障害が判明しても誰も責めやしない。
弱々しい命なら、何も知らされずとも育たないだろう。
高度医療は人を助けもするけれど、判断を素人に任せて放逐する冷徹さも持つ。
知らされたことによって、迷いに迷った。
6ヶ月目に入った胎児は、私の体内で元気に泳いでいた。
金魚を掌ですくった時のような、ピチピチと暴れる感覚を胎を経て全身で感じていました。
何度も言う。
産みたかった、産みたかった、産みたかったっ!
高度医療の賜物たる情報など、何も知らされずに産んでいれば良かった。
こんな余計な情報は、一体何のためにあるんだろう。
検査結果を見て嘆いているところに、「貴方の選択をファイナルアンサーっ!」と問われ、自分で出した結論に未だに悶々とする私の苦悩は、高度医療の賜物なんだろうか。
上手く言えないけれど、胎児が男だとか女だとか、健康だとか異常だとか、そんな情報を知ることに何か意味があるんだろうか?
昔は到底知り得なかった胎児の情報を知ることは、そんなに重要なんだろうか。
女性が結婚したがらなくなったと言われる昨今、初婚の平均年齢は上がってます。
30歳半ばで結婚する女性も、今や珍しくありません。
けど、30過ぎて結婚した女は、言われるのだ。
「高齢出産になるから、羊水検査しなさい。」
羊水検査で、ダウン症児の発症率がある程度わかるらしい。(聞いた話)
その信憑性など知らないし、別に知りたくもない。
知りたいのは、「それを知ってどうするの?」ってこと。
健常者とは違う人を殊更に意識するくせに、体面としては「障害者を貶めるとは何事であるかっ!」って持論の正義とやらを振りかざして怒りまくる人こそ、こういう言い方は極力したくないけれど、「甘い」と思う。
ちょっと長くなりそうなので、持ち越します。
この問題をぐっと砕いた形で表現すると、、、もちろん例えですよ(笑)。
名○屋市長の某氏が、日記の文中で「女は美人がいいね、愛想があるのがいいね、でも可愛いだけじゃなくて機転が効く、、、頭のいいのがいいね。醜女が幸せに生きてくには整形もありかもね。」
(注:名○屋市長の某氏は、もちろんこんなこと言ってませんので、誤解無きよう。例えですよ、例え!)
こんな発言を私的なWEB日記に記していたことを某記者がかぎつけて、前後の脈絡を無視した文言だけを記事にすれば、非難殺到だろう。
人を陥れるには揚げ足取りが一番だもん。
けど、その日記のほんの一部分だけにフォーカスした記者が、真っ先に私のところに来て
「某市長が、貴女のような方のことをこんな風に言ってますがどう思いますか?」
なんてマイクを向けてきたら、私の怒りは某市長ではなく間違いなく記者に向く(笑)。
当たり前じゃん。
「なんで真っ先に私のところに来るんだっ!」
ってこと。
記者自身がマイクを向けた先が、それこそ記者の偏見と差別そのものだと感じるから。
次回は、シャーマニズムと偏見、怒りの矛先の相違について書いてみます。
久しぶりに友人の解体女医と会い、互いの近況を報告し合いつつ、大いに盛り上がって帰ってきました。
話題に花咲く、とはこういうモンでしょうか。
解体女医とは10年来の友人ですが、その出会いというのも「何かの因果か?」と思われるほど偶然の連続でした。
皆様にとってはあまり興味が無いかもしれませんが、まぁ、こんな出会いもあるのかと、しばしご清聴ください(いや、すっとばしてくれても問題ないです・笑)
このブログでも時折登場する解体女医というのは、法医学をやってる女医のMこと。
出会いのきっかけは12年程前。
とある歴史関連のサイトで知り合い交流をしてきました。
個人的なやりとりをするうちに、「んんん?どうも同郷っぽい。」と思い、尋ねてみたら、、、同じでした。
でもでも、三河と言っても広いからー、、、なんて思ってたのに!
学生時代にアタシがバイトしていた喫茶店の隣りの靴屋さんで、ヤツはバイトしていた。
その靴屋さんのオーナーの息子は、なんと私の同級生。
ひゃーっ!ってなもんです。
だって、World Wide Wave の、いわばバーチャル的な空間で、同郷のヤツと出逢っちゃったんだから。
その後は不思議なニアミスの連続で、母とも仲良かったあるご婦人が営んでいた小さな雑貨屋さんがあって、買いたい物が無くてもよく出入りしてたお店のお向かいが、彼女の親戚の家だったとか、お互い両親が共働きだったので、幼児保育園に預けられていたんだけど、ソコも同じで。
申し合わせたわけでも無いのに、お互いに引っ越したら名古屋の地下鉄の隣り駅だったりとか。
偶然なのかもしれないけど、その偶然も連鎖的だと『何かの縁』なんて思っちゃうよね(笑)。
さて、彼女の職業の法医学。
名取裕子さんのドラマで少し有名にもなりましたが、その具体的な仕事内容についてはまだまだ世間の認知度は低いです。
12年友達をやってても、具体的なことを聞いたのは今日が初めてでしタ。
お医者さまと言っても、二通りあります。
一つは、生者の怪我や病気を治すお医者さま。
一つは、死者の死因を探すお医者さま。
友人Mは、後者の方。
新卒で採用されて15年。
治療に携わるのでなく、ずっと死者にメスを入れてきたMは、そこいらにいる労働者と変わりはしないことは確かなんだけど、でもやっぱりそこいらに蔓延る軽薄な会社員・OLとは違う雰囲気がある。
Mが言うことにゃ、
「司法解剖を要する遺体の内、実際に検体出来るのは数パーセントなんだよね。」
とのこと。
うんうん、それはわかる。新聞でも時折言ってるもんね。
法医学に携わる医者は、ニーズに対して絶対的に少ないと言う。
(医学部を目指す人は、決して少なく無いハズなんだけど)
というのは、司法解剖の許可を受けている医師でも、年間に「何体まで」と決められているそうなのだ。
許認可医師の元で経験を積み新たに資格を得ようとすると、えぐい話だけれど「解剖件数」と師匠の推薦が要るんだってさ。
師匠の名の下で司法解剖をしながら、弟子は経験を積むわけだけど、数的な例えをすれば、、、
年間100体の司法解剖の許認可師匠の弟子が20人だとすると、頑張っても1年の内に一人5体くらいしか検体できないので、とにかく資格を得るために課せられた「解剖件数」に達するまで数年かかる。
愛知県内には、こういう司法解剖の許認可病院は4件、近隣の静岡県、岐阜県、三重県には、それぞれ1施設しかないとのこと。
そんなんじゃそりゃ育たないよねぇ、、、法医学者。
おまけに、親からは反対されるんだって。
「人の命を助け、開業医にでもなってくれたらいいと思ってたのに、それが死体を刻み、ずっと勤務医のままってどーゆーこと?」
これが親の本音らしい。
「報われないなぁ、、、って思うことあるよ。命を救う医者じゃないけど検察の要請があるから、必要とされてるってことは判るんだけどね。。。でもね、忌み嫌われるんだよぉ(爆)。」
なるほどねぇ。
15年前、彼女が新卒で入った頃の司法解剖件数は、せいぜい年間10体だったそうな。(当時も許認可病院は4件)
けれど、去年は急増して年間63体、今年はさらに増えて、年度末まであと3ヶ月を残すのに、既に86体を越えているそうです。
「先週なんて、1日で3体運ばれてきちゃって、ほんっとに疲れたよ。こんなの初めてだよ!」
世相かなぁ。
事件性のある遺体の急増なんて、生々しくって痛くて辛くて聞いちゃいられない。
「身体の一部しか無くても、開腹したら蛆だらけとか、もうそんなことにはもうすっかり慣れたけど、もちろん気持ちは塞ぐよ。」
彼女に、どんなケースが一番塞ぐのかと問うたところ
「小さい子供だよ。。。」
っと本当に辛そうに言った。
あー、だめだ。
アタシなんかは1ヶ月も2ヶ月も引きずってしまいそうだ。
極めて重要な職業なんだけれど、本当は無い方がいい。
友人Mが忙しくなるような世などいけない。
彼女は数年に一度、どかんと大型連休をもらって、ふらっと海外を旅することがある。
今年は旧ユーゴを訪れ、コソボ、セルビア、モンテネグロを周ったそうな。
旧ソ連の侵攻、独立紛争、、、はるか昔のことかと錯覚するほど、どの国も美しい町並みだったという。
「よく見ると、壁に弾痕とかも見つかるんだけどね、何の知識もなく観光目的だけで行くなら、凄く綺麗だから堪能できるよ。」
何の知識もなく観光目的だけで行くなら
普通はそうだよっ!!
彼女は不思議な人で、通常は訪れないような国に行きたがる。
前回はイランだった。その前はペルー。
彼女がこれまでに巡った国を考えると、どこも混沌としている。
そんな場所へわざわざ行って、癒され新たな活力を見出してくる。
観光目的ではない彼女の旅の目的を思ったら、なんだかぎゅっと抱きしめたくなった。
そりゃアンタが日常的に目にするものは、辛くて苦しいよね。。。
なんて少し潤みそうになった時、ヤツが言った。
「ところでさ、豊スタの浦和戦の時に、レックリとコラボのポスター作ったでしょ。あのかっこいいヤツ。
なんで負けるかなっ!!あれさ、曹操が負けるハズじゃん。孫権が負けてどうすんのよっ!!」
んぐぐぐぐぐ
確かにアレは、常勝で6万人のサポーターが大声援を送る日本を代表するビッグクラブに、万年中位のサポも少ない(2万人)しがないチームが戦いを挑むってコンセプトで、コラボしたのだ。
そりゃ、赤壁で孫権が負けたらシャレにならん・・・。
くっそー、変なとこで思い出すなってーの。
この話に限らず、なんだかアタシがグランパスに入ってから、アタシ以上に詳しくなっちゃってるもんだから驚いちゃう。
オタク恐るべし!!(因みにコイツはアニメオタで、熱狂的なベンゲルファン)
ま、久しぶりに会ってお互いに黙る場面など一瞬たりともなく(笑)、お喋りし通しだったのだけど、
彼女、少し痩せたかな?ちょっと顔色が悪いな、食欲無さそうだな、、、ってことが少々気になりました。
彼女はこんな形で多忙でないほうがいい。
患者さんの臨床検査や研究に没頭できる環境がいい。
Flashdance - Lady, Lady, Lady (Joe Esposito) 1983
友人のMは、その苦悩をこちらが汲み取ろうとする態度を認めたとたんに、ヒラヒラと掴みどころの無い者へと変化する。
「触れるな!」
という強い言葉を、柔らかな笑いと優しい態度で表すみたいに。
うん、アンタには言葉は要らないだろう。
発することなき声を、ずっと聞き続けているんだから。
テーマは改正臓器移植法で、肝臓移植の体験を持つ、作家、小林さんの体験談と
改正臓器移植法への思いが語られていた。
また嫌な夢が蘇ってきた。
また今夜もあの夢を見そうな気がして、本当に滅入った。
くらくらと眩暈がする。
彼の訴えは良くわかる。わかりすぎるくらいわかる。
この法案によって、死ななくてもいい患者が助かり、高額な治療費を負担して海外に行かなくても良くなる。
尤もである。
では、知らないうちに「死人」とされてしまう側の命は、助かる者の命より
軽いのか?
そんな疑問がどうしても払拭出来ない。
髪も伸び爪も伸びるが、生命維持装置を装着されて、やっと生きてる人の命は
軽いのだろうか?
脳さえ死んでいなければ、立場は逆だったかもしれないのに。
臓器提供意思表示カードくらい私も持っている。
全ての項目に○が付けてある。
これは大人として意思表示が可能な、私の意思であるから問題は無い。
だが、改正臓器移植法は、子供間の移植にまで年齢を引き下げたから引っかかっているのだ。
子供に、自分が脳死状態になった場合を想定して、臓器移植の意思があるのか。
ましてや、生まれながらに脳死状態だった子に。
親としては揺さぶられる。
わが子に生きていて欲しいという願いと、誰かの助かる命の狭間で葛藤が生まれる。
その葛藤を、誰が見てくれるのか。誰がケアしてくれるのか。
ただ耐えろというのか。
もちろん金銭をくれということではない。
どうしようもない無力感に苛まされる人々が増えそうだから、いたたまれないのだ。
もしあの時私が娘を産む選択をして、無事に生まれてきたとしても、長くは生きられなかっただろう。
この12年の内に死んでいたかもしれない。
けれど、それでも親なら自然死を願うものだ。
その後の移植なら喜んで応じよう。
けれど脳死は違う。
もう元に戻ることは無くても、生きててくれるだけでいいと思う。
生きていて欲しいと思う。
それが親ではないか。。。
「それは親のエゴだ!」と言う人もいるかもしれない。
身近に生と死を感じられ無い人ならば。
自分には降りかかる問題ではないと思い込んでいる人ならば。
改正臓器移植法について少し触れてみる。
1997年に成立した法の下では禁じられていた15歳未満からの臓器提供に道が開かれることとなった。改正法は公布から1年後に施行される。
重大な疾患を持った乳幼児が海外で移植手術を受けるために渡航するのは、
日本国内では認められていなかったから。
そのため莫大な治療費と入院費を負担し、海外へ渡るしかなかったのだ。
欧米諸国は、自国の患者を優先したいとの思いから、日本に臓器移植の年齢制限を撤廃するように働きかけていた。
まぁ、わからないでも無い。
けどそれ以前に、臓器移植というものは、ドナーの意思表示が最も優先されるべきではないだろうか?
深刻な内臓疾患の乳幼児を持つ親、脳死状態の乳幼児を持つ親。
どちらもわが子に生きていて欲しいと思うのは道理だろう。
しかし、深刻な内臓疾患を持った子供でも喋ることが出来、成長につれて拙くも意思表示が出来る。
漠然と「もっと生きたい」などと言うこともあるだろう。
それは親の愛情を受け、もっと両親と一緒に居たいという願いが「生きたい」という言葉になっていると思われるが、
では、脳死状態の子はどうだろう。
意思表示がまるで出来ないじゃないか。
かすかに両親の言葉に反応は見せても、明確な言葉として(内臓疾患の子供程度)の意思は伝わらない。
これはフェアーじゃないと思うのだ。
もっと医学が進んで、脳移植が出来るようになった時、さて、この法案はどう動くだろう。
最後に、暴言である。
軽蔑されても仕方ないような暴論であることは百も承知。
だけど言う。
私は、多額の寄付を募って、海外へ子供の移植手術を受けに行こうとする親が大嫌いだ。
前提として、臓器移植は不自然なことなのだ。
ある時、人は自分に課せられた運命を受け入れなくっちゃいけない。
わが子を助けたい思いはわかる。
でもそれは、自分達の力で克服すべきであり、他人に頼るのは違うと思う。
自分の子供の命を救うために他人に甘え、誰かを殺す片棒を担がせるのは違うと思う。
(敢えて殺すと表現したのは、私自身は脳死は完全死ではないと決定づけているから)
だから断固として嫌悪する。
前提として、臓器移植は不自然なことなのだ。
ゆえに確固たる本人の意思表示が必要だと思うのだ。
零歳児にソレが出来るなら、謹んで尊重する。
【本田美奈子】 Amazing Grace
三木谷社長が激怒「なぜ医薬品ネット販売の議論避けるのか」 厚労省検討会
2006年6月に公布された改正薬事法。
2009年6月にも施行が予定されているそうな。つまり来月。
施行されると、解熱鎮痛剤、風邪薬、胃腸薬、水虫薬、妊娠検査薬、漢方薬などのネット販売ができなくなる。
安全性を考えて対面販売が望ましいんだってさ。
ごもっともな法律なんだけれど、無薬局の市町村が全国で200程も存在することを考えると
闇雲に規制するのはやっぱり疑問があります。
過疎、高齢などで、薬局に行けない人が多いのは事実。
ネットで医薬品を購入する人には、それぞれ理由があるわけで。
日本で医薬品がネット販売出来なくなっても、本当に必要な人は海外に求めることでしょう。
日本だけで規制するなんて、全く意味の無い安全性の追及というもの。
要するに、日本の医薬品会社の市場を狭く規制しておいて、ユーザーが不自由しているところに
アメリカ企業が参入してくるんだろうね。
年次改革要望書 (←アメリカ大使館のサイトで読めます。たぶん大真面目なお笑いネタ・爆)
開かない場合は アメリカ大使館 → 政策関連文書一覧のサブメニューの翻訳文書一覧 → 2008年11月7日の『日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書=PDF』をご覧下さい。
2008年度の要望書の「医療」に関する詳論は5ページにも渡る内容で、よくもまあ、これだけ内政に干渉できるもんだと呆れてしまいます。
それも、どれもこれも上から目線でさ。
要約すると
偉大なアメリカが日本の医療機器や医薬品などの業界に参入出来るよう、制度を根本的に作り直せ。
その為に、何をするにあたっても、偉大なアメリカ企業と逐一協議し、アメリカ企業が望む制度を整えろ。
また、その際に偉大なアメリカ企業の誇らしい技術が流出しないよう、その部分の規制だけは強めろ。
また、偉大なアメリカ企業が失敗せぬような手厚い保護もヨロシク頼む。
日本の医療制度を徹底的に破壊して、その利益を偉大なアメリカと自民党、財界人で山分けする。
一般の日本国民が苦しむ?知ったこっちゃねぇーよw
と、こういう事です。
こうして身近なところから、日本の庶民生活は着実に破壊されていくのでしょうね。
日本の政治屋。
お見事ですッ。
椎名林檎「警告」*Shena Ringo--keikoku
東京・銀座の眼科でレーシックと呼ばれる近視の矯正手術を受けた患者67人が、感染性角膜炎などに集団感染していたことがわかりました。原因は衛生管理の不徹底だとみられています。
帰宅してテレビをつけたら、真っ先にこのニュースが飛び込んできました。
ドびっくり。
手術を行ったのは東京・中央区にある「銀座眼科」。中央区などによりますと、去年9月から先月にかけて「銀座眼科」でレーシック手術を受けた患者639人のうち、1割に当たる67人が感染性角膜炎などを発症、このうち2人が現在も入院しているということです。
実はこの眼科、去年の6月に友人がレーシック手術を受けた眼科で、
「トラブルも無く、ものすごく快適!」と言っていたので、私も手術を受けようと思っていた病院でした。
なんと言っても魅力はその価格でした。
両眼で、9万5千円。(クーポン使用時)
さらに紹介制度を利用すれば、紹介者に2万円、患者には5千円の割引です。
紹介者は、親でも配偶者でも、兄弟でも友人でも誰でもよし。
この病院にかかった経験の有無も必要なし。
私は友人に紹介者となってもらって、全然関係ないところで友人にお小遣いをあげようと思ってたのに、
友人は、「そんなもん返すから、安上がりに徹するこったね~」と笑っておりました。
いやはやそしたら激安価格から、更に2万5千円引きで7万円也。
銀座までの交通費は、適当に東京出張の時に合わせてチャラにする、何が何でもする(笑)。
これで終わりではなくって、、、
この手の手術は「日帰り手術」と認定されるので、生命保険がききます。
レーシックの場合、保険会社に申請すれば5万円がキャッシュバックされます。
私のように、積立型保険と、その弱い部分を補う掛捨保険を併用していると
2社から5万ずつ、10万キャッシュバックされちゃいます。
あれれれ、、、3万円浮いちゃう。。。
3万あれば10日は飲める、っとばかりに、去年の9月に手術する気マンマンでした。
たまたま水・木曜日に東京出張が入っていたので、金曜日は有休をとって
「わぉ!ばっちりじゃーん!!」
なんて言ってたんだけども。
会社の同じ部署の同僚が一月も腸捻転で入院することになり、とても休んでいる場合ではなくなって
残念ながら9月の手術は断念して、4月に「いよいよっ!」っと気合を入れつつあったのだけど。。。
あら、あの時手術しなくて良かったかなぁ。。。
入院してた同僚に感謝すべきかも。
あまりにも安価であることには、ちょっと疑うところもあったのだけど、
臨床例が多く、一日に施術も多かったから実現できる価格なのだと信じておりまして。
手術してたら自分もどうなってたか、、、ちょっと身震いしました。。。
手を洗うことも無かったなんてね。。。
もうココに行くことはないや。
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