[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
◆ピカピカに晴れた先日の日曜日、久しぶりに気分も不思議と晴れやかで、朝早くに目が覚めました。うだうだすることなく跳ね起きて、布団を干し、洗濯をし、掃除をし、取り込んだままになってた洗濯物を畳んで片付け終えたところで電話が鳴りました。受話器から養母の元気そうな声。「もう2ヶ月も姉さんのとこに行ってないから、見舞いがてら午後にでも寄ろうと思うけど、居る?」とのこと。養母は5人姉妹の3番目で、長女・四女・五女はもう他界し、認知症で名古屋市内に入院している、存命のすぐ上の姉を見舞いたいとのこと。「いいよ、別に。出掛ける用事もないし。」と応え、少しばかり会話をして電話を切りました。名古屋市内で開催される反原発のデモも気になったんだけど、話をしながらカレンダーを見たら、その日は「母の日」だったので。絶対に狙ってる!と確信(笑)。どうせ泊まっていくだろうからと、押入れにしまってあった布団も干しました。午前11時前。洗濯物はもう乾きそうで、早くに干した布団は既にふかふかでお日様の香りがしました。部屋も片付けたことだし、文句は言われずにすみそうで、久しぶりに気持ちのいい朝でした。午後3時過ぎ、養母到着。早々にマシンガントーク炸裂(^^;)。荷を降ろし上着を脱ぐ時に手渡されたのが「赤いカーネーション」。曰く「ホスピスの隣の部屋に見舞いに来た人が持ってきたらしいんだけど、『花瓶が無いから貰ってください』って言われたんだよね。」だってさ。全くこれ見よがしだなぁ!目を合わさずに言うところが怪しい(笑)。
◆野口米次郎・三木露風・千家元麿・日夏耿之介、前田河廣一郎・藤森成吉・徳永直・村山知義 これらの人をご存知でしょうか。私は「三木露風」さんが、童謡『赤とんぼ』の作詞者であること以外、全く知りませんでした。目の前に2冊の書籍があります。筑摩書房から刊行された『現代日本文学全集』です。前掲の4名の作品集(詩篇)が刊行されたのは昭和31年12月(73巻)、後掲の4名の作品集(プロレタリア文学)は32年7月(77巻)。最終巻が78だったと思います。明治初期~昭和初期までの文豪の作品の大全集で、実はこれ、44年前、31歳で亡くなった私のもう一人の母(実母)が、OL時代に通勤電車の中で読んでいたそうな。全巻読破したそうな。実母以外は誰も手にしなかったようで、本を買えば必ず間に挟んである新刊本の案内(広告)のようなものや、参百伍拾円也と記載された納品書までそのまま残っておりました。中学生の頃、読書を試みたのですが、旧漢字(という表現は正しいのだろうか)・旧仮名・文語体で手に負えず、ずっと放ったらかしにしておいたところ、養母が「図書館に寄贈するか、引き取ってもらえなかったら捨てるしかないねぇ。」と言ったことから、捨てるかどうかはまず読んでみてからにしようと思いました。2冊ともパラパラと頁を繰っていると、暗い沈鬱な空気が漂っており、作品が書かれた時代というものが身近に感じられました。渾身の叡智と良心でもって書かれているような迫力。高校卒業後、18歳から、30歳で結婚し退職するまで、貴女はこういう本(日本文学報国会なるものに名を連ねない作家さんの作品)を読んでいたのですね。。。感想を聞きたかった、思いを共有したかった。貴女の口から、戦争・労働・ジェンダーについて聞いてみたかった。とりわけ、戦争体験もし、中部電力(話題沸騰中!)に長く勤めていた貴女に、核について、原子力の安全利用の是非について聞きたかった。読書好きな貴女に「この字なんて読むの?」たずねたずねながら、重く暗い時代を描写した文学と対面したかった。そう気づいた時、初めて『悔しい』と思いました。。。
◆翌日、養母が帰る段になり、ずっと考えていたことを思い切って言ってみた。「お母さん、あのさぁ、Fさん(実母の名)の年忌が全部終わったらさ、うん、全部終わったらさぁ、アレを今回の震災の被災者の人たちにね、寄付したいと思ってるんだけど、どうかな。。。」ずっと管理してくれてたのは養母である。何を言われるかと恐る恐る訊ねたのだけど、返ってきた言葉は実にあっけらかんとしておりました。「いいよ、それで。どうせ残す者も居ないんだし、お前は売れないだろうし、好きにすればいいよ。」驚きました、全部わかってる。心底ほっとして自然に笑みが浮かんだのだろう。それを目ざとく見つけた養母は、「ちょっと待った!アンタ自分より、わしの方がどうせ先に死ぬって思ってるんだねっ!ふんっ!わしがアンタから相続してやるわ!」だってさ!もう大笑い。大笑いしながら、人通りの多い交差点で、後ろから思いっきり抱きつきたくなった。ありがと@母の日。
◆余談◆
かつて『吟遊詩人』なる、世相とか政治を謳う人々がおりました。フランスではトルバドゥール、ドイツではゴリアール、日本では琵琶法師かな。現在で言うなら(無理矢理だけど)ストリートミュージシャンに置き換えられるのかな。。。
辺見庸さんは、昨今の詩作から、吟遊詩人になろうとしてるのではなかろうか。。。
存在の独立
野口米次郎
『新しい詩は私をもつて始まらねばならない、』
かう私がいつたら人は私を許すでせうか・・・・・・
許さなくてどうしませう。
毎朝咲く朝顔を御覧なさい、どの朝顔でも、朝顔の美は自分をもつて始まるといふ誇りに輝いてゐるではありませんか。
太陽の下どんな物でも、神の輿へた魂を赤裸にさらけ出して、
(赤裸の場合位ものの完全な場合は無いであらう)
自分と大きな自然との対照を慎ましやかに表現した時、
本当に生命の新しい一章に筆が附け始まります。
詩の上ばかりでなく、人生の上でも、
『新しい人間は私をもつて始まらねばならない、』
私はかういひたいのですよ。
私自身としましても、昨日の私は今日の私ではありません。
毎朝太陽に私の眼が覚め、私の耳が鳥の声を迎へる時、
昨日と違つた人生の秘密が私にほぐれてくるやうに感じます、
(あなたが秘密の文字がお嫌いなら、人生の意味と云ひませう、)
私はまるで異なつた人間となつて新しい命を始めます、
さうあつて初めて独立的な存在の意味が確立するだらうと思ひます。
『新しい詩は私をもつて始まらねばならない、』
私がかういつたとて、他人の努力を無視するのではありません。
他人は他人で、『新しい詩は私をもつて始まる』といって下すつて、
始めて私の言葉に真実の意味が出て来るだらうと信じます。
驚く。
明治から昭和初期の知識人は皆、信ずる信ぜざる如何にかかわらず、聖書を精読していたのではないかと感じます。
15 All this is for your benefit, so that the grace that is reaching more and more people may cause thanksgiving to overflow to the glory of God. 16 Therefore we do not lose heart. Though outwardly we are wasting away, yet inwardly we are being renewed day by day. 17 For our light and momentary troubles are achieving for us an eternal glory that far outweighs them all. 18 So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen, since what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.
2 Corinthians 4 : 15-18
15すべての事はあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人を通して増し加わり、感謝にあふれさせて、神の栄光となるためだからです。 16 こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。 17 なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです. 18 わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目をとめます。なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。
コリント人への手紙第2 4 章15-18節
カタロニアでは「平和を!」と鳴いていた鳥が、日本では「安全を!」と鳴いているね。
浜岡原発の停止が菅さんによって宣言要請されました。
政権維持のためとか、支持率アップのパフォーマンスなんて言われちゃいますが、こんなことを言えた首相は居ませんでした。この決断『は』十分評価に値すると思います。
中電は結論を保留しておりますが。
中電が出資会社となり、鯱チームのユニフォームスポンサーとして袖に社名を入れてるくらいなので、今日は我が社も大騒ぎでした。
普段、何を考えてるかさっぱり判らない重役が言うことにゃ、
「この地方の夏のホームゲームも、ナイターでは出来ないかもしれないね。困ったことになるね。」
左ストレートを浴びせたくなった。
ひと昔前、家庭を顧みずに働く殿方を「会社人間」などと言ったものだけど、最近は弱者を顧みないヤツのことは「資本人間」と言ってもいいんじゃないかな。最大限の侮蔑を込めて流行らせて欲しいな。
さて、福島原発の事故以来、一時期はメディアに出ずっぱりだったのに、最近見かけない人が居ますよね。
出鱈目さん、、、もとい斑目さんでしたっけ。
その方が5年前どんな事を言ってたか、衝撃の動画を見つけました。
4分30秒後のアナタ、きっと怖い顔になってると思いますよ(笑)。
何を学ぶと、こういうことを笑いながら言えちゃうんでしょうか?全く理解できません。
原子力安全委員会の委員長さんです。
委員会に名を連ねる人の人格も想像できるってもんですね。
人の命と生活を何だと思っているのでしょうか。
斑目さん、嗚呼今何処。。。
★追記★(2011.5.11)
もうご存知かと思いますが、年間20ミリシーベルトの被爆量について以下のサイトが丁寧且つ詳細です。
◇米国医師団体PSR: 日本政府が子どもの被曝限度引き上げたことは「衝撃的」 Physicians for Social Responsibility Calls 20 mSV for Children "Unconscionable."
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/blog-post_06.html
◇5月7日 「原子力村」という巨大な構造 小出裕章
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/07/packin-may7/
細胞分裂が活発な胎児・幼児にとっては、1ミリシーベルトの放射線量だって危険です。
この間に3試合もホームゲームがあるもんだから、いつもより忙しいし何より慌しくて落ち着かないのだけど、何故かこういう時って、布団から出られなくなっちゃいます、、、完全なる現実逃避です(笑)。
5月4日のACL戦、この日は快晴。ピーカン。一気に気温が上がった感じ。
4月中旬にもなれば、例年であれば名古屋地方は暑いくらいになるものですが、今年は下旬になっても肌寒いことが多く、朝晩は上着が必須だったのに。
そのためか、選手の足も止まりがちでハラハラしましたが杭州緑城(中国)に辛勝し、グループステージ突破を決めることができました。
スタメンを張ってる主力の4人が怪我で出られないとなると、今までは全く勝てませんでしたが、層が厚くなってきたという感じがします。ほんっとに勝てない時期が続きましたので、感慨深いです。。。
この日も私はちびっこ対応。ホームの選手をエスコートする11人とアウェーの選手をエスコートする11人の、総勢22名。
さぞかし騒がしいかと思いきや、肩透かしなくらいに大人しくて行儀のいい子供達ばかりで助かりました(笑)。
その日のエスコートスポンサーさんが、子供達を自社のHPで募集(先着順)してくれたところ、開始10分で終了だったそうな。ありがたいことです。
選ばれた子供達は、誰もがその日初めて会う他人同士だったので、一緒に騒ぐ子も居なくて大人しくなっていたみたいです。
新一年生の子達はまだ赤ちゃんみたいに小さくて、140センチのユニフォームがぶかぶかで(笑)、着替えも覚束ないのだけど、初めて会ったのに大きな子が手伝ってあげたり、自然に協力し合ってるのを見ていると、本当にホッとした気分になります。
「みんなね、グランパスの選手と手を繋ぎたいのはわかるんだけどね、今日は、相手チームの選手のエスコートも手伝って欲しいの。だから、グランパス側になるか杭州緑城側になるか、二人一組になって一回勝負のジャンケンをしようね。負けた子がグランパスで、勝った子が杭州緑城ね。」
こういう時、アタシが絶対ルールになっちゃうので、申し訳なく思ってしまう。実際に何時までも駄々をこねる子もいるし。けど、この日は誰も文句を言いませんでした。ちょっとびっくり。
子供達の順番と立ち位置、集合写真撮影と退場の合図を教えてリハーサル。
凄い、完璧。何だ、今日の子供達の意識の高さは!(笑)
またウォーミングアップする選手達のすぐ近くまで行って、大音量の応援を聞かせ、唖然とさせる。
新一年生の男の子が気分が悪くなってしまい控え室で休む事態になってしまったけど。
天気が良かったから暑気当たりかなぁ、、、と心配していたら、どうも
「集合時間に遅れるから、アナタ先に一人で行きなさい!」
ってお母さんに強引に駐車場で車から降ろされ、緊張と心細いまま現在に至り、悲しくなって気分が悪くなっちゃったみたいです。
見ると顔も青白くなってて、頬に触れると冷たいんだな。。。
うーん、これは大事をとって、エスコート参加を止めた方がいいかとご両親に連絡すると、お母さんは心配そうだったけれど、お父さんは、「絶対に参加させてください、なぁに、絶対大丈夫ですって!」だって。
うーん、どうすりゃいいんだろ、、、でもさ、やっぱりめったに無いことだし、一生に一度しかないことかもしれないし、、、よしっ、父ちゃん、その気持ち受け取ったーーーぁっ。
なんて一人で気合を入れて、その子を励まし、盛り上げ、なんとか参加することができました。
セレモニーが終わり、子供さんを親御さんの元へ連れて行き、最後にスポンサーさんからのプレゼントがありました。
なんと、その日使ったユニホーム(シャツ・パンツ・ソックス)一式のプレゼントだけでなく、グランパスのゲームTシャツを選手のサイン入りでプレゼントしてくれるって言うんだから、太っ腹です。
サインに応じてくれた選手は11名。一人2枚ずつサインを入れてくれて22枚。
ランダムに配るので、誰のサインTシャツかは、貰ってからのお楽しみです。
Tシャツを配られた子供たちが、「誰のサインだろう。。。」ってわくわくしながら包装を開けるのを見るのは、とても楽しかった。^^
「えっと、これは誰?」
「16番はケネディ、7番は中村直志くん、32番は田中隼磨くん」
んで、やっぱり全くわからないお母さんと子供さんが、アタシんとこに来て、
「このサインは誰のものですか?」
と聞いてきました。確かに、サインを見分けるのは難しいかも。私でもよくわからないんだから(笑)。
「あ、これ、楢崎選手のだよ!凄いね。よかったね!!」
子供さんにそう言うと、お母さんが
「今日、この子、玉田選手と手を繋いでいたんですよ!大ファンだったから、私まで嬉しくなっちゃって、とてもいい思い出になりました!」
嬉しそうに話してくれました。
玉田選手と手を繋ぎ、楢崎選手のサイン入りTシャツを手に取ったお子さんは、小2くらいだろうか。
ずっと口を真一文字に結び、とりわけ無口で大人しい子でした。
あんまり楽しくないのかなぁ、それとも緊張しているだけなのかなぁ、、、と思っていたけれど、エスコートの後はニコニコしてくれて、Tシャツのサインが楢崎くんと知って一気に笑顔が弾けました。
彼だけでなく、どの子もどの子も。
「今からはがっつり、グランパスの応援してねっ!!」
っと皆に声をかけて、お別れ。みんな、また絶対に来てね。
そしてまた運営本部に向かう時、さっきのお母さんに呼び止められました。
玉田選手と手を繋ぎ、楢崎選手のサイン入りTシャツを貰った子のお母さんです。
何度も何度も「ありがとうございました」と頭を下げておっしゃってくれるんです。
「実は、あの子が大好きだった伯父さんが、ホントについ最近自殺しちゃったんです。。。それでね、あの子も落ち込んで笑わなくなって、、、あの子のお姉ちゃんもショックで不登校になっちゃって。。。」
衝撃の告白に、とにかく腰が抜けるほど驚いてしまい、思わずお母さんの手を握っていました。そんなのってないよ。。。
「どうしてやることもできなかったんです。。。けれど、今日はあんなに嬉しそうに、、、立ち直るきっかけになると思います。本当にいい思い出になったと思います。どうもありがとうございました、ありがとうございました。」
お母さんもホッとして、久しぶりの笑顔だったのかもしれない。
あの子が笑えなくなるくらい、お姉ちゃんが不登校になってしまうくらい、可愛がってくれた伯父さんだったのだろう。大好きな伯父さんの、その重すぎる死を、これからどう受け止めていくのだろう。
私が姉のように慕っていた従姉を亡くしたのは高2、養父を無くしたのは高3だった。二人とも重篤な病気だったので覚悟はしていたものの、立ち直るのにどれほどの時間を要しただろう。。。
それなのに、この幼い子はどう感情の処理をしていくのだろう。
なんだか悲しさと同時に猛烈な怒りがこみ上げてきて「ふっざけんじゃねーよっ!いいかげんにしろよっ!」とぶつぶつ、ぶつぶつ。何に対して怒っているのか、悪態をついているのかわからない。そのことにもイラつく。
なにもかも社会が悪いと言うつもりはないけれど、なんだろう、この沈鬱で閉塞した雰囲気が元凶なのだろうと思うけれど、その正体はなんだろう。。。
身近な者の死は、大人ですら容易に消化できないのに、小さき者はどうすればいい?
自然に被災地の子供達のことを思う。
それだけじゃない、それだけじゃなくて、決してそれだけじゃなくってさ。。。
東北の被災地の子供達は、避難所でもよく笑っているけれど、ホントに本当の笑顔なんだろうか。
カメラの前だから、無理して笑っているんじゃないだろうか。泣いてもいいのに。
軽薄な映像と無意味な番組しか撮れず、被災から2ヶ月も経とうとしているのに、何もしてくれない不自由な生活を強いているのは国、その国を治めているハズの政治屋さんという大人達に怒ってもいいんだ。
そして伯父さんを亡くした僕は、散々泣いて悲しんだら、思いっきり笑ってもいいんだからね。
遠慮がちに笑わなくていい。
笑いたいときは笑えばいいし、喜びたい時は喜べばいい。
こんな時こそ素直でいて欲しいな。。。
鯱さんチームもホームゲームがありました。久しぶりです。本当に久しぶりです。
でもわたくし、実を言うと自チームのことよりも、ベガルタ仙台vs浦和レッズ@ユアテックスタジアム(仙台)の一戦が気になって気になって、昼間は会社でテレビに釘付けでした。ま、他のみんなもそうだったけどね(笑)。
あのビッグクラブ浦和にまだ一度も勝ったことがないという仙台が、どんな闘い方をするのか。
あの震災で、ユアテックスタジアムスタンドの一部が破損し、救援物資の集積場となり、選手達も勧んで土嚢を運び、瓦礫の撤去作業をしていたそうです。
再開の日程が決まってからは、千葉県で合宿し練習を続けておりました。
やっとこぎ付けたホーム試合で、この日は数箇所の避難所に大型テレビが持ち込まれ、パブリックビューイングが行われたそうです。
長い避難所生活を送る人々にとっては、連日ニュースばかりで、娯楽なんて無かったでしょうから、とても楽しみにされていたことでしょう。
結果は ○仙台 1-0 浦和●
前半に専制したものの、その後は防戦一方でしたが、守りきりましたね。
浦和に攻め込まれる度に目を覆い、クリアする度にいちいち皆で涙を流して喜んでいましたよ。
ベガルタ頑張れ!絶対負けるな!
そうそう、プロ野球も楽天がオリックスを下しましたね。マー君の完投勝利。
今年はさ、楽天の試合とベガルタの試合を極力全国放送にしてあげて欲しいなぁ。。。
東北新幹線が新青森まで開通したこともあり、朗報揃いです。
それより、感動的な動画を見つけましたのでご紹介。
前節4月23日 川崎フロンターレvsベガルタ仙台@等々力競技場
ベガルタ仙台が、劇的な逆転勝利をおさめた試合後のセレモニーの模様です。
川崎さんって、選手・スタッフもサポーターも一丸となっていて、Jリーグの中でも素晴らしいチームとして必ず挙げられるけれど、この動画を見ると、改めてその思いを強くします。
うーん、これじゃ、これからベガルタをホームに迎える他チームはやりにくいじゃん(笑)。
あ、本日ユアスタに乗り込んだレッズサポの応援は、普段と変わらなかったそうです。
でもその変わらない姿勢に、ベガルタサポは拍手を送ったそうです。アウェーを歓迎する気持ち、いいなぁ、、、と思っていたら、どうも試合前に、空気を読めない宮城県知事と仙台市長の挨拶に、浦和サポが大ブーイングをしてくれた感謝でもあったみたい(苦笑)。
知事と市長、何を言ったんでしょうねぇ・・・?
えーっと、鯱さんの試合はというと、、、前節で仙台に心のこもったベガルタチャントを送った川崎さん。
Jリーグの試合でいうと、実は8試合も勝ち無しの苦手チームなのですが、今日はエース玉田くんの2発で快勝でした。
いつものように試合はほとんど見れないので、結果だけを聞いてほっとしています。
今日のセレモニーの子供達の集合場所に、少し早めに行って、今日のイベント企画会社の人達と挨拶をし雑談をしていたところ、どこかで見たような顔がちらほらと。。。
よく見ると、何度もエスコートに応募して参加してくれた双子の男の子と、そのお友達でした。
「わ~ぁ、久しぶりだねぇ!ね、私のこと覚えてる?」
恐る恐る聞いてみると、
「うん、覚えてるよ、名前は忘れちゃったけど、、、またエスコートやりたいなぁ~、ねぇ、ダメ?」
セレモニー隊というのは、エスコート隊という小学校1~3年生までを対象とした、選手と手を繋いで入場する子供達と、フラッグ隊という主に小学校4年生~6年生を対象としたフェアプレイフラッグを掲げて選手入場を誘導する子供達の総称です。
「あれ、そういえば、僕達、何年生になったの?」
そう聞いてみると、皆、新5年生と答えました。
初めて会ったのは、まだ小学校に上がる前だったよね。まだおとなしくて、むしろサッカーファンのお父さんに無理やり連れて来られたっていう感じでした。
お揃いのレプリカと帽子、雨具のポンチョも全て同じ。
小学校にあがって、エスコートの資格ができたらファンクラブに入ってくれて、抽選に外れるときも当たるときも、何故か二人一緒。
おとなしくて可愛い赤ちゃんみたいだった子が、ちょっとおしゃべりしてくれるようになり、だんだん口達者になり、やんちゃ盛りになり、、、あれ、最近見ないなぁ、、、と思っていたら、そうか5年生なんだ。
久しぶりに会えたのがうれしくて、話が弾んだのだけれど、あは!いつしか敬語を使うようになってるじゃないのっ!
やんちゃな男の子がちょっと落ち着いた少年になったのだなぁ、、、って。
それまでは、お父さんがずっと二人から目を離せなくて、世話に必死な感じで(笑)、いつも挨拶程度だったのだけれど、今日はゆっくりお話しをすることができました。
「グランパスといっしょに成長してくれているんですね。とても嬉しいです。」
そう言った時のお父さんの顔が、なんとも言えないほど嬉しそうで、和やかになったのが印象的でした。
今日のセレモニーに参加してくれたのは、スポンサーであるデ○ソー社員のご子息&ご息女。
サッカー観戦は初めてという子供達がほとんどで、自分がどうしてココにいるのか判らない感じ。
まずは、ここでの注意事項を伝えます。
「ここは、みんなにとっては初めての場所で、嬉しくて騒ぎたくなるのはわかるけど、ここにいる大人の人達は働いています。一生懸命働いています。みんなの遊び場じゃないから、言う事を聞かなかったり、大騒ぎしてると叱られるからね。きちんと約束が守れたら、後でいいものを見せてあげる~。」
入場の仕方と写真撮影の合図を一通り教え、ウォームアップのために選手がピッチ入りしたのを確認してピッチサイドへ。
とたんに、大音量でサポーターの応援が始まります。
子供達、唖然(笑)。大抵は圧倒されて騒ぐことも忘れて、ピタっと静かになります。これが私の休息時間(笑)。
不思議なスタジアムの熱狂。何だろう、これは。今でも不思議に思う。
今まで、延べ3000人くらいの子供達と接しているけれど、この大音量の応援に、怯えたり怖がったりした子供は一人もいません。
何故か皆、笑顔になっているんです。あれは何だろう、と今でも不思議に思います。
セレモニーを終えて、所定の場所に迎えに来ている親御さん達に子供達を。。
「お前、闘莉王と手を繋いでたじゃないかっ!すげぇな!」
「玉田だぞ、おぃ、知ってるか、タ・マ・ダ!」
子供達を迎えに来た親御さんの方が興奮しているのが面白い。
そして、一人のお母さんがアタシんトコに来て、
「あのぅ、この子は誰と手を繋いだんでしょうか?」
そう聞いてきました。
へっ?そんなん、いちいち覚えていないんだけどなぁ、、、っと思っていたら、んまっ!先頭だった子じゃないのっ!!
「あれぇ、忘れちゃったの?楢崎選手だよぉ。あんなに『凄い凄い』って言ってたじゃないの~ぉ」
しゃがみこんで子供にそう言うと、何故かお母さんに
「すみませんっ、ほんっと、すみまんせんっ!」
そう平謝りされました(爆)。いやいや、お母さんもこれを機に、是非覚えてくださいませ♪
子供達全員が迎えに来た親御さんと会えたのを見届けて、この日のイベント業務終了。
ふぇ~、とばかりに運営本部に向かおうとすると、小さな女の子が
「どうもありがとう、とっても楽しかったの~♪」
わざわざ挨拶に来てくれました。
「そっか、楽しんでくれて嬉しいな、んじゃ、今からはグランパスをいっぱい応援してね!また来てね!」
そう言うと、何度も何度も振り返って、「ばいばーぃ!またね~。」だって。
試合前に久しぶりに会った双子君とそのお友達みたいに、3年生、4年生、5年生に成長していく貴女を見たいです。
とても楽しみです。
少しずつ、私も日常に戻ります。決して忘れてはいけないものは一つだけじゃないから。うん。
=参照= 陸前高田へ入った看護師さんの現地記録
◆ブログもお休みしてうだうだしている時に、声かけをしてくださった方がおりまして、4/24の東京芝公園発-東電前までの反原発デモに参加してきました。震災前、この日はアウェー浦和レッズ戦に観戦する予定でいたんですけど、そんな気分はすっかり削がれていました。これじゃイケない、萎えてばかりじゃイケない、何かしていなくちゃ、でも何ができるんだろう、、、そう焦っていた時のこと。生まれて初めてのデモに参加してきました。その日の夜、テレビで取り上げてもいたけれど、まぁ、扱いは短くて、翌日の新聞で紙面をこれまた小さいけれど割いて扱ってくれたのは、東京新聞と中日新聞兄弟。本当は、NHKもAFPも東京テレビもロイターも取材に来てて、カメラも記者も映像と声を拾うのに躍起になってた感があったのに。。。それでも記事にしてくれるようになったということは、反原発、反東電の世論が高まってきたからなのでしょう。けれど、どうしても違和感を覚えてしまうことが、この反原発デモに参加する市民団体の中にもありました。デモ行進の前の集会で、年配のご婦人団体の方々が話も聞かずに、それぞれが作成した横断幕を褒めあっていた光景。およそ1.5メートル四方の布に、小さなモチーフと刺繍で丹念に製作された「げ・ん・ぱ・つ・は・い・ら・な・い」というキルト(パッチワーク)。この細かい作業は、手元に灯りがなければ出来ないもの。実際はどうであったかは知る由もないけれど、このキルトを製作するのに、どれほどの労力と電力を要したのだろう。(主催者の)話も聞かずに、きゃっきゃと楽しんでいる姿に、反原発というより、自己表現できる趣味の場と思っている人も居るんだろうなぁ、、、とぼんやり。なんか違うんだよなー。そして今日、この記事を読んで、更に違和感。
◆デモは楽しい!歩いて声出して、運動不足解消して原発停めよう
デモの呼びかけをされる方、それに応じて参加される方の勇気や、労力は、頭が下がります。なかなか思いはあっても行動に移すことはできませんので、敬意をはらいたいところですが、このタイトルは酷い。「仲間を増やして、ダイエットをみんなで楽しもう、そのついでに反原発を訴えよう」としか読めません。趣味ですか?楽しみながらデモ???全くわかりません。私には苦しかったです。正しい主張だとしても、公衆の中で声を張り上げることは正直恥ずかしかったです。容赦ない視線を浴びることや、携帯カメラを向けられることは嫌でも、福島県のことを考えると、何のことはありませんでした。。。しかし、同じデモに参加した(と思われる)この方の意見は、このデモをどれだけ真剣に考えているのだろう。サークル仲間のイベントとしてしか考えていないのではないか。焦燥感が伺えない。それは耐えられない。「デモは楽しい!」などと言うなっ!こういう発言が、右側の人を刺激するのだと思うので。。。
◆東京で1泊して、昨日帰ってきました。昨日のうちに久しぶりにエントリーをあげようと思っておりましたが、なんだかへとへとに疲れてしまいました。初めてのデモ、そこで新しく見たもの、聞いたもの、感じたもの。肯定的なモノと否定的なもの、共感と違和感、なんとなくモヤっとしていたもの全てが帰宅したとたんに迫ってきて、熱が出て、37.5°。どうも私は受けたモノが大きすぎると体調に影響しやすくて、この歳になっても、子供が知恵熱を発するのと同じ傾向にあります(笑)。初体験デモよりも、自分にとって重要且つ刺激的だったのが、日曜日の早朝、東京へ出かける前に見たNHKの番組は辺見庸さんの震災に対する考察。世に倦む日日さんが、活字化してくださっていますので、是非ご一読を。私は特にこの一言に重きを置きます。
僕らはまだ3・11から時間がそれほど経過していないので、正直、呆然自失していると思うんです。その理由は、その破壊の大きさと、あのダイナミズムをあらわす言葉を誰も持っていなかったということだと思うんです。それを言い表す言葉が数字以外にないということは、こんなに実は淋しいことはない。皆さんが待ち望んでいるのは、水であれ、食料であれ、暖房かもしれない。と同時に、胸の奥に届く言葉でもあるような気がしているのです。それは決して、がんばれとか団結とか復興とか、通り一遍の言葉をスローガン的に言うことではない。
なぜあんなに自分が萎れたのか、わかったような気がしました。そう、あの現象を明言化する言葉が見当たらなかったからです。表現し尽くせない現象、悲愴、絶望。。。しかし、それは本当に我々に表現できない言葉なのだろうか。遠い昔にもこの規模のような自然災害は記録として残っています。その当時の人は何と表現したのだろう。やはり、言葉は無かったのだろうか。。。悶々としている内に出てきたのが「想定外」という無機質で、質量のない、生命を感じない言葉でした。淋しい。腹立たしくて、無力で、あまりにも淋しい。自然の暴威は、人智で測ることは不可能で、今後も、やっと復興した東北地方にまた大地震が発生し、人々は大津波にのまれることでしょう。。。だって、自然の前には、「有り得ないことなど無い」のだから。人の手による災害対策を語るより、被災し、何もかも無くした人々に対し、心に留めてもらえるような温かい言葉を探し、吟味し、選び、或いは発見する努力をしていかなければ。言葉が倦んでいる。傷ついている人々に与えられるべき、ふさわしい言葉があるはずで、その言葉を見つけることが出来るのは我々人間です。そんな言葉を見つけましょうよ。生き残った者として、大人として、力と希望を与えられる言葉を発しましょうよ。今すぐ出来ないのなら、そんな言葉を探しましょうよ。他人の借り物の言葉ではなく、自分の言葉を発しましょうよ。拙くても、自分の言葉で果敢に試みることが被災者、とりわけ亡くなられた多くの命に対する「誠意」だと思います。いい大人が2ちゃんねるを批判しながらも、汚い言葉を使うのはやめましょうよ。怒りに任せて罵声と嘲笑による政府批判はやめましょうよ。
例えば、こういう傾向を否定することも一歩かと思います。
http://rocketnews24.com/?p=91065
ブラック・ジョークは、何処から何処までの範疇か定義などされていません。定義がないことが「言論の自由」なのかもしれないけれど、これは笑うに笑えません。なんでもかんでもブラック・ジョークで済ませていいものでしょうか。「かっわいい~」 「欲しい~」 と香ばしいツィートをされる方々の気が知れません。何から何までおかしいと思ってしまうのは、私がおかしくなってるからなのでしょうか。。。けれど私は、吐き気がします。
| 01 | 2026/02 | 03 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |
| 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
| 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
| 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
