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たかだか2泊3日の旅行を、どんだけ~引っ張って♪(るん)ざましょ、、、わたくし。
もし興味がおありでしたら、あと2・3話お付き合いくださいませ。(そんなにかッ?!)
さて、宮島の管弦祭。
旧暦の6月17日の大潮に行われる神事で、篝火を炊いた御座船が、2艘の船に導かれ
10日間に渡って執り行われる日本の三大海上渡御だそうです。
広島市江波の漕舟と呉市阿賀の漕舟が、御座船を引いて行くんですね。
平安の時代の貴族達は、池や川に舟を浮かべて管弦の遊びを楽しんだそうですが、
それがいつの間にか海上渡御となったそうです。
10日間に渡るお祭りの、クライマックスが、今年は8月7日。
ビバ厳島!!
22時のナイトクルーズで、観光船が動き出す。
本当は辺りは真っ暗で、朱の鳥居のライトアップだけのはずなんだけど、今日は水面にたくさんの
明かりが揺れている。
観光船がだんだん大鳥居に近づいてくると、御座船から優雅な雅楽の音が響き、漕舟からは
木遣りの威勢のいい掛け声が上がる。
幻想的な光景だ。
空には満月。
神秘的な光景だ。
御座船が大鳥居に大接近する時、こちらの観光船も大接近。
カメラを向けるとその様子に気付いたのか、漕舟から一層大きな歓声が上がる。
木遣りを唄いながら、
「よっ、べっぴんさん!」
「嫁に来てぇ~っ!」
ここは海外かっ、キサマは外人かっ!
大体格の高い女神さんが祭られるお宮の前で、そんなこと言っていいのかッ?!
酔うと日本人も大胆に変わるもんだ。。。
海外では、やたらと無愛想な女が居るもんだけど、なんとなく気持ちがわかるような気がした。
フラッシュを思いっきり焚いて、連写。
海に落ちるなよぉ~。うっしっし。
観光船のガイドさんに教えてもらったんだけど、厳島神社に祭られている神さんは、
あの天照大神の3人の娘だそうな。
格の高い神様だもんだから、宮島の敷地内にお宮を建立することは控えて、海の上に建てたんだって。
この大鳥居も、地面(と言っても海だけど)に穴を掘って、おっ建てられてるんじゃないんだって。
だから鳥居の二本の脚を支えるために、その二本の脚を支える支柱が二本ずつあって、
倒れないようになってるんだって。
祭囃子がだんだんと遠ざかってく。
木遣りの掛け声も遠ざかってく。
管弦のピーヒャララの音色の合間に、木遣りの「ヨーォ」なんて合いの手が上がってね、風流だったねぇ。。。
海べりを照らす灯篭の数は百八つ。
明日、そこに乗り込むからな、待ってろよっ!三姉妹!
って、なぜに上から目線。。。
およそ30分のナイトクルーズも終り。
また静かな海が月明かりを揺らしておりました。
本当は恨み言の一つも言いたくなった。
格の高い女神さんが3人も揃ってて、なんであんな爆弾を、、、。
やめよ。
月が悲しそうなので。
星が叫ぶように瞬きはじめたので。
ホテルに戻り、あと1時間で閉まってしまう大浴場で、汗を流す。
髪を洗い始めたら、またうわーーーって気分になって、涙がぽろぽろこぼれてきた。
でも嫌な旅ではない。
また来年も来ようかなと思う。
そうだ、来年は千羽鶴を持って来よう、、、なんて思った。
小さな祈りでもいい、何の役にも立たないほど、ちっぽけな祈りでもいいや。
そんなことを考えながら、涙を流しながらゴシゴシと髪を洗った。
さっぱりして部屋に戻り、今日身に付けていた服をザブザブ洗う。
何やってるんだろうね、こんな夜中に(笑)。
全部浴槽にぶっこんで、お湯を溜めて足で踏んで、豪快に洗った。
アタシの旅が驚く程に軽装なのは、こんなことをしてるから(笑)。
ビール片手に同時に洗濯もしちゃう。
小物は浴室に、カーディガンとワンピースはバルコニーに干して、おまじない。
「おめぇら、ぜってー明日の朝までに乾きやがれ!」っと。
Everybody Wants To Rule The World
関係ないけど、この人達、マギヌンに似てない?
炎天下の広島。
てくてく。てくてく。てくてく。
もういいだろう。ホテルに行こう。
そう思ったのは16時頃だっただろうか。
広島駅から宮島口へ向かうため、JR線に乗る。
幸い改札を抜けたとたんに目的の電車が到着し、これまた幸いなことに座席は随分空いている。
ふぇ~っとばかりに座席に沈み込んだ時、腰の曲がったおばあちゃんが、
「これは岩国行きですか?」
っと訪ねてくる。
地元民ではないんだけどね、、、(笑)。
「はい、そうですよ。どうぞ。。。」
そう言って隣りの席を示した時にドアが閉まる。
「はてー、旅行者には見えなかったのかな???」
っと考えたとたんに、青くなった。
そうだ、小さいとはいえ着替えを入れたバッグを、広島駅のコインロッカーに預けていたんだった!!
まったく、、、このテの失敗は毎度のこって。。。
しかし、このおばあちゃんに話しかけられていなかったら、あたしゃそのままホテルに向かっていただろう。
おばあちゃんに深々と頭を下げ、隣り駅の横川で降車し、また広島へ戻る。
もう、笑っちゃう。
自分のアフォーさ加減を一人でニヤケながら、また戻る。
もうね、楽しくってスキップしたい気分。
そんな些細なアクシデントがありましたが、なんとか無事にホテルにチェック・イン。
本当は小さな民宿とか、ビジネスホテルでも良かったんだけど、ここしか空きがなかったのだ。
夕食と翌日の朝食が付いた、立派なホテルである。
部屋に通されると、小さいバルコニーがついている。
対岸は厳島神社の朱の鳥居が見える。
わぉ、眺望オッケーだ!
そのバルコニーに、部屋の肘掛け椅子を、うんしょうんしょと運び出して、冷蔵庫でキリリと冷やされたビールをプシュっとやって、
マッタリーノ、マッタリーノ。
歩き疲れた脚を放り出して海風に当たりながら、プールで遊ぶ子供達の歓声を聞き、間断のない蝉時雨を聞き、
すっかりリラックスしたアタシは、あろうことか、今日流した涙のことは、すっかり忘れてしまうところだった。
バルコニーで、呆っと、乏っと、亡っと、忘っと、何かを思う。
何を思っていたのかは、某として思い出せ無い。
美しい海に漂うたくさんの紙切れと木屑。
ああ、あれは夕べの精霊流しの残骸なんだろうと認め、何とはナシに見つめていた。
どれだけそうしていただろう。。。
凪を過ぎてまた風を感じ始めた時、その日が満月だと思い出した。
急いでフロントに電話して、ナイトクルーズの空きがあるかを確認し、そのまま予約する。
厳島神社の年に一度の最大イベント、管弦祭の夜なのだ。。。
22時のナイトクルーズに備え、今の内に食事を済ませようと1階へ降りる。
先付・椀物・向付と続く会席料理だったのだけど、、、。
やっぱり興味が無い(笑)。だから写真も無い。
でも美味しかった。
久しぶりに食べ物を美味しいと感じた。(これはアタシにはめったにあることでは無い。)
食べ物のことを美味いとか不味いとか言うのは、罰当たりな気がして、あまり言いたくないのだけどね。
食べることにあまり興味のないアタシが敢えて言わせてもらうなら、ご飯に手抜きをしてないかどうかだけ。
いくら副菜が美味しくても、ご飯が美味しくなければ台無し。幻滅。
そう、あたしゃ米屋の娘だでね。
会席料理では最後にご飯が運ばれてくるけど、これが一番美味しくなくちゃ全ては台無しだよ。
うん。
そんなわけで、ここの料理は美味しかった。(えらそーに!・笑)
ご飯が美味しかったりすると、
「あ、お刺身も美味しかった。」
「穴子の天麩羅もふくふくしてた。」
「お味噌汁の出汁が効いてたね。」
なんて感想も言えたりする。
メシ粒が大事なのだ、アタシには。
別にこのエントリーで言うこっちゃないけどね、本当に美味しいご飯を提供してくれるお店は、
少なくなってて、ちょっと淋しいな。。。
管弦際を間近で観られるナイトクルーズの時間まで、ホテルのロビーで新聞を広げました。
手に取ったのは8月7日の中国新聞の朝刊。
驚いたことに、紙面の半分が前日の平和記念式典のことで埋め尽くされていました。
作文を読んだ小学生の内容全文と、その英訳。
秋葉広島市長の平和宣言全文と、その英訳。
国連総会のデスコト議長(ニカラグア)の声明と、その英訳。
そんでもって、取るに足らないASO首相の発言とその英訳。
実に膨大な量の平和の祈りが紙面に踊っており、非常に驚きました。
この新聞を買わなかったことを、今でも悔やんでいるくらいです。
ココでも読んでくだされば、8月6日の翌日の中国新聞の有り方が少しでも伝わってくるでしょう。
実に膨大な。。。
秋葉市長の平和宣言を読んでいたら、膨大な核実験の抗議文を思い出して、また涙が出てきた。
弱ったことに、止まらない。
明日帰るのはどうしても忍びなくて、フロントに連泊を申し出たら、色んな条件を鑑みると
今日の宿泊料金に5千円上乗せされたような提示額。
女の一人旅で泣いてたりすると、いろいろ警戒されるんですかねぇ。。。
ま、いいっか。
満月、満潮。
管弦際はクライマックスだ。
中島みゆき - 涙 (yumemachi)
広島に来たからと言って、此れが食べたいなんて欲求はない。
もともと食べることは嫌い。
けれど腹は減るのだ。
浅ましい。
この後は、広島城→広島県立美術館→縮景園を訪れるため、また路面電車に乗るつもりだったけど
止め止め。
空腹を満たすため、猛暑の中を敢えて歩くことにした。
64年前の広島。
64年前の広島。
その片鱗を探そうと、日傘をくるくる回しながらひたすら歩くことにした。
紙屋町の観光案内所で、広島城への行き方を訪ねて地図までもらって、その場所まで行ったんだけどね。
なんとなくこの町をぷらんぷらんと歩いてみたくなったのだ。
ストラップの細いサンダルを履いてきたことを少し後悔しながら、それでも歩いてみたかったのだ。
歩いてみたところで、何の変哲も無いところなのだけど、広島は優しい町。
市街地の周辺では、地下道に降りる入り口では
「ご不明なことはお気軽にお訪ねください。皆様の快適な旅をお助けできれば幸いです。」
なんてアナウンスが流れてる。
またお腹が「ぐぅ」と鳴る。
忌々しい。浅ましい。
さっきまで散々泣いてきたのに。
もっと歩いてやる。。。
そう思っていたんだけど、お腹の欲求と座って休みたいと主張する脚のため、
そこいらのお好み焼きやさんに入る。
何でもいい。
食べ物はテキトーに選び、「それとビール!」の一言は忘れ無い(笑)
あ、「本当はこれが目当てでしょ」って言うの禁止!
んっとー。
お好み焼きが運ばれてくるまで、ビールを飲みながら読書。
今回の旅のために選んだ本は、辺見庸さんの「目の探索」。
もう十分だ。
食事はこれだけでいい。
やがて運ばれてきた広島風お好み焼きを、頑張って3分の2くらい食ス。
美味しいのか美味しく無いのか、よくわからない。
好みの味かと聞かれれば、きっと状況によってその都度違うだろうね。
会計を済ませて店を出る際、入り口のマットに気がついた。
広島カープのロゴとキャラの入ったオフィシャルものである。
サンフレッチェの自動販売機といい、なんて地元愛の強い町なんだろう。。。
不思議でしょうがなかったけど、、、
原爆記念資料館を観た後は、なんとなくわかった。
64年前から、ずっと人々が支え合って生きてる都市なんだ。
皆、傷を負ったけれど、軽度の者が重度の者を運び、介護し、そうやって100年は不毛と言われた
広島を支えて来たんだ。。。
マタ滲ム。
ビールが入った分だけ、流れるモノの温度はさっきとは違っているかもしれない。
Chopin Nocturne op.9 no.1
クラッシックの曲ではこの曲が一番好き。
8月7日は満月の夜だった。
こんな曲が似合う。
耳をそろえてきっちり支払って、平和記念資料館へ。
ここで見たことは、話せない。
正確に言えば、語れる言葉を持ち合わせていない。
溜息、絶句、滂沱の繰り返しだった。
あれ?でも25年前はこんなに立派な建物だったけ?
初めに、原爆が炸裂する映像。
広島、長崎に落とされたものだけでなく、実験としての映像も。
何度も何度も、ビジョンの中で炸裂していた。
爆心地の温度は5000℃とも6000℃とも言われている。
火と同じ。
忌まわしい兵器が投下された昭和20年の広島では、この年の末までに14万人が亡くなったという。
合掌。
その次は、膨大な資料。
ゆっくり読んでみたかったのだけど、夏休み期間中であったためか、金曜日にもかかわらず
思いのほか観客で溢れていました。
驚いたのは、その大半が外国人だったこと。
そして、幼い子供でさえ、騒いでいなかったこと。
只ならぬ雰囲気を知ってか知らずか、幼児でさえも泣き声一つあげなかった。
倒れそうなくらいにくらくらしたのは3箇所。
■ボロボロの子供服。
13歳くらいの子供達の服が展示されていました。
現代と違って、みんな小さいの。
首周りも丈も、小学校4年生くらいと思えるほど小さいのだ。
おそらくお母さんに縫ってもらったと思われる服がね、ボロボロで、血が滲んでいるの。
焦げ跡もあってさ。
■彷徨う人々。
即死を免れた人達は、それでも深刻な火傷を負っていて。。。
ちょっとした火傷なら、水ぶくれ程度ですむんだけど、なんせ爆心地の温度は5000℃だもの。
その熱風を受けただけで、重度の火傷となる。
その上、その爆風がすさまじいモンだから、倒壊した家のガラスや、木屑や、石が身体に突き刺さる。
べろんと剥がれた腕の皮膚は、爪のところでそれ以上剥がれなくて、指先に肉片をつけた皮膚を
垂らし、痛みに声を上げることさえなく、親族を探して彷徨う。。。
※原爆が投下された8月6日より、翌日の死亡者の様子は、本当に胸が詰まりました。
■広島市長の抗議文。
広島に原爆が投下されてからも、アメリカ、ロシアをはじめ、世界の主要国が核実験をしていて。。。
その数は戦後で2000回とも言われてる。
(アタシは、地球温暖化の原因はコレじゃないかと思ってる)
その度に、広島市長は核実験を行った政府にあてて、抗議文を送っています。
A4サイズの文書がA6サイズに縮小された形で展示されていました。
毎回毎回、これが最後の抗議文となるように祈っているんだって。。。
途中から、長崎市長と連名になってたりしてね。
日本の市長で、ここまで一貫した平和を訴える人物が他に居るだろうか?
気が遠くなるような平和運動を、孤独に続けている姿を思い浮かべたら、もうダメだ。。。
涙が止まらない。
東館から本館への連絡通路を渡ると、そこには原爆を投下された後の市民の苦しみの実態を
まざまざと見せ付けていました。
8時15分で止まった時計。
ガラスが突き刺さったタンス。
白い壁の『水をください・・・』というレリーフに、暗澹となる。
Michael Jackson- Heal the world (with lyrics)
しかし、人間とは浅ましいものだ。
朝、何も食べずに新幹線に飛び乗って、今は午後の2時過ぎ。
いくら暗澹として気持ちが塞いでも、お腹は「ぐぅ」と鳴る。
かくして私は、大量の涙を流した後、メシをあさりに資料館を後にするのだった。。。
アメリカは原子爆弾を投下した理由として、
「すみやかな戦争終結を願い、苦しむことなく一瞬の内に死ねる爆弾を使用することにした」
なんて、この新型爆弾の実験的使用を正当化す声明を発表したけれど、
では何故、今も原爆症で苦しむ人が存在するんだ?
こんな爆弾を二発も叩き込まれて、ボロボロになった敗戦国、日本。
アメリカは日本に謝罪したか?
戦いに勝ちさえすれば、何もかも許されるのか?
日米安保理なんて糞食らえっ!だ。
日本を守るだとうぅ?
自国の論理で、世界中でやりたい放題、他国を破壊し放題してきた馬鹿大国の言うことなんざ、どれも嘘ばかりだ。
ヤツらなんかをまともに相手にする必要はない。
戦争抑止のための核武装が、日本でも叫ばれ始めて久しいけれど、
それは要するに、他国への脅し以外の何物でもない。
ヤクザな国になって欲しくは無い。
アメリカやロシアや、北朝鮮と同じ鬼畜レベルに成り下がって欲しく無い。
核武装をすれば、アメリカと対等に発言出来るのか?
冗談じゃない。
日本におけるBig Brotherはアメリカ。
色んな想いがこみ上げてきたけど、、、この原爆の子は、鶴を掲げている。
ひたすらに、平和を願って。
そうだ、憎しみを持ってはいけない。
それは平和に最も遠い感情だから。。。
奉納された膨大な折鶴を見ていたら、少し気持ちが落ち着いてきました。
攻撃的になってはいけない、平安を保たなくては、、、。
夏空、陽炎、蝉時雨。
平和がいい。戦争の無い世界がいい。
一組の家族が、千羽鶴を奉納していました。
小さな男の子が、お父さん・お母さんに守られながら、細く弱々しい腕に千羽の鶴を抱え奉納していました。
ふっくらとした掌で、合掌する姿を見て、、、
マタ滲ム。
汗なのか涙なのかわからない水滴を拭いながら、平和記念館へ向かう時、
祈りの火が見えてきました。
人の両の掌の上で燃える、平和を願う火です。
しばし佇む私の横を、大勢の学生さん達が過ぎて行きました。
皆神妙な顔をしています。
概ね4~5人くらいのグループで行動していたので、夏休みの課題か何かなのでしょう。
グループが違えば制服も違う。
修学旅行ではなく自由学習なんだな、、、なんて会得したら、ちょっと羨ましくも思えました。
一人だけで颯爽と歩く女子学生もいて、少し感動スル。
式典で見慣れたモニュメントが見えてきました。
整然と生けられた黄色の菊の花があまりにも美しく、TVの映像では伝わらない、生々しさが
64年前の惨劇は、遥か昔のこととはいえ絵空事ではなく、現実だったのだと想起されました。
線香の香、たなびく幾重もの煙。
立ち並ぶ菊の花を前にして、厳粛な気持ちになり手を合わせる。
迷うことなく、核の無い、平和な世界を築けますように。。。
戦没者の方々におかれましては、護国の鬼となって衆愚を導いてくださいますように。。。
夏空、陽炎。
64年前の今頃は、この辺りは。。。
涙腺が弱くなってきてる。
また涙が滲んできやがった。。。
ちっ。
Bob Dylan's Masters Of War performed by Sam Bradley
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