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カミュの「異邦人」を繰り返し読んでいます。
この本に初めて出会ったのは高校生の時。
「不条理」に際し、人がどのように対処するのか、或いは本意が捻じ曲げられて世間に伝播してしまうのかを、ユルユルの頭でも一生懸命考えたものでした。
イカれた若者のつまらない話だと思った当時の拙い感想は、今になってとんでもない間違いだったと思う。
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。
肉親が死んで、笑うことを許されるのは何時からなのか?
喪が明けるまでは笑ってはいけないのか、映画を見てはいけないのか、異性と関係を持ってはいけないのか?
初めて読んだとき、イカれた若者だと思った主人公ムルソーは、イカれてなどいない。
ごく普通の人だった。
母の死の翌日に海水浴に行ったことが何だというのだ。
女と関係を結んだことが何だというのだ。
映画をみて笑ったことが何だというのだ。
しおたれて神妙にしていることだけが「よし」とされるのだろうか。
改めて読み返し、この本に具体的に書かれていないムルソーの行動にこそ、真のムルソーが浮かび上がってくる。
母が死んだ4日後の休日、通夜も葬式も終えた彼は、バルコニーに椅子を運び、一日をぼんやりと過ごします。
この何もしない(手につかない)一日が、重要なのではないか。。。
見慣れた日常を、とつとつと、眺め、何らか変わらないことを見出す。
その場面が、とても重要だと思う。
何が起こっても、世間には何の影響もない。
人生の無意味さと、人生の無償を感じた瞬間ではないだろうか。
養父が亡くなった日のことを思い出しました。
通夜と葬儀のために帰宅する途中、兄が運転する車窓には、平和な家族を運ぶ車が見え、長閑な田園風景がどこまでも広がり、やわらかな日差しがフロントガラスに注ぐ、何時もとなんら変わらない情景。
自分にとって大切な人が逝ったのに、世間には何の変化もない。
今思えば当たり前のことだけど、それを思い知った時は衝撃的だった。
私はなんとか今尚、この世でまっとうに生かされているけれど、人生の無意味さと、人生の無償を知ったあの衝撃は、自暴自棄になるには十分だったと思う。
カミュの異邦人は破壊と破滅の話だけれど、多くの命題が隠されていると思う。
無意味な人生、無償な人生とどう向き合っていくか。
人はどのようにも転ぶけれど、どのようにも飛躍することも許されている。
自分の到達点を勝手に決めてはいけないし、他人をそのように見てもいけない。
人の敵って何だろう?
折れてしまう程の敵って何だろう?
それは、人それぞれだけれど、平たく言えば「不条理」ってやつだろう。
こいつに立ち向かうには、やっぱり一人では無理かもしれない。。。
思い出だけではつらすぎる 中島みゆき
捨てるほどの愛でいいから 中島みゆき
みゆきさんが好きな理由は、繰り返される「あなた」という言葉に、普遍的な匂いを感じるから。
不条理に立ち向かう勇気とヒントを与えてくれそうだから。
自分に嘘つかないで生きることはほとんど無理。
自分がそうしたくてもまわりが許してくれない。
>不条理に立ち向かう勇気とヒント
自分の嫌なとこ、汚いとこ、ずるいとこ、
全部知って、許して、そんでもって励まし続ける。
自分をなるべく良い状態にもちあげる。
これって甘アマ過ぎますかぁ~♪
コメントありがとうございます。
改めてこんなことを書くことを、貴女は嫌うかもしれませんが、
貴女程にたおやかでありながら、芯のしっかりした人は、私の周りにはいませんよ。
アタシなんか、ついついウジウジとつまんないことを書いて気を紛らすズルイ者です。
貴女は違う。
>これって甘アマ過ぎますかぁ~♪
知ってるくせに~、このこのっ。
わたくしも相当に、自分に甘い者ですが、ぱーるぴあす様がご自分を形容する「甘さ」とはレベルが違う。
貴女は「甘い」などと謙遜しておられますが、そこには普遍的な無償の愛が感じられます。
大袈裟な表現になっちゃったかもしれませんが、私はそう思ってますよ。うん。^^
ほんっと、ぱーるぴあす様の言葉を読んでるとね、いい歳して、なんだか無性に甘えたくなる時があるのだ。。。えへへ。
鋭いコメントのシンシア恐るべし・・・そして、それに的確に答えるアワビも恐るべし・・・。
う~ん・・・女は怖いね・・・・。男は女の前ではオッパイねだるだけの赤ん坊の如き存在なんだなぁ・・・。
ひゃ~怖い怖い。
君子???危うきに近寄るべからず・・・・。
コメントありがとうございます。
ね、どこどこ?!
君子って何処何処?!
今日さ、豊スタで試合開催する時に協賛してくれる、地元の「根羽村」の地域活性化産業地、その名も「ネバーランド・爆」さんが、新鮮な牛の乳をくれたんだよね。
赤ん坊のごとき君主に進呈しようと思ったんだけど、、、居ねぇ。
人生は紙一重だって書きました。
母親が死んで号泣するか映画に行くかは紙一重。
人を殺して尤もらしい理屈を言うか太陽のせいにするかも紙一重。
そして紙一重の違いなのに結末は大いに変わってくる。
不条理というか諸行無常かwww
感想文、カフカの『変身』とか三島の『金閣寺』も書きました。
読後感、似てるかな。
コメントありがとうございます。
いつも拙ブログを覗いてくださって、どうもありがとうございます。
(なので、始めまして、、、と言うのはやめておきますネ)
私がこの本を読んだのは高校3年の時、養父の容態がいよいよ危なくなる直前でした。
一人で悶々として泣いて、平静を保てない当時の私には、「人生は紙一重」なんて冷静な判断は出来ませんでした。
貴方はすごいっ!!
>そして紙一重の違いなのに結末は大いに変わってくる。
今ならよくわかります。
与えられた社会に迎合し刑を免れるか、敢えて嘘の無い持論を貫き死刑を待つのか。
自分の心情を上手く話せるか、話せないか。
この本は、私自身の転機に出会った一冊なので、とても思い入れがあるのだけれど、未だに謎だらけで読みこなせていません(笑)。
だから何度も何度も読んでいます。
傍から見れば、ムルソーは不条理で諸行無常とも言えます。
しかし彼自身は死刑台に上る際に、大衆が自分に憎悪を持って迎えることを望むのですね。
ここんとこに、伝わらない母への愛と、殺人を犯した罪の重さを感じる彼を感じるわけです。
不器用と言えばそれまでですけど。
レスコメを書いているうちに作家の「原民喜」さんを、なんとなく思い出しました。。。
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