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◆週末、例の件で大宮へ(笑)。鯱さんが踏ん張ってくれた試合。なんとか柏さんガンバさんに振り落とされないように食らいつけた試合。大宮さんの2ゴール、典型的な鯱さんのディフェンスの甘さ。悔しいけれど、この当たりも鯱さんの魅力にありつつあるんじゃないかと(笑)。アタシは嫌いじゃないなぁ。Jリーグも終盤となりました。今年は震災の影響で一時はどうなることかと思いましたが、興行者側にとっては胸を撫で下ろしました。しかし、7ヶ月も経って一向に復興の目途が立たない地域が事実には、心苦しいというか。。。ベガルタさんが善戦していることに救われる思いがします。山形さんも甲府さんもどうか踏ん張って、降格圏から脱して欲しいと願っています。けど、鯱さんのホーム最終vs山形で、もちろん手を緩めるつもりは全くありません。もちろん敬意を払って全力でいきます。

◆翌日、大宮市外を探索。有名な氷川神社を目指しながら、小さな路地とかをぷらぷら歩いてみました。サンフレッチェ仕様の自動販売機こそ見当たらなかったけれど、商店街の街灯にはアルディのフラッグが掲げられ、店頭にはアルディのポスターが貼られていました。なんと、氷川神社手前にある古びた小さな図書館にも。不思議な光景、、、と言ったら失礼に当たるのでしょうか。鯱さんのお膝元である名古屋市は、名古屋ドームに続く地下鉄のコンコースを「ドラゴンズロード」として選手ボードなどを派手に掲示しているけれど、鯱さんについては冷たいもので、ホームの瑞穂競技場の最寄駅に、やっとフラッグ2本とポスターの掲出を許されているばかり。それくらい公の場での露出が制限されている感がありまして。その図書館に、アルディの選手が「息子に読み聞かせたい本」を挙げて思いを綴っていたのを見て、こういう活動こそ本当に大切なのではないかと。身体を動かしてサッカーを楽しめる子ばかりではないのだから。はて、うちの選手は。。。(苦笑)

◆氷川神社を訪れる前に空腹を覚え無性に美味しいお米が食べたくなりました。それは、つい先日、昔の会社の上司(今は社長!ひゃーっ)と同僚の飲み仲間で入ったお店の〆のお米の味が忘れられなかったからかもしれません。美味しいお米、食べてます?一昨年、会津若松を旅行した際に泊まった宿の朝食の「おかゆさん」は、久しぶりに美味しいと感じたお米でした。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、「日本の美と文化」を味わえたと思っています。その会津のお米の味にはちょっと及ばないけれど、会津の旅行から2年が経ち、久しぶりに美味しいと思えたお米でした。お米から立ち上る湯気から、ほのかな土とお米特有の糠の香り。それだけで新鮮なお米だってことがわかっちゃう。一口含んで、すぐに広がる甘み。お米の味。お米の味。お米の味。副菜なんて何もいらない。この仄かな土の香りに、生産者の姿が見える気がする。山、大地、空、虫、風、雨、太陽。護り護られながら汗する一次産業の人々が、くっきりと浮かび上がってくる気がする。自然から糧を与えられ、喜ぶ長閑な歌が聞こえる気がする。が、昨日かの地で食したお米には、香りも歌も味わいさえもありませんでした。その店は美味しいお米を提供するってことで知られてるらしく、名古屋にもFC展開してるのですが、あの価格で行く価値なし。はっきり言ってがっかり。驚くことにこの店に集ったお客達は、そんなお米に舌鼓。ま、食べられるだけで幸せってことを噛み締めないといけないのかな。でも、なんか違う、、、なにかが違う気がする、、、そんな疑問は何処に仕舞えばいいのだろう。騙されているような気がしてならない。この程度のお米に堪能出来るんであれば、そりゃ国内農業なんて要らないのかもね。TPPかぁ。このままじゃ参加を許しちゃうんだろうね。ブランドとかネーミングライツに飛びついて、実は何もわかってない空疎。

◆7ヶ月前の震災における政府対応の鈍さと中野剛志氏の「ショック・ドクトリン」談で、政府は東北の復興支援など全く考えちゃいないってことは気づいていたけれど、それを認めたくない気持ちもありました。けど、TPPだ(笑)。自国の生産者、労働者を護ろうとしない日本政府って一体何だろう。。。東北復興の構想すらない政府が、しゃあしゃあと「復興増税」と給フ。何に使うんです?その税金。



美の監禁に手渡す者

納税告知書の赤い手触りが袂にある、
やつとラヂオから解放された寒夜の風が道路にある。

売ることの理不尽、購ひ得るものは所有し得る者、
所有は隔離、美の監禁に手渡すもの、我。

両立しない造形の秘技と貨幣の強引、
両立しない創造の喜と不耕貪食の苦さ。

がらんとした家に待つのは智恵子、粘土、及び木片、
ふところの鯛焼はまだほのかに熱い、つぶれる。

昭和6.3
高村光太郎


東京には空がない、、、と智恵子は言ったらしいけど、では今東京に残っているものは何だろう。愛知には空はあるかと帰って天を仰ぐと、電線に切り取られ分断された青い背景がありました。
原子力発電所から送電される電力、会話、ツィート、メールを載せた黒い線がやけに目に付く。
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食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、スポーツの秋!

ま、要するに何でもアリって季節が「秋」なのではないかしらん。
酷暑と厳冬の間に位置する季節として「春」ってーのもあるけれど、新年度のスタートってことで出会いと別れの季節でもあるから、緊張感が漂ってる。
あたしゃその緊張感が嫌いなんだけれど、秋ほどには嫌悪していない。
まるっきり主観なんだけど、秋はまるで弛緩しきったような季節であるようにしか思えないんだな(笑)。

弛緩しきった己を更に弛緩させるべく、明日は野球観戦と洒落こみます。
あれれ、ドラゴンズがいつの間にか首位デスかぁ?鯱さんチームもそうありたいものです。

野球観戦は毎年3~5回の頻度で行っておりまして、ほぼ女子会です(笑)。
解体女医とか、飲み友のコジとか。
今年は珍しく明日が初観戦なり。ま、今年はいろいろありましたもんね。

1年ぶりの野球観戦に臨み、さーて、ビール片手に何を食らってやろうかと。
コジも私も飲みだすと、気がつけば何も食べていなくって、流石に口が淋しくなって何かツマミになるものを、、、と思うのだけど、「これは!」と思うモノが無いのです。
ビールのツマミといえば、ポテトフライだったりフランクフルトだったり、揚げ物・枝豆なんだけど、夏でも冬でもコジとアタシは温かいものを好みます。
「夏でもカモーンおでーんっ!」
ってな感じ。
けど、おでんを食スには両手がふさがっちゃって、いい場面に容易に立ち上がって拍手なんて出来ないから残念(-~-)

そこで、コジと観戦する際のビールのツマミは、売り子さんから買える「ちくわ」に定着しました。

「アタシたちどこまでもオヤジだねぇ。」

と、ちくわを1本つまみ、口に運ぶコジに対し

「あのね、ホントのオヤジはさ、こうしてこうやって食べるのさ」

っと、ちくわの穴に指を突っ込み、ぶるんぶるんまわしながら、イイ場面に立ち上がり拍手し快哉してみせたら、コジが言うことにゃ、、、

「曲折を経て、子供返りした哀れなオヤジみたい」

な、なんてことを。。。

キサマもいづれそうなるんだーっ!

明日は中日vs巨人戦の二日目で、絶対巨人ファンのコジを誘おうと思ってました。
いただきモノのチケットの座席を確認すると「ダイヤモンドシート」ぢゃないの。
びつくりしてしまひ、コジにその旨を伝えるのに使ったのが、

「ゴール裏の、チョーgoodな席でっせ~。」

職業病かしらん。野球にゴール裏ってありえんっちゅーの(爆)。
そのうちに、カラス除けネットが張られているゴミ置き場のこともゴール裏と言ってしまいそうで恐怖しま酢。

地元球団を応援したいので、嫌いな巨人なんか応援するわきゃないけども、シーズン途中に辞任表明しやがった落合なんかはもっと嫌い。
どっちが勝とうが負けようが、ま、コジが喜んでくれるならいいや。

実はわたくし、、、鯱さんのホームゲーム以外のとこでスポーツ観戦(ジャンル問わず)で応援するチームが分けるところは観ても、負けるところは観たことがありませんでした。(←だからーぁさげ○んではないでしょ)

唯一の負け試合が、昨年の元旦の天皇杯。G大阪にメタメタにやっつけられました。
一緒に行ったヒトが負けを呼び込むヒトだったのかなぁ~(爆×3)

今年も名古屋は「野」も「蹴」もいい線いってますネ。やっぱり地方が頑張らないと!

今日は、本日の出来事を簡潔に。

夕方、妙にお腹が空いてしまい、久しぶりにオムライスが無性に食べたくなりました。
仕事帰りに友達と食事でも、、、と思い

「オムライスが食べたーいっ!いこいこ!」

なんてメールを送ったら、ソッコーで返信がありました。

「こんなので良ければ作ってやるよ。ただし、ソースは絶対ケチャップだから!」

んまー、優しいこと!
なんだか嬉しくなっちゃって、添付された写真を開いてみたら、、、












5342a589.jpg





画像をクリックすると拡大します。


ぎゃーっ!ってなもんです。
わ、わたくし、貴方に何か恨みをかってます?

確かにオムライスなんだけど、ソーセージとたっぷりのケッチャップが添えられているだけの普通っちゃ普通のオムライスだけど、こんな遊びは何かバチあたりな気がするぞっ!
ソッコーでこんな写真が添付されてきたってことは、どこかで仕入れたネタの披露なんだろう。。。
ちぇっ、アタシに使うなぃ。

一気に食欲が失せた。

ってか、当分オムライスは見たくないなぁ。。。(わたしもケチャップ派)
 

年末年始のお休み、12月26日~1月5日まで。
11日間もの大型連休でしたが、休みボケもなく、昨年の仕事始めの心持ちとは明らかに違っており、すっきりした気分で職場に向かうことができました。

昨年は、実は非常に苦しい1年でした、長い社会人生活の中でも、苦しい1年でした。
私が最も嫌うのは、「単調な生活」。
7年間も変化の無い、同じ仕事を続けていることが、とにかく苦しくて辛くて仕方がありませんでした。
財務経理と税務が多少出来るってだけで、面倒なものや嫌なものを押し付けられている感が日増しに強くなり、始めはアナーキーのつもりで居たけれど、もうどうでも良くなってました。
昨年は、自分の年齢も考えず、何度「辞めよう」と思ったか知れません。

そんな内面が如実に生活に表れた2010年。
右には、出世願望しかない某大手企業の出向社員の媚男。
左には、会社を自宅の茶の間と勘違いしてる傍若無人な2チャンネルな女。
現実から逃避したい毎日の連続で、「残業なんかしてられっか!」っとばかりに、毎日定時でさくさくと退社し続け、貯まりに貯まった有給休暇を消化しました。長い社会人生活で初めての月平均2.5日という消化実績!(爆)

その甲斐(?)あってか、余程の暇人と思われたのでしょう。

2011年1月1日付けで異動がありました。

総務・経理部に、事業部の運営グループからホームタウン推進業務が異動してきました。

はい、わたくしの仕事(財務経理)は全く減らないまま(当たり前だけど)、ホームタウンを2つ担当することになりました。
ホームタウン推進というのは、Jリーグ百年構想の一環で、万人にサッカー文化を根付かせながら地域貢献と活性化を目指すという理念ナリ。

ずっと取り組みたいと思っていたこと。
それがようやく叶ったのは嬉しいのだけど、私が担当するのは生まれ育った実家の地域。
ホームタウンって、鯱さんチームの場合は、平たくいうと地域商店街のこと。
実家は廃業し、商店街組合から脱退して久しい今になって、この地域の担当になるとは。。。
なんという神の悪戯だろう。

バブルが崩壊して20年、地方はずっと息をひそめて、景気が回復するのを待ち続けていました。

「今さえ乗り越えれば、また良くなる」

こんな言葉を商店街の誰もが呪文のように唱え、自らを奮い立たせていました。

我が故郷は、某大手自動車メーカーのおかげで、他地域に比べて財政は非常に潤っております。
20年前の東京でも見たことが無い、人を感知するセンサーで稼動するエスカレーターなども、導入し
閑散とはしているものの、綺麗な都市です。
帰省する度に、「都市開発って、街並みを綺麗にするだけじゃないよね。。。」っと実感させられます。

留学中(24年前)、日本の首都TOKYOを知らないアメリカ人は珍しくありませんでした。
もちろん、大阪も名古屋も知らない。
けれど、豊田市の出身だと言うと、誰もが「えっ?車のTOYOTA?」なんて反応をしてくれました。
(私が暮らしていた学生街では、HONNDAのCR-Xが大人気のようでしたけどね)

なぜ、こんな世界のTOYOTAの街が、これほど閑散としてるんだろう。。。
昨年は、悪鬼たるアメリカに50億円もの制裁金を支払ったそうな。
経団連に倣う経営陣は大嫌いだけれど、技術者や製造者のことを考えると、悔しくてたまらない。
そんな捨て金を払うくらいなら、鯱さんチームに・・・(ry

わずか1時間ほどで帰省できてしまう街で、帰省という言葉を使うのも憚われるのだけど(笑) 
停滞し続けて久しいこの街を活性化させるのは、行政だけでなく、他力も必要なのでしょう。
しがない蹴球会社のホームタウンイベントで、何が変わるだろう、、、変わらないかもしれない。
でも、変わるかもしれない。。。

悲観するのは易しいけど、アタシはそうでありたくない。
飲んだくれる暇もないくらい、少々忙しくなりそうだけど、今年は、生まれ育った街の活性化を真剣に考える年にしようと思います。p(^-^)q

うん、頑張る!



 

だけ!だけ!キミだけが好き!
なんて歌ってたのは田原俊彦だったっけ。
QUEENのこの曲とあまりにも似てて、驚きつつ笑っちゃいました。
25~30年前?

滅法古くなっちゃったけど、ディスコチックな響きが懐かしいなぁ。。。
 

nenga0404s.jpg 拙ブログを覗いてくださる皆様、ご丁寧に年末年始のご挨拶をくださった皆様へ
 
  皆様にとって素晴らしい年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

平成23年正月
 とらよし拝


 暮れに些やかな帰省をし、2日の夕方にまた狭い日常に戻って参りました。
 
 今回は、養母と二人だけのちょっと寂しい正月でありました。。。

養父が亡くなって25年になるけど、米屋を営んでいた5年程前までは、養母が求心力となり、皆に声をかけ、正月くらいは兄妹で食卓を囲んでおりました。
けど、一昨年の年末年始は長兄が体調不良で、昨年の年末年始は、鯱さんチームが天皇杯決勝なんてことに相成り私が帰省しなかったところ、今年は誰も集まらず。。。
次兄家族など二世帯住宅なんだから、降りて来ればいいだけなのに。

豊田スタジアムでホームゲームがある時には、実家に立ち寄ったりもするけれど、泊まるのは2年半ぶりくらいかな。
ひょっとしたら、ろくに話を聞いちゃくれない息子達よりも、養母は、私と二人だけで過ごしたかったのかもしれません。

31日の夕方、実家のドアを開けようとすると養母の足音が聞こえ、鍵を差し込もうとすると同時にドアが開く。
いつもそう(笑)。
荷物を解いて、コートを脱ぐと同時に、酒のアテとか手料理には違いない手作りの漬物の数々が「これでもか!」くらいにテーブルに並べられました。
瓜の漬物、大根の漬物、金山時味噌、板わさ、らっきょう、数の子、これだけ食卓に並べられると「もういいってばっ!」って言葉しか出ないよまったく。。。

HNKの紅白が始まるまで、出されたものをツマにして、ぐいぐい飲んでいたら、

「ご飯食べとらんで、腹減っただら。すき焼きでも作ってあげーか?肉買ってあるで。」
(三河弁訳:「ご飯食べてないから、お腹空いたでしょ。すき焼きでも作ってあげようか?お肉買ってあるし。」)

などと言う。
こんな時間にすき焼きなどまるで欲していないけれど、差し出されたお肉のパックを見ると、
最初は100グラム2100円の値札が付いたものが、セールで800円となっている。

「おかん、でかした!!すごいすごい!」

っと言おうとしたら、そこには「ローストビーフ」の表示。
ま、昭和一桁生まれの養母にとっては、これが生肉に見えても仕方あるめぇ。
すき焼き用に使っても、全く問題ないと思う。。。たぶん。

それからしばらく、養母のマシンガントークが続く。。。うぅ。
長兄夫婦・次兄夫婦に対する愚痴とご近所さんや友達とのやりとりなど。
間断なく続き辟易するけれど、そこから逃げ出そうとしない自分に気付き少々驚く。
えらいぞ>自分!なんてね(笑)

NHKの紅白も終盤になり、何とは無しに聞きながら、「歌が上手な人っていいよね、それで食べていける人なんてさ。。。」
などという話になり、突然

「お前だってさ、歌が上手だったよ。ほら、小学校の学芸会でさ、独りで歌をうたったことがあったじゃないか。
なんだったかな、『ひとはりすーい』とか、そんな歌だったよねぇ。一緒に見にいった近所の人達が、皆ね『とらちゃん歌が上手だねぇ!』って褒めてくれてたんだよ。」

なんて養母がノタマッタ。

衝撃だった。そんなこと一言も言ったことなかったのに。
だから、覚えているなんて、これっぽっちも思っていなかったのに。
それも、つい先日私自身も突如思い出して古い記憶をブログに書いたばかりの歌である。
何かが伝播したのだろうか、だとしたらそれは何だろう。。。
やっぱり親子なのかしらん、と思ったりして、気恥ずかしくもあり嬉しくもあり(笑)。
養母とは決して仲が良かったわけではなかった。さりとて、仲が悪いわけでもなかった。
養母はどうだったか知らないけど、若い頃の私は常に分厚い鎧を身に纏って対峙する構えを見せていたように思う。
あれは何故だったのだろう。
その鎧は、古くなったためか、戦いで壊れたのか、自分で壊したのか定かではないけれど、ボロボロになっているはずなのに、馬鹿なアタシは後生大事にまだ着込んでいる。

紅白が終わり、「行く年来る年」が終わり、年が明けても養母の話は尽きることなく、4時頃まで続いただろうか。
私の方が程良い酔いもあって先に

養母は寝たのだろうか、、、。
朝7時には台所に立っていました。

私が起きだして、顔を洗い歯磨きを終えた絶妙なタイミングで、出来立て熱々のお雑煮が目の前に。。。
久しぶりで嬉しくって、二人で笑いながら食ス。
ええ、何が可笑しいんだか、笑いながら。

片付けを終え別にすることもなく、なんとなく、別に面白くもなんともないテレビを見ていたら、いつの間にか養母が横になって夢心地のようである。
今までこんな姿は見たことがなかったのに。

やっぱり歳をとってしまったんだなぁ、、、と思いながら毛布を取り出そうと居間の押入れを開くと、片隅に養母にはもう必要の無い用品と思われるモノがありました。
それは目立たない場所で、息を殺していました。
「尿とり・・・」の文字だけ見て目を伏せました。養母にしのびよる「老い」の実態だった。
殴られたような衝撃で、鎧の残骸が、またガサリと落ちた音が聞こえた気がしました。

「あと何年生きていてくれるんだろう」と咄嗟に思ってしまったけれど、一緒に暮らしているわけではないので、「あと何回会えるのだろう・・・」と考えると切実に迫ってくる。
うー、孝行しなくちゃね。

帰る前にまた作ってもらった素朴なお雑煮が、余計に美味しく感じました。
養母よ、その81年の人生に多謝・・・ぐすん。



よっし、今年も頑張る、頑張れる!
辛くて苦しい時は、大好きな人や大切な人を思い出して頑張ろう、うん!
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