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フレディ・マーキュリー没後20年、ロック界に君臨し続けるクイーン

◆衰えることのない影響力 レディー・ガガ(Lady Gaga)、ロビー・ウィリアムズ(Robbie Williams)、フー・ファイターズ(Foo Fighters)、ミューズ(Muse)などのアーティストが影響を受けたミュージシャンとしてクイーンの名前を挙げるため、マーキュリーの人気は上昇するばかりだ。 マーキュリーは1991年11月24日、ロンドン(London)の自宅で45歳で死去した。その数年前にHIVに感染し、死因はHIV感染がもたらした気管支肺炎だった。見る者の心を奪うマイクパフォーマンスや魅力的な声が特徴的で、「伝説のチャンピオン(We Are The Champions)」、「キラー・クイーン(Killer Queen)」、「愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)」などのヒット曲を生み出したマーキュリーを、人々が忘れることはない。【11月24日 AFP】◆

1991年11月24日 フレディー・マーキュリー永眠 享年45歳 没後20年という年月を思うと、流石に自分も歳をとったと感じますがね(笑)。高校時代にデビッド・ボウイとクィーンを知って、毎日毎日聴いていました。ボウィもクィーンも私の兄達が学生時代にデビューしたバンドで、私はほぼ10年遅れで知りました。その為同級生は全然興味がなく、英アイドルのヂュラン、カルチャー・クラブ、ジャパン、カジャなどに夢中になってましたね。兄達には「クィーンなんて、むかっしから女子供向けだわ。」なんて当時馬鹿にされたけど(兄はグランド・ファンク・レイルロードの大ファンでしタ)、車にCDがあるじゃない!!突っ込みを入れたら、なんでも【子供】が好きで聴いているらしい(笑)。 受け継がれているんだよ、兄ちゃん達に女子供と揶揄されたロックが。だからフレディーは死んでなんかいない、生きてるんだよ。

we will rock you


クィーンは幾多のアーティストにカヴァーされてるけど、ドイツのサッカーワールド杯くらいから、この曲がよく聞かれるようになったような気がします。うちの会社にもこの曲をBGMに使ったビジョンなども制作して、担当者が得意になってたけど「けっ」ってな感じでした。チャラ男が言うなーっ(怒)。

こちらのCMは、まぁまぁ面白かったデス。有名な女性アーティスト3人がカヴァーしてるんだけど、ホントに上手いのかな、この人たち。。。曲に負けてる。やっぱり女子供には歌えないって。



でも、メンバーのブライアン・メイ(ギタリスト)とロジャー・テイラー(ドラム)がちゃっかり出演してるトコに萌えました(笑)。

1分40秒あたり。カッコイイおじいちゃんになりましたな。
フレディーに合掌。そしてありがとう。
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◆ピカピカに晴れた先日の日曜日、久しぶりに気分も不思議と晴れやかで、朝早くに目が覚めました。うだうだすることなく跳ね起きて、布団を干し、洗濯をし、掃除をし、取り込んだままになってた洗濯物を畳んで片付け終えたところで電話が鳴りました。受話器から養母の元気そうな声。「もう2ヶ月も姉さんのとこに行ってないから、見舞いがてら午後にでも寄ろうと思うけど、居る?」とのこと。養母は5人姉妹の3番目で、長女・四女・五女はもう他界し、認知症で名古屋市内に入院している、存命のすぐ上の姉を見舞いたいとのこと。「いいよ、別に。出掛ける用事もないし。」と応え、少しばかり会話をして電話を切りました。名古屋市内で開催される反原発のデモも気になったんだけど、話をしながらカレンダーを見たら、その日は「母の日」だったので。絶対に狙ってる!と確信(笑)。どうせ泊まっていくだろうからと、押入れにしまってあった布団も干しました。午前11時前。洗濯物はもう乾きそうで、早くに干した布団は既にふかふかでお日様の香りがしました。部屋も片付けたことだし、文句は言われずにすみそうで、久しぶりに気持ちのいい朝でした。午後3時過ぎ、養母到着。早々にマシンガントーク炸裂(^^;)。荷を降ろし上着を脱ぐ時に手渡されたのが「赤いカーネーション」。曰く「ホスピスの隣の部屋に見舞いに来た人が持ってきたらしいんだけど、『花瓶が無いから貰ってください』って言われたんだよね。」だってさ。全くこれ見よがしだなぁ!目を合わさずに言うところが怪しい(笑)。 

◆野口米次郎・三木露風・千家元麿・日夏耿之介、前田河廣一郎・藤森成吉・徳永直・村山知義 これらの人をご存知でしょうか。私は「三木露風」さんが、童謡『赤とんぼ』の作詞者であること以外、全く知りませんでした。目の前に2冊の書籍があります。筑摩書房から刊行された『現代日本文学全集』です。前掲の4名の作品集(詩篇)が刊行されたのは昭和31年12月(73巻)、後掲の4名の作品集(プロレタリア文学)は32年7月(77巻)。最終巻が78だったと思います。明治初期~昭和初期までの文豪の作品の大全集で、実はこれ、44年前、31歳で亡くなった私のもう一人の母(実母)が、OL時代に通勤電車の中で読んでいたそうな。全巻読破したそうな。実母以外は誰も手にしなかったようで、本を買えば必ず間に挟んである新刊本の案内(広告)のようなものや、参百伍拾円也と記載された納品書までそのまま残っておりました。中学生の頃、読書を試みたのですが、旧漢字(という表現は正しいのだろうか)・旧仮名・文語体で手に負えず、ずっと放ったらかしにしておいたところ、養母が「図書館に寄贈するか、引き取ってもらえなかったら捨てるしかないねぇ。」と言ったことから、捨てるかどうかはまず読んでみてからにしようと思いました。2冊ともパラパラと頁を繰っていると、暗い沈鬱な空気が漂っており、作品が書かれた時代というものが身近に感じられました。渾身の叡智と良心でもって書かれているような迫力。高校卒業後、18歳から、30歳で結婚し退職するまで、貴女はこういう本(日本文学報国会なるものに名を連ねない作家さんの作品)を読んでいたのですね。。。感想を聞きたかった、思いを共有したかった。貴女の口から、戦争・労働・ジェンダーについて聞いてみたかった。とりわけ、戦争体験もし、中部電力(話題沸騰中!)に長く勤めていた貴女に、核について、原子力の安全利用の是非について聞きたかった。読書好きな貴女に「この字なんて読むの?」たずねたずねながら、重く暗い時代を描写した文学と対面したかった。そう気づいた時、初めて『悔しい』と思いました。。。

◆翌日、養母が帰る段になり、ずっと考えていたことを思い切って言ってみた。「お母さん、あのさぁ、Fさん(実母の名)の年忌が全部終わったらさ、うん、全部終わったらさぁ、アレを今回の震災の被災者の人たちにね、寄付したいと思ってるんだけど、どうかな。。。」ずっと管理してくれてたのは養母である。何を言われるかと恐る恐る訊ねたのだけど、返ってきた言葉は実にあっけらかんとしておりました。「いいよ、それで。どうせ残す者も居ないんだし、お前は売れないだろうし、好きにすればいいよ。」驚きました、全部わかってる。心底ほっとして自然に笑みが浮かんだのだろう。それを目ざとく見つけた養母は、「ちょっと待った!アンタ自分より、わしの方がどうせ先に死ぬって思ってるんだねっ!ふんっ!わしがアンタから相続してやるわ!」だってさ!もう大笑い。大笑いしながら、人通りの多い交差点で、後ろから思いっきり抱きつきたくなった。ありがと@母の日。

◆余談◆
かつて『吟遊詩人』なる、世相とか政治を謳う人々がおりました。フランスではトルバドゥール、ドイツではゴリアール、日本では琵琶法師かな。現在で言うなら(無理矢理だけど)ストリートミュージシャンに置き換えられるのかな。。。
辺見庸さんは、昨今の詩作から、吟遊詩人になろうとしてるのではなかろうか。。。


存在の独立

野口米次郎

『新しい詩は私をもつて始まらねばならない、』
かう私がいつたら人は私を許すでせうか・・・・・・
許さなくてどうしませう。
毎朝咲く朝顔を御覧なさい、どの朝顔でも、朝顔の美は自分をもつて始まるといふ誇りに輝いてゐるではありませんか。
太陽の下どんな物でも、神の輿へた魂を赤裸にさらけ出して、
(赤裸の場合位ものの完全な場合は無いであらう)
自分と大きな自然との対照を慎ましやかに表現した時、
本当に生命の新しい一章に筆が附け始まります。
詩の上ばかりでなく、人生の上でも、
『新しい人間は私をもつて始まらねばならない、』
私はかういひたいのですよ。
私自身としましても、昨日の私は今日の私ではありません。
毎朝太陽に私の眼が覚め、私の耳が鳥の声を迎へる時、
昨日と違つた人生の秘密が私にほぐれてくるやうに感じます、
(あなたが秘密の文字がお嫌いなら、人生の意味と云ひませう、)
私はまるで異なつた人間となつて新しい命を始めます、
さうあつて初めて独立的な存在の意味が確立するだらうと思ひます。
『新しい詩は私をもつて始まらねばならない、』
私がかういつたとて、他人の努力を無視するのではありません。
他人は他人で、『新しい詩は私をもつて始まる』といって下すつて、
始めて私の言葉に真実の意味が出て来るだらうと信じます。

驚く。
明治から昭和初期の知識人は皆、信ずる信ぜざる如何にかかわらず、聖書を精読していたのではないかと感じます。

15 All this is for your benefit, so that the grace that is reaching more and more people may cause thanksgiving to overflow to the glory of God. 16 Therefore we do not lose heart. Though outwardly we are wasting away, yet inwardly we are being renewed day by day. 17 For our light and momentary troubles are achieving for us an eternal glory that far outweighs them all. 18 So we fix our eyes not on what is seen, but on what is unseen, since what is seen is temporary, but what is unseen is eternal.

2 Corinthians 4 : 15-18

15すべての事はあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人を通して増し加わり、感謝にあふれさせて、神の栄光となるためだからです。 16 こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。 17 なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです. 18 わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目をとめます。なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。 

コリント人への手紙第2 4 章15-18節
 


カタロニアでは「平和を!」と鳴いていた鳥が、日本では「安全を!」と鳴いているね。
 

4月12日 名古屋グランパスvsアル・アイン(UAE)戦@瑞穂陸上競技場

110412_event_07.jpg







公式試合時、出場選手が顔を隠してまで横断幕を掲げるなんて、まず無いことです。
この時、カメラ位置と同じところに居たアタシは、遠い国の友情に本当に感謝しきれない想いがこみ上げてきて、泣いてしまったよ。。。

大震災から一ヶ月。
復興の目途すら立たない(政府にその気がない)不自由な避難生活を強いられているのに立ち上がる人々と、全く何事も無かったように日常に戻っていける人々と、被災したわけでもないのにぐずぐずとしてる自分との間に、整合性が見出せないでいます。
整合性を求めるなど、むしろお門違いなのかもしれません。

ただね、他国の人々が、これほどまでに心寄り添ってくれるのにさ、、、(以下省略)。

「同情するなら金をくれ!」

被災地からそんな声もあがっているようで、この激甚災害時には、至極ご尤もだと思っています。
全国から、いいえ、全世界から集まりましたよ。1,000億円を超える金額が!
それがまだ、一銭も配られていないのは私たちの責任ではありませんからね。
「そんな政府を選んでしまったのは我々の責任だ」という意見もあるかもしれないけれど、重責を承知で立候補し当選したのに、政府(閣僚・国会議員)を免責する幅が大きすぎやしないか、というのが私の印象デス。


3/11の東日本大震災における経済損失が10兆円~20兆円との試算もあるのに、たかだか5兆円しか吐き出さない政府に、何故各首長は反発しないのでしょうかねぇ。

反発していても伝わってこないのでしょうか?
例の怪しげな言論統制臭がする法案によって?
それで片付けるのはかなり抵抗があります。



3月11日以来本当に気持ちが萎えてしまい、ブログを書くのも辛く、もう辞めようかと考えていました。
けれど、不思議なことに、特にこの一週間は、更新もしていないのに、アクセスが増えておりまして、こんなことは初めてのことで驚いています。
それだけ、東北の被災地域の人々に心を寄せている人が多いのだろうと気づき、涙が出るほど嬉しくなりました。
いつもコメントを頂いている常連さんだけでなく、いつも拙ブログを覗いてくださる方々にも、被災地復興に向けてのメッセージや提案などがあれば、どんどん利用してください。

これまでに頂いたコメントも含め、被災した地域の行政に送っちゃいます。
あ、別にここを利用する必要もないか(笑)。
もっと言いたいことがあったのだけど、本当に強く言いたいことがあったのだけど、完全に酔っ払い脳になりました。
思い出したらまた追記します。

会社のデスクの上に、淡いピンクの薔薇を写したポストカードが置いてありました。

「なんだろう?」

手にとって裏返してみると、昨年、政治のお勉強会で知り合った女性からの寒中見舞いでした。

柔らかく整った文字に、顔がほころんでしまう。

実は、身の丈もわきまえず、随分背伸びをして参加した勉強会で、案の定、(20代くらいの若い方はともかく)私以外の皆が皆、賢そうで堂々としており、田舎者のアタシはそれだけで萎縮してしいました。
けれど、彼女はちょっと違っていました。
気軽に話せる雰囲気を湛えている人。私とほぼ同年代だと思う。

初めて会った時から和ませてくれる人で、彼女が醸す雰囲気に安心しました。
勉強会の後は、時間の許される人達で飲み会となるのですが、少々遠方から来ていた私はなかなかその場に参加できませんでした。

けど、出張のついでに泊りがけで行ったことがあり、その彼女の話をゆっくり聞くことができました。
まぁ、驚いたのなんのって!

結婚を期に正社員として働いていた会社を退社し、専業主婦となりましたが、今はシングルマザー、2児の母です。
そこに至るまでの道のりを話してくれたことがありました。
彼女は二人の子供を産科に頼らず、自力で産んだそうです。
二人目の子は、ホームレスとなった時に産んだそうです。

その衝撃の事実のみで、彼女に降りかかった災難をあらん限りの想像をもって斟酌してください。
私などには、とても話せる内容ではありませんので。

現在は職も得、路上生活から小さな賃貸アパートで、ささやかな子供と3人暮らしをしています。
まだ決して余裕があるわけでも無いのに、勉強会に参加していました。

そのお勉強会についても、

「全てのクラスに出席したいけれどお金が大変なので、どうしても自分の生活(命)に重要だと思うクラスに限られてしまうのが残念です。」

切実な言葉を聞いて、簡単に生きている自分が情けなくなりました。

社会を知りたい、政治を知りたい、今がどういう時代であるのかを知りたい、、、確かにそう思ったのも、お勉強会参加の動機ではあったけれど、私の場合、ただ単調な生活に変化が欲しかっただけなのかもしれない、と思ってしまうくらいの低い動機だ。。。

彼女はこのクラスの何人にポストカードを送ったのだろう。。。
カード代、切手代、彼女にとっては家計にひびくだろうに。

『私は今、派遣労働者として法改正の運動をしています』

その彼女が、一番楽しみにしていたのが、湯浅誠さんの講義でした。
現在、内閣府で菅直人さんの下で働いておられる方。
2008年年末「派遣村」を設け、労働法の改正を声高に叫んでいた彼とは、随分印象が違っていました。

平たく言うと、

以前は、『何が何でも、労働環境を改正しなければならない、製造業の派遣は即刻止めるべきだ、内部留保(利益)を溜め込むのではなく、失業者を路上に放りだすのではなく、保障を厚くして分配しろ!』

そう言っていたのが、

『こういう社会で生きることを考えなくてはいけない』

とトーンダウンしたのだ。

講義の後の質疑応答時間に、シングルマザーの彼女は「三党合意はどうなったのですか?」と質問をしていました。
その質問に対する湯浅氏の答えは、明確には覚えていません。
覚えていないほど、失望感を伴う回答だったということです。
内閣府の参与でありながら、「執行部も真剣に考えていると思いますよ。」なんて、まるで自分が部外者かのような答えでした。

彼女はその言葉に一筋の希望を見たのでしょうか。。。

ポストカードを読みながら一気に、彼女と交わした言葉と共に、その情景が思い出されました。

『またお会いできるとうれしいです。ご自愛の上、ご活躍下さいませ。』

末尾の文に涙が出てくる。
貴女に比べれば、私にどんな活躍の場があるというのだ。。。
貴女の方が、よっぽど活躍しているじゃないの。

僅かな時間だったのに、それでも心に留めおいてくれて手紙を貰えるのは、嬉しいことです。
和み、嬉しくて、いただいたポストカードをひらひらさせながら、帰宅しました。
冷たい突風に飛ばされないよう気をつけながら。




細腕で頑張っている女性がいる中で、政府は何をしているかと思えば、、、

よりによって、セレブ御用達のダボス会議ですかっ!?

市民運動家だった総理大臣は、日本の火山被害より、鳥インフル被害より、ダボス会議なのね。。。
スイスで、官僚が書いた作文を棒読みする日本の総理が、全世界に配信されるわけね。。。
あ、そこは流石にカットかな?(笑)
だとしたら、それは良識か憐憫かどちらだろう?
 

12月4日にJ1リーグ最終節を終えその後は内輪で優勝祝賀会、5日はサポーター向けの優勝報告会、6日は東京でJリーグアウォーズ、そして今日は出資会社・スポーンサー及びクラブOB向けの報告会(立食パーティ)。
今日で今シーズンのイベントが全て終了しました。
まだ天皇杯が残っておりますが、あれはクラブ主催ではなく協会の管轄なので、社員はそんなに大変じゃないからね。

先ほど帰宅。なんだか今日はヘトヘトに疲れてしまいました。

お偉いさんのスピーチに始まり、鏡割り、その後は来賓客と選手との歓談。
アウォーズで受賞した選手達のテーブルには、サインと写真撮影希望の人々が群がっておりましたが、わたしがアテンドした選手のテーブルには、その選手と深く関わっていた人々で賑わいました。

杉本恵太選手 背番号19

100m走を11秒を切るほどのスピード選手です。
6年前グランパスが低迷し、万年中位と揶揄された時期に入団し、アウェー開幕戦でいきなりゴール。
その速さと華々しいデビューに、いきなり魅了されました。
チーム成績はその後も全く奮わなかったけど、彼が出場する試合はとても面白くて、苦しい時代のグランパスを支え続けてくれました。

ストイコビッチ監督が就任してからは、スタメンよりもスーパーサブとして、主に後半から登場。
疲れが見え始めた相手選手を大いに翻弄する活躍をしてくれました。
イベントにも積極的に参加してくれ、非常に謙虚で礼儀正しい選手です。

その杉本くんが、来年度は戦力外を通告されました。とても残念でなりません。
クラブ側は、育成部で指導して欲しいという打診もしたのですが、まだ28歳。
そりゃ現役でいたいよね。

戦力外通告を受けたのは、優勝を決めた湘南戦の直前でした。
こういう時に不満が漏れてしまうのだけど、彼は腐ることなく湘南で決勝ゴールを決めた玉田くんのアシスト。
更に最終戦でも大活躍。

誰もが彼の人柄の良さを認めていたので、イベントではひっぱり凧でした。
だから、彼のテーブルの周りには、クラブOBだけでなく役員も協会関係者もマスコミも競技場販売業者さんも大勢集まって労いの言葉をかけていました。

優勝が嬉しくないわけはないけれど、大騒ぎすればするほど、彼にとっては複雑な思いもあったと思います。
けれど、多くの人の労いの言葉に、謙虚に丁寧に応えていて、見ている私の方が泣きそうだった。
熱心なサポーターさんも居て、

「初めて買ったレプリカが、杉本選手のものでした。絶対にまた名古屋に戻ってきてください」

なんて言ってくれたあたりから、あー、杉本くん、がんばれ!がんばれ!そんでもって私も泣くんじゃない!!なんて思ってたんだけど、人が引き始めると杉本くんがポツリと言いました。

「俺、今、ホント泣きそうです。本当に、本当にいい人ばかりでしたから。。。我慢するの大変です。。。」

切ないなぁ、、、寂しいなぁ、、、。(泣)
彼のために水とおしぼりを取りに行った時に、私の方が先に、涙がぽろぽろこぼれてしまった。

代理人を通して移籍先を探しているけど、まだ何処のチームからのオファーも無いようで、Jのトライアウトを受けるつもりみたい。

「ま、それがプロの世界ですからね!」

なんて無理した笑顔を向けられて、どういう顔をしたらいいんだろう。

「新しいチームに移籍したらさ、グランパスからゴール量産なんて脅威になるような気がするよ。」

そうなったら困るけど、そうなって欲しいと思う。がんばれ!スギーニョ!
28歳で4人の娘を持つお父さんなんだから、うん、まだまだ頑張らなくっちゃね!

退団が決まった彼のブログ、泣けちゃうなぁ。。。

http://labola.jp/keita/page/1


それにしてもさ、、、。

2008年のキックオフパーティで、私がアテンドしたテーブルにはフローデ・ヨンセン。次期清水に移籍。
2009年のそれは吉田麻也くん。次期VVV(オランダ)に移籍。

そして今回の優勝報告パーティ、アテンドが杉本くんと知った直後に彼の戦力外通告を知り、なんだかショックを受けてます。

アタシって、やっぱり「さげ○ん」なのかしらん?
会社の連中に、妙に慰められました。。。誰か否定してよぉっ!!
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