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kanom-35°                                                                                               ご来訪、誠にありがとうございます。
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Everything Is Meaningless 
 1 The words of the Teacher, [a] son of David, king in Jerusalem:
 2 "Meaningless! Meaningless!" says the Teacher. "Utterly meaningless! Everything is meaningless." 
 3 What does man gain from all his labor at which he toils under the sun?
 4 Generations come and generations go, but the earth remains forever.
 5 The sun rises and the sun sets,and hurries back to where it rises.
 6 The wind blows to the south and turns to the north; round and round it goes, ever returning on its course.
 7 All streams flow into the sea, yet the sea is never full. To the place the streams come from, there they return again.
 8 All things are wearisome, more than one can say. The eye never has enough of seeing, nor the ear its fill of hearing.
 9 What has been will be again, what has been done will be done again; there is nothing new under the sun.
10 Is there anything of which one can say, "Look! This is something new"? It was here already, long ago;it was here before our time.
11 There is no remembrance of men of old, and even those who are yet to come will not be remembered by those who follow.

Wisdom Is Meaningless
12 I, the Teacher, was king over Israel in Jerusalem.
13 I devoted myself to study and to explore by wisdom all that is done under heaven. What a heavy burden God has laid on men!
14 I have seen all the things that are done under the sun; all of them are meaningless, a chasing after the wind.
15 What is twisted cannot be straightened; what is lacking cannot be counted.
 

Old Testament Ecclesiastes 1 : 1-15
 

1:1 エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者のことば。
1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
1:3 日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。
1:4 一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。
1:5 日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。
1:8 すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。
1:11 先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。
1:12 伝道者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。
1:13 私は、天の下で行なわれるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。
1:14 私は、日の下で行なわれたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。
1:15 曲がっているものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。

旧約聖書 伝道者の書 1章 1-15
 


日曜の朝は、何かに向かって祈る習慣があります。
確固たる対象が無くても。
今日は何のために祈ったのだろう。
よくわからないけど、よくわからない曖昧模糊たるヒトたる生物のため。

伝道者の書を読むとき、方丈記が連想される。

What has been will be again, what has been done will be done again; there is nothing new under the sun. 


 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
 



方丈記より遥か古に書かれた旧約聖書に、無常観を感じるとは不思議なもの。
洋の東西など、関係ないのかもしれない。

あらゆる思想・文化を融合し適用するのが日本人の特質と言われるけれど、そんな難しい思考でなく、唯単に生温いだけなのだと思う。

嗚呼、今日も生温い風がふいている。
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愛国心とは、実に不思議な言葉だと思う。字面だけを見ると、そこにはなんら否定的な意味を見出せない。
もともと、「愛国心」の国は、故郷だったのではないだろうか。
故郷を離れ都会に出た者が、生まれ育った小さなコミュニティーを懐かしく回想した言葉だったハズではないのだろうか。
それとも、ずっと以前から、民族中心主義的で、血縁的、排他的な意味合いを帯びていたのだろうか。

だとしたら、「愛」なんて文字を使って欲しくない。

折に触れて訪れる、熱心でストイックなキリスト教徒さんのブログで、某カソリック教会の神父が、毎年8月15日の終戦の日に、信者や友人に靖国参拝を呼びかけて参拝するという愚行を繰り返していると知り、肝を潰した。
この日、8月15日は聖母マリアが他界した、被昇天の日とされている。カソリック教徒にとっては正に「特別な日」で、しかも日曜日ときてるから、日曜礼拝と共に、被昇天の日のための特別礼拝が行うべきところを、神父自らが靖国参拝を呼びかけるなど、この神父の頭ン中は狂気の者のソレと同じと言ってもいいだろう。

イエスの教義は本来一つであるべきで、すなわちその聖典は最も古い聖書のみだと思っていて、中でも、一番大切なのは、福音書や、弟子達の書簡の中に書かれている、イエスの言葉だと思ってる。
そこから分派したしたものなど、伝統あるカソリックであろうが、時代に阿るようにはびこったプロテスタントであろうが、全て虚偽だと思う。

だから、私にとっては、聖母マリアの被昇天の日など信じない。そもそも聖母マリアの神秘性や教義など、聖書の何処にも書かれていないのだから。
私にとっては、カソリック系の教会の荘厳な建造物や、キリスト像、マリア像、絵画は、ただ芸術として鑑賞するのみで、そこに信仰が発露することはない。

しかし、実際にカソリックという分派は歴史的に永く存在していて、私が信仰しているものと比較しても仕方ないけれど、その者は、カソリック教会の神父なのだ。
なぜ、マリアを拝む者が、その記念日に靖国に行くのだ!

ブログを紹介するのは控えますが、その熱心でストイックなキリスト教徒さんが言う、

靖国神社の戦争史に対する理解のあり方は横へ置くにしても、国家神道の神主が儀式を執り行い、宗教法人である靖国神社の拝殿で、御霊(みたま)に向かっての参拝をキリスト教の信徒が集団で為すという考えは理解できない。十戒(※)に抵触しないわけがなく、信徒にとって「御霊(みたま)」とは聖霊(Holy Spirit)以外には存在しない。彼らはキリスト教そのものだけでなく、「カトリック」に限定してもその理解に初歩的な認識の誤りがあまりに多い。彼や彼らの行動、考えには賛成できない。

この意見に賛成する。

イエスは言う。

汝の敵を愛せよ。
汝の隣人を愛せよ。
右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ。
謙虚な子供のようであれ。
他人の罪を赦せ。

過激な右側の人々によって国粋主義の権化と化した「靖国」を、なぜイエスの言葉を知っているハズのキリスト教徒が参拝するのか。

小説家曽根綾子氏も、三浦朱門氏も、毎年靖国参拝している。
山谷えり子氏、麻生太郎氏も、日本基督教団の石破茂氏も皆一応キリスト教徒なのだ。
なぜこんなに簡単に、教義を歪めることが出来るのだろう。
「愛国心」とは要するに、非常に強い攻撃性を伴う排他的思想なのにもかかわらず。

著名人はこんなふうに言っている。

サミュエル・ジョンソン(イギリス人文学者)
 「愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である」

バートランド・ラッセル(哲学者、ノーベル文学賞受賞)
 「愛国心とは喜んで人を殺し、つまらぬことのために死ぬことだ」

そして、私にとって一番効いたのはこれ。

ジミ・ヘンドリックス(ロックギタリスト) 
 「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな。」 

本来なら、宗教家は誰をも恐れず、間違った教義と思想を修正しなくてはならない役割で、政府や日本の世俗的な風潮に靡くべきではない。
人々の寄る辺たる宗教家も教義から離れてしまった。

そりゃ、政治も社会も末期になるわいな。。。


※十戒

モーゼの十戒

一、我は汝の神ヤーウェ、汝をエジプトから導いたもの、我の外何ものも神とするなかれ
二、汝自らのために偶像を作って拝み仕えるなかれ
三、汝の神ヤーウェの名をみだりに唱えるなかれ
四、安息日をおぼえてこれを聖くせよ
五、汝の父母を敬え
六、汝殺すなかれ
七、汝姦淫するなかれ
八、汝盗むなかれ
九、汝隣人に対して偽りの証をするなかれ
十、汝隣人の家に欲を出すなかれ

 

傲慢で排他的なヒエラルキーに毒された(キリストの)教会と聖職者を、横暴と欺瞞に満ちた自身の浅はかなプライドのために糾弾し、断罪し、最も忌み嫌われる「裁き」を下す振る舞いをし、信仰に背いていることも解(かい)せぬ信者が言う「神の子」など、私は信じない。そんな見下げた外道が言う宗教上の救世主なら要らない。教会という集団から離れ、指導者からの呪縛を解かれたとたんに、イエスの教義をも否定するキミ等の軸は、一体何だというのだ。
腐敗し、糜爛した者どもが、あくまでも「イエスは神の子」と言うならば、私は彼を【革命家】だと位置づけたい。
 
聖書に対するニーズが高まっている勢いで、再び聖書考。
盲目的な信仰から離れて、俯瞰的に。
決して上から目線ってことでは無いので、、、念のため。

キリスト教を信仰する者でなくとも、これまでの人生のうちに、一度くらいは聖書の言葉に触れたことのある方はいらっしゃると思います。
さて、その時に、イエス・キリストをどう感じたでしょうか?
私の場合、常に無抵抗で愛を説く「優しい方」であり、残念ながら力強いイメージはありませんでした。
(磔刑のイエス像は、それだけで弱々しさを物語っていると思うんです。だから嫌なんです。)

けれど、そのイメージが一変し、非常にラディカルな人物だったのだと思ったのが、留学時代に日曜礼拝した時の牧師さんの説教(preah)でした。
イエスがヨハネから洗礼を受けた直後、悪魔の誘惑を退ける場面です。

まず、日本語で紹介しますね。

さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いにたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにされる。』と書いてありますから。」
イエスは言われた、「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て(イエスに)仕えた。

 

マタイ伝 : 4章1-11節

英語だとこうなります。

Then Jesus was led by the Spirit into the desert to be tempted by the devil. After fasting forty days and forty nights, he was hungry. The tempter came to him and said, "If you are the Son of God, tell these stones to become bread." 
Jesus answered, "It is written: 'Man does not live on bread alone, but on every word that comes from the mouth of God.
Then the devil took him to the holy city and had him stand on the highest point of the temple. "If you are the Son of God," he said, "throw yourself down. For it is written:
   " 'He will command his angels concerning you,
      and they will lift you up in their hands,
   so that you will not strike your foot against a stone.
Jesus answered him, "It is also written: 'Do not put the Lord your God to the test.
Again, the devil took him to a very high mountain and showed him all the kingdoms of the world and their splendor. "All this I will give you," he said, "if you will bow down and worship me.
"Jesus said to him, "Away from me, Satan! For it is written: 'Worship the Lord your God, and serve him only.
Then the devil left him, and angels came and attended him.

 

Matthew 4:1-11

引用した「マタイによる福音書」は、日本語でも英語でも同じ意味です。
けれど、英語で聞いたpreachは、牧師さんがイエスと悪魔のパートを声色で変化させ、どちらも怒気をもって叫ぶ「対峙」の場面でした。
日本語の聖書に書かれている丁寧語は、その緊張感と気迫を奪ってますね。

この場面を初めて読んだ時は、悪魔が丁寧語を使っていることに、もの凄く違和感を覚えました(笑)。
これじゃ悪魔の誘惑の恐ろしさは伝わってこないのだけど、四十日間の断食の後、弱っているハズのイエスの断固たる対応でその誘惑の厳しさを少し想像は出来ました。。。。が、英語による説教(preach)で、印象は一変しました。

この一文を紹介したのは、イエスは決して無抵抗の弱々しい人(神)の子ではなく、力強い革命家だったのではないかと思うに至ったから。
生粋のクリスチャンからお叱りを受けそうですが、教会を離れ(信仰を捨て)た者は、こういう解釈も出来るというか、、、罪の意識から逃れたいがための独自思想なのかもしれません。
これも一種の脱構築思想なのかな(笑)。

◆ナザレのイエス
イスラエル(現パレスチナ自治区)の、とりわけ貧しい地区であるナザレで、イエスは誕生しました。
紀元前10世紀頃までのパレスチナは、ダビデ王とソロモン王の善政により栄華を極めましたが、やがてローマ帝国によって滅ぼされ、圧政に苦しむことになります。
民衆は、20%以上の直接税(所得税)に加え、多岐に渡る間接税の重さに苦しみました。ローマ帝国および、ローマ帝国によるユダヤの傀儡政権は、経済至上主義を唱え、富める者はあらゆる手段で貧しい者から搾取と収奪を続けます。民衆に救いを与えるべき宗教家(司祭)は、快楽に耽りながら、所得(徴税後)の10%以上の献金を求めました。被虐者たる民衆が不満を増大させていた時代に、イエスは誕生しました。
(まるでどこかの国のようです)

◆支配下からの脱却、救世主(メシア)待望論
当時のイスラエル(現パレスチナ自治区)では、厳しい税制の他にも、民を苦しめたモノがあります。
それが律法。異国(ローマ帝国)の統治となっても、ユダヤの律令は変わらず遵守されるべきとして、民衆は厳しい戒律下におかれ、破戒する者、異論を唱える者は、ヒエラルキーによって保護された聖職者・律法学者達が弾圧しました。こうして民衆によるメシア待望論が高まっていきます。
(やっぱりどこかの国のようです)

◆12人の使徒の忠実性
ペテロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネ・ピリポ・パルトロマイ・トマス・マタイ・アルバヨの子ヤコブ・タダイ(ユダ)・シモン・イスカリオテのユダ
これらの人はイエスが弟子として選出した人々なのですが、イエスの生涯を記し新約聖書の福音書として編纂されたハズのマルコとルカの名前が無い!
イエスを裏切った「イスカリオテのユダ」は12使徒に認定されているのに。

最も古いといわれているマルコの福音書が書かれたのは紀元70年頃と言われていて、イエスの死の40年後です。そして、80年頃にルカの福音書、85年頃にマタイの福音書、90年頃のヨハネの福音書と続きます。迫害を伴う布教活動は辛酸を極めていたので、容易にイエスの活動記録を纏めることは出来なかったでしょうけど40~50年の歳月は永過ぎではないでしょうか。どれもわずか50頁ほどの書なのですから。その陰にイエスの教えを利用しようとした、地位に固執したい律法学者や司祭が、はるか後に俄かに新約聖書の編纂を急がせたようで、何かそうすべき理由があったのではないかと穿った見方もできます。イエスの多くの弟子達は実はそれほど忠実ではなく、時の施政に都合良く買収されたのではないかと、考えられなくもないわけです。

少しばかりミステリー作家になった気分で、当時の時代背景を鑑みながら、聖書の信憑性を考査してみたいと思います。

新約聖書は、イエスの12使徒ではなく、むしろ迫害していた「パウロ」という人物の書簡がほとんどなんです。
パウロは厳格な律法遵守のユダヤ教徒(パリサイ派)で、大祭司から書簡を預託されるほどのエリート中のエリートでした。それが、蘇生後のイエスに出会って回心し、12使徒以上にイエスの教義を布教しました。
最終的には殉教しましたが、それまでに何度も捕縛され、その度に拷問を受けたとされていますが、他の教徒に比べて意外と自由なんです。捕縛されている間に、仲間に送った書簡は新約聖書に収められていますしね。

キリスト教徒の間では、パウロは最も力強く(ラディカル)に語った【聖人】とされていますが、実は司祭と律法学者が放ったスパイではないかとの疑念も湧いてしまうのです。

イエスの出現によって威厳を保てなくなった政府と司祭が、一介の田舎の大工の倅が説く、民衆の支持を受ける教義を自分達のものにしてしまおうって、永い月日をかけた陰謀の結果がパウロなのではないかなぁ。。。
なんて思いかえす今日この頃。

教会に通っている時も、「イエスは神の子ではなくって、革命家だったんじゃないの?」と言ったことがありましたが、もの凄く怒られました。。。
たとえ彼が神の子だとしても、「革命家」には違いないと思うんだけど、違うのかな。

聖書は、世界史のオリエント史とローマ史を読みながら紐解いていくと、非常に面白い。
壮大なミステリーを、あれこれと思いついてしまいます。

聖書熱が冷めやらぬうちに、またエントリーをあげたいと思います。

そうそう、私は「神」の存在は信じますが、願いを叶えてくれるとは思っていません。^^
同時に「神」は白いお髭を生やして、白い衣を纏い、杖を持って世界を統治する実態のある者だとはサラサラ思ってません。^^


 
エントリーには全く関係ないけど(笑)、最近ちょこっとアクセスが増えたので「んんん?」っと怪訝になって調べてみたら、「夏目漱石 こころ」の検索結果によるものでした。

はっはーん、夏休みの読書感想文対策なのかしらん?

ま、アタシが書いたものなど、コピペの価値はないけれど、考えるヒントは与えているかもしれない。
ふっふっふー、考査のヒントを探すのは結構だけど、若人よ、あらすじを探すなかれ。ちゃんと読むんだぞっ(笑)。
 

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