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 また、同じころかとよ、おびたたしく大地震(おほなゐ)振ること侍りき。そのさま、よのつねならず。山はくづれて河を埋み、海は傾きて陸地(くがち)をひたせり。土裂けて水涌き出で、巌割れて谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ船は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰たちのぼりて、盛りなる煙の如し。地の動き、家のやぶるる音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れの中に恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか。

鴨長明  方丈記

 
皆様のご無事を心よりお祈り申し上げます。
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「障害者」という言葉に否応無しに定義づけられてしまう人々が居ますが、そもそも、この「障害者」ってなんでしょう。
五体満足の健常者とは少々違う人へ与えられる称号。
別にそんなものはいらん。さらに、「害」という字は不適切なので「障がい者」と書くのが好ましいなんて堂々とノタマフ輩も居て、私が障害者だったら「大きなお世話」とソイツに懸(倦)常者の称号を与えたいくらいだ。
そうやって自分の「善」とか「差別意識など無い」と言わんばかりの論調は、大いにチャカしたくなる。

シャーマン(預言者・巫女)と呼ばれる人々が居た時代がありました。
現代よりずっと時間を遡った昔のことです。
それは何者なのか、その役割は何かってことを、日本土着の民族学に限ったこととして書いてみます。

むかしむかし、日本というこの国が国という概念を持たず、邑だけを意識していた時代の頃から「障害者」は存在しました。
身体障害者、知的障害者。
健常者とは違う人、当時、それらの人が何と呼ばれていたのかは知らない。

農耕が生活手段となる以前は、捨てられ、産み落とされると同時に殺されたりしました。
狩りが出来ず、移動も出来無いというだけで、見捨てられた原始の時代もありました。
しょうがないよね。その時代にはその手段しか無かったんだから。彼らを救う医療なんて無かったのだから。

やがて農作が伝承され定住した民族は、田畑に出かけて耕作をしますが、障害者は働けないので里を離れ野山を彷徨いながら、食糧を探し、食べられるモノ、食べられ無いモノを見分ける能力を身につけます。
来る日も来る日も、天候や河川の唸り、山の状態を見て、障害者特有の鋭敏な感覚で、異常を感じると里の者達に教えるようになります。

嵐や洪水、旱魃などの自然災害を察知して、事前に教えることで、里の農耕民は被害を最小限に抑えることが出来るようになりました。
その予知能力を高く評価し、その感謝ゆえに彼ら(障害者)に供え物をし、天候、農作物の出来について相談するようになり、その的中率の高さから「シャーマン(神託を告げる者)」つまり預言者として崇めるようになりました。

聴覚障害者、言語障害者、知覚障害者が懸命に何かを知らせようとする姿は、健常者から見ればただ尋常でない騒ぎようにしか見えなかったことでしょう。
不審と畏れを抱きながらも言う通りししたところ、大いに助けられることになりました。
その独特の伝達方法が「神がかり」的だったことから、神(死者)の降臨として捉えられました。
日本各地で、呼び名は違っても、イタコとか、シラスとかの名称でその当時の片鱗を残しています。

平安時代以降、視覚障害者は琵琶や笙を奏で、その独特の優れた感性を賞賛されました。
江戸時代には、視覚障害者だけに許される「按摩」と「金貸し」という職業がありました。

そのように神格化されたり、感性を認められた障害者もいれば、別な役割を与えられる障害者もいました。
特に女性は、性の玩具として扱われることもあったのだけど、けれど、それは年頃の娘を持った親にとっては、わが娘が性の対象として扱われ無いことで助かっていたのです。
なので、穢れを引き受けてくれる(そうせざるを得ない)女性障害者は、やはり丁重に扱われました。

それは、現代では考えられ無い暗く辛い事実ですが、他に生きる術を知らない当時の障害者にとっては、食べて行くための手段であり、役割でした。
辛い役割を当てがわれても、丁重に扱われて生きた者もいます。
そのように障害者は時代に合った(当時の精一杯の)形で生活を保障されていました。
それが野卑で野蛮な方法であったとしても、障害者は社会と繋がっていました。

これは日本人の心に刻まれたアニミズム、つまり万物に霊魂(霊的存在)が宿り、それを信仰し敬う心があった時代だから、「繋がって」いられたのだと思う。
(シャ-マニズムはアニミズムの考え方の上に成り立ち、霊的存在に干渉できる能力者・シャーマンを介して現実の問題解決に利用すると言う考えに発展したもの)
 
現代はどうだろう。
軽度の障害者は社会も受け入れているけれど、生まれ落ちた瞬間から高度医療の発展により無数のチューブで繋がれた命は、社会に繋がっているだろうか。

医療の発展は結構なこと。素晴らしいこと。
けれど、その後のケアを家族と養護施設だけに任せているこの現状はバランスが保てていない。
障害者児童の話だけでなく、老人介護にしてもそう。
極少数の家族と介護者だけと繋がっているだけでは、社会と繋がっているとは言い難い。

医療の発展と比例した形で発展しなければいけないのは、社会に生きる我々一人一人の要介護者を支えるための意識(姿勢)であり、行政の在り方だと思う。
重度障害者が生きられるようになった昨今を賞賛するなら、重度障害者も社会と繋がる行政が必要なはず。
些細な呼吸障害だけで入学を認められない子供だっている。
そんな冷たい社会に放逐されるなら、何のための高度医療だろう?

正直に言うと、私が胎児に異常があると告げられて絶句し悩んでしまったのは、やっぱり障害者を望んでいなかったという事実に尽きる。
恥ずかしながら、障害者を介護する立場におかれる自分の労苦を思い、重度障害者の子の「生」の意味を考えました。
障害者と同じ立ち位置でいられない自分を見つけたわけだ。

そこで、かの市長の日記の発言に戻るのだけど、竹原市長に苦情、批判、断罪する者は、一切の差別心を持っていないのか。
マスコミが竹原市長の日記の一部を切り取って、擁護施設の関係者に詰め寄り、「どう思いますか?」と詰め寄る醜悪さ。
そして関係者は「けしからん!」っと激昂する。
私がその関係者だったら、絶対にマイクを向けた鬼畜に言う。

「何故ここに来たのか」って。

笑って言ってやる。

「アンタがここに来たことこそが、差別と偏見そのものじゃないの?」って。

マスコミに踊らされ過ぎな感があります。
矛先を間違えている関係者は、本当に要介護者と社会を繋げようと親身になっているのだろうか。
声を上げることの出来ない障害者を代弁するつもりか、比較的軽度な障害者も声を荒げている。

「俺達のような者は生きる価値はないのかっ!!」

自らを障害者と認め、貶めるような発言は、そのまま重度障害者への差別なのではないかと、なんだか偽善的な臭いがする。

こういう発言の方が、なんか嫌な感じ。
これが竹原市長の言う「センチメンタリズム」なんだと思う。

私が阿久根の竹原市長を支持するかと言えば、それはまた別なんだけど。。。

Robert Palmer - Addicted To Love (Live)

豚インフルエンザと言われた疾病が、いつの間にか新型インフルエンザと名称変更をしていました。
このテの修正の速さはお見事だけれど、
ウィルスブロックのための水際作戦はいただけない。
このGWで、一体どれだけの人が入出国したでしょう?

新型インフルエンザの存在は、GW前から判っていたこと。
真の水際作戦を展開したいなら、旅行、渡航のキャンセル料は無料にして、少なくともレジャーによる渡航を
禁止すべきではないのだろうか?
相応の事情がある者だけに制限出来なかったのだろうか?

フェーズ5?6?

大騒ぎするわりには、空の玄関口はユルユルじゃないの?
この新型インフルに真剣に取り組んでいて、何が何でも水際で食い止める気概があるなら、
海外渡航者、旅行会社に政府が補償のキャンセル料を支払う形で、制限するべきじゃない?

災害時の予備資金、あるんでしょ?
なぜそれを使ってもっと厳しく取り締まらないんだろ?

△△市の高校生に陽性の疑いがあります。
今度は○○市の中学生。。。
今回は××市の主婦、、、

なんだかおかしくないですか?
まるで犯人を捕まえたような報道に聞こえてならないんですけど。


降って沸いたような新型インフルエンザの、よくわからないパンデミックの恐怖に戦々恐々としている政府だけれど
ちょっと待て。

メキシコで17人が亡くなったとは聞いてる。

日本ではもっと大きなパンデミックが起こっているじゃないの。

年間自殺者3万人超

増え続けてますよ。

これこそ日本が抱える疾病であり、闇だと思うのですけど。
全く解決策がないってぇのはどういうこと?

年間自殺者3万人超

単純計算で、1日に100人くらいが自ら命を絶っているってことですよ。

これこそパンデミックじゃないの?

また『自己責任』とでも言うんですかね?


危険な病気が蔓延してる世界に、「いってらっしゃーい」と見送るだけの体制を見事に整えている政府には
ツッコミどころ満載なんだけれど。

実名報道こそしないけれど、擬似患者には、個人が特定できそうなくらいの情報を流して、まるで犯人扱いして。
きっと新型ウィルス保持者見つかった暁には、胸を張って「自己責任」と怒鳴るのでしょう。

あ~ぁ、溜息。


中森明菜 十戒



獅子様の選曲ぴたり☆
三河の田舎で生活していた頃は、車は大活躍でした。
通勤、買い物、週末のドライブ。
鉄道が都市圏ほどに整備されていない町なので、自動車は正に生活する上での「足」でした。

まったくコイツときたら、道具であるくせに腹を空かせる。
定期的に病院にも行かなければならない。
人間でもあるまいし、保険もかけなきゃいけない。。。
機嫌の悪いときには音楽を聞かせてくれないんだから、参っちゃう。

今はすっかり公共交通機関に頼っているので、もう10年近く運転免許証は身分証明書としての
役割を果たしています(笑)。

でも、最近マイカー購入を考え始めました。
ドライブがてら、ちょっと近場のアウェーの試合にも行きたいと思うようになったし、気軽に小旅行を楽しみたくなったので。
ま、養母の足代わりになるのだろうけども(笑)。

車、買っちゃおうかなぁ、、、そう考えていると気になるのは、燃費と環境への影響。
こんなご時勢ですからね。。。

うちの親会社さんは、「eco替え」なんてことをうたい文句にCMしてるけど、ト○タの本社、多数の工場へ通勤する社員さんの車は、
未だに4WDやスポーツタイプ、高級車が多いのだよね。
ならば、、、っと他社の「インプレッサ」等が欲しいと思うのだけど、、、大顰蹙だろうから断念。

やっぱりト○タを買わなくちゃ、、、えーん。
ハイブリッドと言われる車種、、、どれも好みじゃないし。

車選びは、部屋探しと一緒で萌える。いや燃える。

そんなこんなで、ちょっとエコカーのルーツを調べてみました。

そしたら、なんと!こんな情報をゲット。
皆様、ご存知でしたか?


ヘンリー・フォードが1世紀前に開発した第1号のT型フォードはアルコールで走る車だった。ルドルフ・ディーゼルが発明した最初のディーゼルエンジンもピーナツ油を燃料にしていた。だが二人の発明家はまもなく、石油に目をつけた。石油はちょっと精製するだけで、植物由来の燃料よりもはるかにエネルギー効率が高く、製造コストも安い燃料になる。石油の普及で植物由来の燃料は忘れ去られたが、1973年にOPEC(石油輸出国機構)が原油価格を引き上げ、第1次石油ショックが起きると、米国をはじめとする石油輸入国はエタノールを見直し、ガソリンに混ぜて供給不足を補った。

ナショナルジオグラフィック日本版より

フォードさんが1908年に初めてT型フォードを設計した時、燃料にはエタノールを考えていたそうです。
それから、1930年代にコーンから作った「ガソホール」というエタノールを扱うスタンドが2000以上できましたが、石油が安くなって、
石油からできたガソリンが広まり、ガソホールは消えていったとのこと。

約100年前の1898年にルドルフ・ディーゼルがディーゼル・エンジンを設計した時、彼はそれをピーナッツ油で動かしました。
そのエンジンの名前にもなった彼は、大資本と大がかりな装置が必要で、燃費の悪い蒸気エンジンが
企業家に独占されている状態を懸念し、小農民や職人たちが地元で生産できる原料から、地域で製造できる燃料を使って
無駄なく出力する機関としてのディーゼルエンジン「適正技術(appropriate technology)」を開発しました。

1世紀前、自動車が世に出現した頃は、それこそ植物を原料とするアルコールや、油が自動車燃料と考えられていたのです。
ちょっとびっくり。

自動車と、ディーゼル・エンジン、この素晴らしい発明をしたフォードさんとディーゼルさんが、なぜ「石油」に目を付けたのか。。。
20世紀初頭、1910~1920年の内に、何が起こっていたのでしょう?

1851年から一部の州で採用された法令が、1919年、米国の憲法となりました。

それが「禁酒法」

禁酒法:飲料用アルコールの製造・販売・運搬等を全面禁止とするもの。
しかし、自宅内における飲酒は禁止されなかったので、多くの富裕層は施行前に酒を大量に買い溜めしていた。
さらに、酒を買い付けにカナダに走る者も多く、そのへんの法整備は全く出来てなかったものだから、
カナダ産の合法酒はアメリカによって密輸入され、カナダが潤うけっかにもなりました。


ピューリタンの精神色濃いこの法律は、酒によって家庭内に亀裂が起きないこと、治安の向上を目指したものでしたが、
帰って地下組織を暗躍させることになり、悪名高い「アル・カポネ」をはじめとするギャングが横行し
治安は以前にも増して乱れたといいます。

アメリカの禁酒令、日本に例えると「生類憐れみの令」と同じくらいアフォーな位置づけでしょうね。

少し話がそれましたが、要は、石油の利権に目を付けた権力者が、第一次世界大戦の食糧事情を
適当に「食糧が無くなっては大変だ!」っと煽り、無理やり国民の目をアルコール及び植物油から
石油に向けさせちゃったってこと。

現在、100年に渡って使用してきた石油によって、何が起こっているでしょう?
戦争、温暖化問題。
石油が人々にもたらしたのは、「破壊」だけと言うのは言い過ぎでしょうか?

移動手段としての乗り物のうち、車だけでもアルコールと植物油で走っていたら、
この100年間における死者は、10分の1くらいになっているのではないでしょうかねぇ。。。

ま、燃料が化石燃料であろうが、植物であろうが、戦い好きな馬鹿は何時の世にも蔓延るので
一概には言えませんけども。。。




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