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今年の夏、これほど話題になった書籍はありませんでしたね。

1Q84 -村上春樹-

なかなか手に入らなかったので少し世間に遅れて読みはじめ、一読した後は感想らしき言葉を発することも出来ず、感慨に耽ってました。

はっきり言ってよくわからない、、、だからもっと知りたいっていうザワザワした感じ。

初めは、オーウェルの「1984」に対比した作品だと思い込んで読み始めたので、どうしても政治とか世相を反映した読み物だと思ったのだけれど、
これは壮大なラブ・ストーリーだと思い至りました。

マザもドウタも(正と副)、パシヴァもレシヴァ(与と授)も、恋する者同士で完結し得ない「想い」を伝える役割を担ったパーツだと考えると、
なにやらいかがわしく不吉な存在と思われた「リトルピープル」は、とても重要な気がしてきました。

 
読者として率直な希望は、「続編ヲ望ム」ところだろうけど、やっぱり青豆は死を選んだのだと思う。
愛する天吾を助けるためなら、熱情的でありながら冷静な彼女は信念を貫くと思う。

彼女が亡くなることでその強い想念はリトルピープルの理にかない、空気さなぎを生成させ、天吾の前に束の間現れたのではないだろうか。。。
 

 「つまり、僕には彼女が見つけられるということ?」
 「そのひとがあなたをみつける」と少女は静かな声で言った。柔らかな
 草原を渡る風のような声だ、
 「この高円寺の町で」
 ふかえりは首を傾げた。それはわからない、ということだ。
 「どこかで」と彼女は言った。
 「この世界のどこかで」と天吾は言った。
 
 ふかえりは小さく肯いた。「ツキがふたつそらにうかんでるかぎり」



物語のラストで、天吾は夜空に二つの月をはっきりと見たけれど、それは線路のカーブに従うことで、ゆっくりと視界から消えていった。

次の日も天吾には二つの月が見えるだろうか?

 
この物語で突如として現れる小ぶりでいびつな緑の月。
見慣れた黄色の丸い月と、ソレは一体どちらが本物の月なんだろう?

小ぶりでいびつな緑の月の方が、物事の本質を凝視しているような気すらする。
寄り添うアンバランスな月は、青豆の両の乳房を連想する。

均衡を求め無いことが均衡を保つことなのかもしれないとも思うし、抗らうことがことさら必要とも思う。

やっぱりわからない。
2ヵ月後、3ヶ月後の感想は、今とは全く違ったものになってるかもしれない。
 
それくらい奥が深い。

青豆はやっぱり死んだと思う。
 
青豆の想念がリトルピープルをして空気さなぎを生成させた。
 
天吾がいくら「絶対に探し出して見せる」と言ったところで、出逢うのはせいぜい青豆のドウタだろう。
 
月は時折人を狂わせる。
 
今見ている月は本物なのかな?


バッハ:マタイ受難曲 - 第1曲 (小澤征爾)


 
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