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先日、イラクの住宅街における、米軍による民間人虐殺のビデオをご紹介しました。
平和と秩序の探求者
この事件で、そこに居合わせた米陸軍兵の二人が、アメリカ政府の破壊的政策に対し、イラクから手を引かない政府に代わり、アメリカの代表としてこの事件で亡くなられた方のご遺族に、謝罪の手紙を書きました。
その手紙をご紹介します。
AN OPEN LETTER OF RECONCILIATION & RESPONSIBILITY TO THE IRAQI PEOPLE
拙訳を掲載します。
(ここから開始)
現役及び退役米軍によるイラクの人々への和解と責任の公開書簡
平和があなたと共にありますように。
ウィキリークスの虐殺ビデオに描かれている、2007年7月のバクダッドでの(米兵による)投射により、怪我をされ、愛する人を失った全ての方々へ。
私たちは、あなたに、あなたの家族に、そしてあなたの地域の仲間に、私たちの言葉や行動などで、決してあなたが失ったものがまた戻ることはないことを承知で書いています。
私たち2名は14ヶ月間あなたの近隣で任務についていた兵士です。エーサン・マッコードはあなたの娘と息子をバンの中から引っ張り出している時・・・その時、自宅(米国)に残してきた自分自身の子供たちの顔が浮かびました。ジョシュ・スティーバーとは同じ隊の所属でしたが、その日はそこには居ませんでした。しかし彼もまた別の多くの点で、あなたに、そしてあなたの地域の仲間に苦痛をもたらしました。
失ったものは全て、一切戻ってはきません。私たちが求めるのは、私たちの犯した過ちから学び、私たちが出来る全てを成すことです。アメリカの人々が私たちがしてきたこと、あなたにしていること、あなたの国にしていることを、どれほど気づく必要があるかと、人々にこの体験を話すことです。わたしたちが与えた傷を治療するのに、一体何から始めれば良いでしょうか、謹んでお伺いします。
私たちは聞く意志がある人々には誰にでも話しましょう。そういう人々に言いましょう。あのウィキリークスのビデオが示すのは、私たちが引き起こした凄惨な事件の描写の始まりに過ぎません。私たちの経験から、そして他のベテランの兵士の経験から話しますが、このビデオが描写する行為は、この戦争において毎日発生しています。これこそがアメリカが主導しこの地域にもたらした戦争の本性です。
私たちはあなたの愛する人々を殺し、負傷させた者であることを認めます。同様にアメリカ人にも話しましょう。私たちが何のための訓練をされ「神と祖国」の名の下に、何をもたらしたかを。ビデオの中の兵士は「あなたのご亭主は子供を戦闘に連れてくるべきじゃなかったんだよ」と言いましたが、しかし私たちはあなたの近所に、あなたの家族のすぐ傍に戦闘を運んできてしまったことに責任を感じています。私たちは、私たちが全く望んでいない(酷い)ことを、確かにあなたにしてしまいました。
もっともっと多くのアメリカ人が、この名において何がもたらされているか責任を取らなければいけません。私たちは冷酷な心でもって、あまりにも多くの(残虐)行為をしてきましたが、私たちは、あなたに対して行ったことを忘れていません。私たちの心は重いですが、それでもまだ希望を持っています。私たちが否定するように教えられてきた、あなたの人間性をこの国が見直すことを。
アメリカ政府は体裁を気にするあまり、あなたを無視するかもしれません。負傷したり、あなたの国で自分が見たもの、自分がしたことで精神的に問題を生じ、退役するベテラン兵士達についても無視するでしょう。しかし、大変遅ればせながら申し上げるには、私たちの国家の指導者達は、最早私達の代表たる価値などありません。国防省の秘書官は「アメリカは、これ以上の評判を失うことはない」というでしょうが、しかし、私たちが立ち上がって言いましょう。私たちの名誉の重要性など、ごく当たり前の人倫との比較において、なんと希薄なものかと。
アメリカ中の、私たちの仲間のベテラン兵のみなさん、そこで奉仕するみなさん、もちろん民間人のみなさんも、海外のみなさんも、私たちにとって当たり前の人道の証明として、この手紙にご賛同のサインをお願いします。私たちの国家の破壊的な政策から距離を置き、私たちの手をあなたに差し伸べましょう。
このような苦しみに、友情を申し出るなど虫が良すぎるかもしれません。どうかわたしたちの陳謝と悔恨と思いを、そして米国内からの変化による献身を受け容れてください。あなたにに、そしてあなたの愛する人に起きたことに対して責任をもって、この戦争と軍事政策に反対の声を上げることに、私たちは最善を尽くします。私たちは、私たちが引き起こした苦痛を耐え忍んでいるみなさんに対し、どんな支援ができるか、心を開いてお聞きしたいと願っています。
厳粛な気持ちをこめて
元米軍スペシャリスト ジョシュ・スティーバー
元米軍スペシャリスト エーサン・マッコード
(おわり)
戦闘地域に行かされた米軍と言えども、人を殺すことは決して許される行為じゃない。
けれど、この手紙を読んでいたら、非常に複雑な気分になりました。
もちろん手紙からは真摯な想いが伝わってきました(とても丁寧に書かれています。)けど、和訳で色をつけた部分に衝撃を受けました。2箇所あります。
◆私たちが求めるのは、私たちの犯した過ちから学び、私たちが出来る全てを成すことです。
◆私たちが否定するように教えられてきた、あなたの人間性をこの国が見直すことを。
65年前の原爆投下からは何も学んでいないのか?他民族の人間性を否定する教えとは、学校教育なのか、米軍の教育なんだろうか?
この二人のこの手紙に賛同し、署名者は2週間足らずで3,200人を越えているようですが、これは多いのか少ないかどうなんだろう?
それでも思うことは、こういう手紙を書くべきヤツは、他に居るんじゃないの?
書き手に「私たちの国家の指導者達は、最早私達の代表たる価値などありません」と言わしめた、当時のバカ大統領とかアホ軍部とか。
ブッシュ!ラムズ!チェイニー!おまぃさん達のことだっ!!
★追記★
改めて読んでみると、どうもヘンテコな文章のようにも思え、それは訳が下手だからかもしれませんが、謝罪文としては、日本人感覚で言うと、「書かなくてもいいんじゃないか?」と思えるところもあります。
少し意地悪な見方をすれば、このビデオの流出が無ければ、この二人が謝罪文を書くことは無かったかもしれません。
しかしながら、イラクから復員した米兵の自殺が後を絶たないようで(月平均950名)、黙っているより、何か贖罪行動をせずにはいられなかったのだろうと察します。
アメリカでの経済格差は、2年程前から深刻な問題となっているようですので、やむをえず志願した人も少なくないでしょう。
彼らもブッシュ、ラムズフェルド、チェイニー及び軍産企業の被害者です。
いたたまれません。。。
米軍基地って、何のためにあるんでしょうかね?
国防って何でしょうかね?
ベトナム戦争時の実際にあった話しです。
マイケル・J・フォックスが、あまりに役に向かなかったという批評もありますが、これは作品を語る上ではあまり意味がないと考えます。
実際に見ていて米兵の強姦シーンなど嫌になりました。ちなみにショーン・ペンが演じていてこれは適役でした。
アワビさんが訳されたお詫びの手紙のように、彼はベトナムでのあまりにむごい仕打ちをした米兵を糾弾します。・・・・まともな奴はどこにもいるんです。まともな奴が狂うのが、たぶん戦争というやつです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・以下コピー
「カジュアリティーズ」
原題: Casualties of War
製作国: アメリカ
製作年: 1989
配給: コロムビア/トライ・スター
スタッフ
監督: Brian De Palma ブライアン・デ・パルマ
製作: Art Linson アート・リンソン
原作: Daniel Lang ダニエル・ラング
脚本: David Rabe デイヴィッド・レイブ
撮影: Stephen H. Burum スティーブン・H・ブラム
音楽: Ennio Morricone エンニオ・モリコーネ
美術: Wolf Kroeger ウォルフ・クレーガー
編集: Bill Pankow ビル・パンコウ
字幕: 菊地浩司 キクチコウジ
キャスト(役名)
Michael J. Fox マイケル・J・フォックス (Eriksson)
Sean Penn ショーン・ペン (Meserve)
Don Harvey ドン・ハーヴェイ (Clark)
John C. Reilly ジョン・C・ライリー (Hatcher)
John Leguizamo ジョン・レグイザモ (Diaz)
Thuy Thu Le ツイ・ツウ・リー (Oahn)
Erik King エリック・キング (Brown)
Jack Gwalthey (Rowan)
Ving Rhames ヴィング・レイムス (LT.Deilly)
Dan Martin ダン・マーティン (Hawthorne)
Dale Tran (Capt Hill)
Kady Tran (Yen)
解説
ヴェトナムの戦場で上官と同僚の犯した罪に苦悩する一兵士の姿を描く戦争ドラマ。製作はアート・リンソン。ダニエル・ラングの原作を基に、監督は「アンタッチャブル」のブライアン・デ・パルマ、脚本はデヴィッド・リーブ、撮影はスティーブン・H・ブラム、音楽はエンニオ・モリコーネが担当。出演はマイケル・J・フォックス、ショーン・ペンほか。
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
74年、ヴェトナム帰還兵のエリックンン(マイケル・J・フォックス)は、電車の向かいに座るアジア人の女学生の姿に思わずハッとする−−66年、ヴェトナムの戦場にいたエリックソンは敵の掘ったトンネルに落ち、身動きできないでいた。そんな危機一髪の彼を救ったのは上官のミザーヴ軍曹(ショーン・ペン)だった。それから間もなく帰還間近の無線係ブラウン(エリック・キング)が狙撃され死んだ。怒りに狂う仲間たちは、手当たり次第にヴェトナムの村人を射殺した。そんなある夜、基地に戻った小隊は中央ヴェトナム高地の偵察パトロールを命じられる。出発前ミザーヴはヴェトナムの少女をさらってレイプしようと提案、エリックソンは耳を疑うが、実際に若い娘オアン(ツイ・ツウ・リー)を誘拐し、彼女はエリックソンを除く4人の仲間たち、ミザーヴ、クラーク(ドン・ハーヴェイ)、ハッチャー(ジョン・C・ライリー)、ディアズ(ジョン・レグイザモ)に犯されてしまう。傷ついた娘をいたわることしかできないエリックソンは、仲間の留守中に彼女を逃がそうとするが、それも失敗に終わった。やがて小隊は対岸に北ヴェトナム軍の陣地がある河のほとりにやってきた。そして激しい銃撃戦の中、誘拐と暴行の証拠を消すため、オアンはミザーヴ軍曹の命令で射殺されるのだった。基地に戻ったエリックソンは、事件を軍の上層部に訴えるが、上官たちは彼を相手にしない。そんな折、小隊の4人によって命を狙われたエリックソンは、ついに事件の全貌を隊の牧師に訴える。そしてそれをきっかけにして軍による正式な捜査が始まった。ミザーヴ軍曹ら4人の兵士たちは軍法会議にかけられ刑期を科せられた−−電車がとまりエリックソンは我にかえった。前に座っていた女学生(T・T・リー=二役)に続いて彼も下車した。目前に広がる平和なキャンパスの風景に、ひとときエリックソンの心が和むのだった。
コメントありがとうございます。
映画の紹介もありがとうございます。うーん、いかにもアメリカ特有の戦争映画という感じですね。この映画の兵士も、エントリーの手紙を書いた兵士も、その行動は美談だと思います。
ただ、一個人の正しい行動が、この映画ではベトナム戦争の是非・手紙ではイラク戦争の是非を隠しているのではないかと穿った見方をしてしまいます。
形而上の大きな問題を、こういう美談を見せることによって覆い隠しているような気がしてなりません。最近では、早速イラク戦争を扱い、アカデミー賞を受賞した「ハートロッカー」なんて映画にもそんな臭いを感じます。これを脱構築と言うのでしょう。先日のサウスパークのアニメなんかは、その典型ですね。
手紙を書いた二人の兵士は、大真面目なのだと思います(たぶん)。
だから「美談」だと思って描いたのですけど、脱構築への序章ではないかと思えないことも無いので(←やなヤツ!)今はちょっと複雑です。
この手の謝罪文は、さる意味典型的<アメリカ人>のフェアーシップを感じますが、ワルさした中学生が先生に書かされる<反省文>と同列の心理状態みたいにも見えますね。
書くという行為によって、自らが許される、と言うか精神的苦痛(もし感じていれば)から解放される、みたいな自分への行為の様にも見える(ひがみ根性でしょうか)。
いずれにせよ、本人達は<大真面目>な筈です。
戦闘行為中だって、大真面目だし、イラクへの侵略だって大真面目だったのです。
アメリカの<世界規模での大真面目>が、世界の癌になる。。。
まあ、書かないよりは書いた方がずっと良いとは、思います。
でも、現地の関係者がもし読んだら、決して心は晴れないでしょうね。
アラブの人々は、義理人情に熱く、ええかっこしいのフェアープレー精神など、有りませんから。
原爆を落とした事だって、何かを学ぶ、等と言う事にはなりません。
政治家と軍事関係者にとっては、当然の行為だったし、アメリカの一般大衆は、原爆を投下<される事>の意味が、分かっていないと思います。
何しろ、初めての外部からの(異説も有る様ですが)攻撃が、3000名弱の貿易センタービルで、それで初めて逆上したくらいです。
他人の痛みは分からない(隣人同士レベルは別)人達です。
謝罪文への賛同者3200人なんて、宇宙的規模で<少ない>と思います。
自殺者も、自便地震の痛みによ結果であり、他人の痛みの結果ではないと思います。
厳しすぎるでしょうか?
コメントありがとうございます。
ここのところ体調不良で、ネットから遠ざかっておりまして
お返事が大変遅くなりまして失礼しました。
でも、いただいたコメントに甚く感じ入るところがありまして、どう言葉にして良いのか解らなかったのも本音です(ぼそっとつぶやく・笑)
自分でもどうもヘンテコな謝罪文だなぁ、、、と思っていましたが、何処がどう変かと言われると、私的には、色とつけた部分で「日本人感覚では言わなくてもいいこと」が記されていることだったんです。
>この手の謝罪文は、さる意味典型的<アメリカ人>のフェアーシップを感じますが、ワルさした中学生が先生に書かされる<反省文>と同列の心理状態みたいにも見えますね。
「なるほど!」と思いました。
確かに、例えばアメフトの試合で熱くなりすぎて相手選手に重大な怪我をさせてしまった時も、ほとんど同じ文面になりそうです。
>書くという行為によって、自らが許される、と言うか精神的苦痛(もし感じていれば)から解放される、みたいな自分への行為の様にも見える(ひがみ根性でしょうか)。
もともとキリスト教文化圏の人々のメンタリティとも言えるかもしれませんね。
『罪の告白』をすれば赦される、重荷を下ろすことが出来る、、、要するに自己満足。私も相当手厳しいですが。。。
私は若い頃にキリスト教に傾倒しましたが、やっぱりどこかに仏教的な要素を持ち込んでしまい、アメリカ人牧師からは「異端視」されました。
日本人なら多くの人が、「人は死ぬと『仏』となる」こういう畏怖から、死者に対して冥福を祈り冒涜はしない精神があると思うのですが、キリスト教は「復活」を信じていたり、死者は所詮唯物神以上の者では無く、そこに従属すると考えます。神に対して真摯に懺悔と悔い改めをすれば全てを「リセット」出来るとでも思い込んでいるのかなぁ、、、と暗澹たる気持ちになります。
>政治家と軍事関係者にとっては、当然の行為だったし、アメリカの一般大衆は、原爆を投下<される事>の意味が、分かっていないと思います。
5月3日付けの中国新聞にこんなことが書いてありました。
http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te201005030096.html
◆「原爆が落ちた近くが公園だったから良かったですね」。米国人記者の言葉に、映像プロデューサーの田辺雅章さん(72)はえっと耳を疑った。「広島一の繁華街だったんですよ」。3年前、ニューヨークであったやりとりという◆
嘘かと思いました。開いた口が塞がらない。
けど日本人の一部にも中国や韓国・北朝鮮に対して、こういう態度の人は居ると思うと、全く嫌~な気分になります。
>謝罪文への賛同者3200人なんて、宇宙的規模で<少ない>と思います。
今日覗いてみたら、約100人増えていただけでした。
アメリカ全土に呼びかけているワリには、圧倒的に少ないですね。
うーむ、「美談」に対するちょっとした疑問のつもりで書いたのですが、考えれば考えるほど、アメリカの軍事戦略とか教育とかメンタリティに疑問を持ちますね。(本当は馬鹿!といいたいところですが・・・)
すみません、思いつくまま書いてたら長くなり過ぎましたっ(汗)。
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