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引き続き、自分なりに死刑制度について考えてみます。
どちらかと言えば反対派なのだけど、辺見庸さんの講演を機に、自分のバラストを探ってみようかなと。
まず、辺見庸さんの講演を聞き終え思ったのが、私たちが日常耳にする言葉に、現実を想起させる生々しさが宿っているかということ。
「死刑」という言葉に、これから執行される刑に、どれだけの人が携わり、どういう現実が起こっているのかを、あらん限りの想像力をもって思考する態度がなければ、人としてあるべき姿というのは見えてこないと思う。
自分を蚊帳の外に置いていてはいけないと思う。
論理的な分析は苦手なので、自分なりの考査をしてみます。
これが私のバラストの位置であり、重みであるという観点だけでもって。
辺見庸さんの講演を聞き終えた後でも、未だ積極的な死刑廃止論者とは成り得ていないけれど、
まず2点、考査に当たり、始めの一歩みたいなもの。
①死刑制度による凶悪犯罪抑止力性
②加害者・被害者・従事者の相関性
それを私の鳥脳でもって考えてみようと思う。
- ①死刑制度による凶悪犯罪抑止力性 -
私は現在の死刑制度は犯罪抑止には繋がらないと思う。
なぜなら、「死」に至る経緯(実態)が厚いベールに隠されているから。
日本の死刑は「絞首刑」だけれど、私たちが知り得る情報はそれのみ。
死刑囚が突然宣告を受け、刑を執行されるまで、どれだけの時間を要するのか、最期の時間まで何を考えていたのか、刑場までの廊下を何を思って歩いていたのか、目隠しをされ、首に縄がかけられる瞬間まで、どれほどの恐怖を感じたのか、そんな事柄は全く知ることは出来ない。
執行のニュースも密やかに短い言葉で伝えられるだけ。
私は、本当に「死刑」を抑止の材料としたいのなら、江戸時代のように「見せしめ」として公開しなければ、恐怖が恐怖として正しくは伝わらないと思う。
けれど実態は、人が死に至る「残酷な絵図」は隠蔽されています。
意味不明なモラルという名のもとに。
加害者の人権擁護のためなのか、残虐シーンによって薄弱たる私たちが精神障害を引き起こさないための配慮なのか、一体どちらなのだろう。
いやいや、国家が人を縊る淫靡性を隠したいというのが本音ではないだろうか。
刑の執行が隠蔽されているため、人々の想像力は損われ、拡張しない。
「打ち首獄門」の公開刑場を各所で見ていた先人は凄いと思う。
私たちはソレを静視できるだろうか。
公開処刑なるものがこの日本であるとすれば、貴方はそこに駆けつけるだろうか?見たいと思うだろうか?
その場に立ち会えるだろうか?
一人の生きた人間がくびり殺される瞬間に立ち会えるだろうか?
駆けつける者は「非人道的!」「悪趣味!」などとあらゆるバッシングを受けることだろう。
モラルという名のもとに。
でも、その実「死刑制度」を容認出来るのはなぜなのだろう。
マスコミは何故伝えないのだろう。。。つまり、それほど惨憺たる現象、国家にある日突然無理やり命を奪われる奈落。突然目の前に現れる奈落の深淵を突きつけられる恐怖。
しかし「死刑」という言葉に、「凶悪犯」というイメージだけが植えつけられ、刑の残虐性を白濁せしめる。
「死刑」という言葉は、冷たい無機質感しか与えていない。
想像力を提示しない言葉である。
その結果、何も知らないままに我々は「死刑」「死刑」と叫び声を上げる。
では、なぜ、部外者たる者ですら、「死刑」と声を上げるのだろう。
死体を見る胆力もないくせに。
「死刑」という言葉に、もはや人の命の質感を伴わないのだ。質感を伴わない言葉に、果たして抑止力があるだろうか。
- ②加害者・被害者・従事者の相関性 -
「死刑」の言葉から連想されるものは、せいぜい「凶悪犯罪を犯したためにいずれ死ぬことになる犯罪者」というイメージだろう。
けれど、その「凶悪殺人犯」の内面すら私たちは知らない。
全く知らない。
起訴された時点で、被害者と加害者との面会は認められない。刑が確定すれば、受刑者は肉親と弁護士との接見しか認められない。
「死刑」の言葉そのものは、冤罪の可能性を提示していない。実は温和で何処にでもいる人物だったという可能性も、もちろん内包していない。
「死刑」という烙印を押されると同時に、人間性も可能性も一切が否定され、そのまま娑婆から消える。
犯罪の動機、現在の心境、どれも顧みられることなく忘れられてゆく。
そしてそのまま、刑務官のコツコツとした靴音が自分の部屋の前で止まるまで、何時まで続くか判らない、恐怖に苛まれる。
その恐怖を想像した上で、尚「この者に死刑を」と叫ぶことが出来るのは、被害者であり、その遺族ではないだろうか。
どうせ密やかに行われている穢の儀式である。
いっそ、被害者遺族に奈落の底を空けるボタンを押させ、本懐を遂げさせてやればいいではないか。
そこまでの気持ちがあるなら。
厚い壁と柵に閉ざされた、狭い空間の人間関係を思う。。。
刑務官も囚人も皆人である。
かわす言葉は多くないであろうけど、規則正しい生活の中で、刑務官は収監されている人に潜む残虐性を探しているのだろうか。
単調な毎日であるけども、毎日宣告におびえて過ごす者は、決して赦されるべきではない存在なのだろうか。
決して簡単なことではないけれど、加害者と被害者が交流し、詫び、赦し合えるなら、それでいいのではないか。
死刑執行の際、死刑囚には自分が望む宗教に則して、お坊さんの説諭やらキリスト教者によって悔悟の時が与えられるそうである。
最後の言葉を聞き、冥土へ送りだすそうである。
宗教家なら、なぜ「止めろ」と言わないのだろう。「止めろ!今すぐ止めろ!」と大騒ぎする者が一人くらいいてもいいではないか。いや、居たかもしれない、、、でも知り得ないのだ。
悪い魂は、葬られるべきなのか。
では、悪い魂と決めるのは誰か、、、「国家」ではないか。
都合が悪くなれば、簡単に法を犯し嘘をつく、この国家ではないか。
死刑制度の賛否を問うには、被害者心理も無視出来ません。
だから、私は、問題提起したものの、死刑制度には未だ消極的な反対者です。
ただ思うのは、「死刑」という言葉、その影に隠れた残酷な実態を知らずに、死刑制度存続を唱えるのは、
「中国憎し!北朝鮮憎し!」と声を上げる極右的な人々と、同じバラストを感じるのです。
自分は絶対に殺人現場も死体も見ることなく、誰かに任せて痛みを知ることを拒む態度などは。。。
今年も凄惨な事件が数多くありました。
ご遺族の方におかれましては、一刻も早く心の傷が癒されますように。
年末、ワイドショーも時間が拡大されて特番みたいになってますね。
つまらない、本当につまらない。
掃除をしながら、テレビを見るともなしに点けていたら、時の人、マツコ・デラックスの登場!!
もう、迫力満点^^
今年もまた、よくわかんない人が出てきたなぁ、、、くらいにしか思っていなかった。
大体こういう脂肪だらけの巨漢の人好きじゃないし。
だけど、今日はそのマツコ・デラックスが山本晋也監督との対談(雑談みたいなものだけど)、今年の重大ニュースを語り合っているときに気炎を上げたトピックが、北朝鮮の韓国砲撃ニュース。
「もうさ、驚いたのなんのって、ひっくり返りそうになったわよぉ!
本当に戦争になるかと思ったものぉ!
けどさ、インターネットの問題もいろいろ言われているけどさぁ、やっぱり便利よねぇ。
っていうか、あーた、インターネットが無かったらさ、情報が錯綜して、戦争かどうかも判らないうちに暴動が起きるわよ。
ほんと、馬鹿みたいな情報ばっかだけどさぁ、情報が拾えるってことはいいことよぉ。
20年前だったら、(暴動が原因で)本当に戦争になってたかもしんないじゃなぁぃ?」
なんてのたまってた。
それを聞いて、俄然この人が大好きになっちゃった。
うん、うん、正しいよ!
I某都知事がさ、性同一性障害について、とんでもない暴言を吐いていたけどさ、何言ってやがんだい!
なんかさ、最近正論を言える人って、おねぇキャラが多いような気がする。
なんだっけ、なんたらマングローブとか。
けど、道化(ピエロ)キャラでいなくていいと思う。
なんだか悲哀を感じるんだよね。。。
それがウリなんだと言われれば、なんとも言えないんだけどさ。。。
普通に主張出来ない世の中なんだよねぇ。。。
私は、若い頃からずっと「死刑廃止論者」でした。
しかし、近年考えがまとまりません。
あまりにも非人道的な犯罪を、「いとも簡単に」犯してしまう人間が多すぎる。
勿論、教育されていないから、人の痛みが分からない、我慢しなければいけない事をわからない。。。
でも、だからと言って、無茶苦茶な殺され方をして、いくら犯人を更生させたところで、被害者は浮かばれないし、被害者の親族も決してなぐさめられません。
最近の私は、「目には目を、歯には歯を」のイスラム法が、一番良いのではと思う様にすらなりました。
幾ら未成年でも、他人にたいして残酷な仕打ちを平気で行った者を、何故わざわざ公正させる必要が有るのか。。。
終身刑でもあればまだしも。
レイプした人間はレイプされれば良い。
虐めて殺した者は、虐められて殺されれば良い。
引き逃がした者は、ひき逃げされるべし。
そんな気がしてしかたがないのです。
日本の社会と、人間の業とに、展望が持てなくなってしまっています。
それから、人間とはかなり「残酷で猥雑」な存在だと思われます。
もし、今日本で又<獄門磷付け>を再現したとしたら、結局は多くの見物人が出て来ると思います。
中国でも公開処刑が行われている訳です。
日本人だけ例外的な「繊細な民族」であるとは、決して思えません。
そして、死刑廃止を声高に訴える人達は、自分の子供や親を殺された時に、同じ様に声高に死刑廃止を訴えるかどうか、知りたいものです。
この主題は、重い。
コメントありがとうございます。
確かに重い話題で、ブログに書こうかどうかちょっと迷いました。
けど、辺見庸さんから絞り出される声に、「命を削ってでも話すべき」との意思表示が伝わり、何か書かないではおれませんでした。
死刑廃止論を唱える際、どうしても被害者の心情について触れざるを得ませんが、被害者が加害者についての情報ソースは、弁護士とマスコミ報道だけというこの国のシステムそのものがおかしいと思うようになりました。
被害者の声を直に聞かずして、懺悔も何も無いだろうなって。
>もし、今日本で又<獄門磷付け>を再現したとしたら、結局は多くの見物人が出て来ると思います。
確かに。
今の日本は更に「残酷で猥雑」になっており、公開処刑なんてことがあれば、イベント感覚くらいにしか思わないで見物しに来る人々も多いかもしれませんね。
なんとなくそう想像できてしまうのは何故なんだろう。
昨今の日本の風潮から、直感するもの。。。
俯瞰して見るに、こういう場所に見物に来る人々は、決して自身を残酷で猥雑だとは思っていないのでしょうね。
ただ思うのは、関係者でもなんでもない第三者が死刑制度に賛成する姿は、「中国憎し!北朝鮮憎し!」と憎悪の声を上げる右傾化した人の姿と重なってしまいます。
>そして、死刑廃止を声高に訴える人達は、自分の子供や親を殺された時に、同じ様に声高に死刑廃止を訴えるかどうか、知りたいものです。
究極の命題ですよね。
私はこのFORUM90が20年間に成果を上げられなかったのは、この命題に対する姿勢が磐石でなかったからだと思っています。
私だったらどうするかなぁ。。。
国家に殺させるくらいだったら、私が手を下したいと思うかなぁ。
身を切るような悲しみと苦しみを飲み込むか、自分の手で処刑するか、私にはこの2択しか考えられないと思います。どちらも相当な覚悟が必要ですが。
新年も、ますますのご活躍をお祈り申し上げて居ります。
今後とも、どうか宜しくお願い致します。
2011年初春。
『晴れのち曇り、時々パリ』拝
あけましておめでとうございます。
ご挨拶が遅れて申し訳ございません。
こちらこそ、本年もよろしくお願いします。
フランスは猛烈な寒波に見舞われたとか、、、大事ありませんか?
今年も引き続き鋭い視点で愚政をぶった切ってくださいませ。
今年は初心に戻って、挑戦の年にしたいなぁ♪
自分の感じたこと(感性)を大切にしながら、相手の立場にたってものを考えることができる努力をしていかなければならないと思っています・・・。
そのヒントをいつもくれるこのブログ。頼りにしていますよ。今年もどうぞ宜しくお願いしますネ。
あけましておめでとうございます。
今年は卯年デス。新たな挑戦にはうってつけだと思いますよ。
どんどん飛躍しちゃってぴょん!
思いつきで始めたブログですが、皆様に支えられて何とか続けていられます。
今年もどうぞよろしくお願いします♪
もうねぇ、みゃーとし、1年がどんどん短く感じるでたーぎゃーにして欲しいでかんわ。
なんて、ガチな名古屋弁を使ってると、正月早々河村市長のこと思い出しちゃう。ぶるんぶるん!(←振り払う音)
自然の摂理もへったくれもないアイツを、何とか市政から葬りたいのだけど、うー、あいつめ、我が社の名誉取締役なんだよね。なんてこったい!
誰もが平等で平和に暮らせるように、小さい声だけれども、あげて行きたいと思います。
今年もよろしくデス!!
今年もよろしくお願いします。
話は変わりますが地デジで紅白を観ていたのですが、
少し同時にラジオも紅白をつけて聞いてみたのですが、
テレビは3秒位遅れて流れてきて、
アナログにしたらテレビとラジオは同時に音が流れました。
東京タワーから電波を流すからなのか、
東京スカイツリーになれば同時になるのか?
光回線にすれば同時なのか?
わざと3秒位送れにしているのか?
地デジは3秒遅れが当たり前なのか?
不思議です。
あけましておめでとうございます。
実家に帰った時、いつの間にか液晶薄型の地デジ対応型テレビに変わっていましたが、アンテナの設置がまだなのでデジタル放送ではありませんでした。
するとさ、アンテナ設置方法とかコールセンターの番号みたいなのがテレップみたいに流れるわけ。
こっちのステータスが全てお見通しみたいで、気分悪いったらありゃしない。
携帯のワンセグも3秒程遅れていますよね。
M様と同じく、何らかの意図を感じてしまいます。
今年もよろしくお願いします。
国民!節を期待していますから(笑)
あけましておめでとうございます。
ははは、成り行きで立ち寄った神社のご利益、ゆめゆめ疎かにしてはいけませぬ。
まだまだ一華も二華も咲かせなくちゃ。
20も30も年の離れた嫁さんと出会う可能性だってあるわけだから、「ボケ回避」はアナタのため。「安産祈願」は若い嫁のため。
あながち無縁ではないかもよ。
今年もよろしく・・・
脱兎(ぴゅ~)
<わざと3秒位送れにしているのか?>か、は、3秒間の差の中で、問題発言なんかを生放送でしゃべったりした時、カットが出来るようにしていると思います。
だから、光回線でも、3秒遅れにしているか?と、思います。
地デジの遅延は技術的な問題です。
簡単に言うと、地デジでは動画圧縮方式としてMPEG2を使っていますが、撮影した映像を放送局が圧縮して送ったものをテレビ側で解凍して表示していることで、2~3秒の時間のズレが生じてしまいます。
ワンセグの場合は更に時間がかかるようです。(プラス1秒ぐらい)
コメントありがとうございます。
国をあげて「地デジ化」しなくちゃならんの?
この問いの解に辿りつけない者の「?」でした。
陰謀論と結びつけるつもりはなかったのですけど。
そうそう、鯱さんの、竹内くんが千葉さんでお世話になることになりましたね。
アイツはいいヤツです。
ひたむきで、真面目ないいヤツです。
時折、大事なとこでポカしちゃうお茶目なところもありますが、本当にいいヤツです。
千葉さんでの生活で、更に飛躍するよう、心より祈ります。
どうか可愛がってやってくださいませ。
具体的には
「大根」の映像を「大根」のまま運んで受信するのがアナログ。
「大根」の映像を数字に置き換えて送り、その数字を読み解いて映像化するのがデジタル。
だから末端の家庭のテレビは、その信号を映像化するのに時間が掛かる。
1000万円くらい出せば時間差がほとんど無いデジタルテレビも見られるかもね・・・?
2~3秒の時間のズレが生じてしまいます。
有難うございます。
>「大根」の映像を数字に置き換えて送り、その数字を読み解いて映像化するのがデジタル。
NHKでフリーになる前の池上彰氏がデジタルとは何かと、
土曜日の夕方の番組で詳しく押してくれたのは思い出しました。
「数字で言うと0と1の組み合わせ、色で言うと白と黒が、
デジタルなんです」と教えてくれていたのを思い出しました。
「デジタルは新しいものではなく昔からあるんですよ、
船舶で使われるモールス信号がデジタルの仕組みと同じなんです。
0と1の音の長さを組み合わせてでおはようございます、晴天ですなど
会話をしたりSOSを送ったりするんですよ」と言っていました。
あと「お茶を運んだりするからくり人形も白色を読み取らせ前に進むませたり、
黒色を読み取らせると後ろに下がることをすることも出来るんですよ」とも言っていました。
当時3秒遅れの事は言わなかったかな?言っていたかもしれませんが記憶にないです。
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