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拙ブログを覗いてくださる皆様、ご丁寧に年末年始のご挨拶をくださった皆様へ
皆様にとって素晴らしい年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
暮れに些やかな帰省をし、2日の夕方にまた狭い日常に戻って参りました。
今回は、養母と二人だけのちょっと寂しい正月でありました。。。
養父が亡くなって25年になるけど、米屋を営んでいた5年程前までは、養母が求心力となり、皆に声をかけ、正月くらいは兄妹で食卓を囲んでおりました。
けど、一昨年の年末年始は長兄が体調不良で、昨年の年末年始は、鯱さんチームが天皇杯決勝なんてことに相成り私が帰省しなかったところ、今年は誰も集まらず。。。
次兄家族など二世帯住宅なんだから、降りて来ればいいだけなのに。
豊田スタジアムでホームゲームがある時には、実家に立ち寄ったりもするけれど、泊まるのは2年半ぶりくらいかな。
ひょっとしたら、ろくに話を聞いちゃくれない息子達よりも、養母は、私と二人だけで過ごしたかったのかもしれません。
31日の夕方、実家のドアを開けようとすると養母の足音が聞こえ、鍵を差し込もうとすると同時にドアが開く。
いつもそう(笑)。
荷物を解いて、コートを脱ぐと同時に、酒のアテとか手料理には違いない手作りの漬物の数々が「これでもか!」くらいにテーブルに並べられました。
瓜の漬物、大根の漬物、金山時味噌、板わさ、らっきょう、数の子、これだけ食卓に並べられると「もういいってばっ!」って言葉しか出ないよまったく。。。
HNKの紅白が始まるまで、出されたものをツマにして、ぐいぐい飲んでいたら、
「ご飯食べとらんで、腹減っただら。すき焼きでも作ってあげーか?肉買ってあるで。」
(三河弁訳:「ご飯食べてないから、お腹空いたでしょ。すき焼きでも作ってあげようか?お肉買ってあるし。」)
などと言う。
こんな時間にすき焼きなどまるで欲していないけれど、差し出されたお肉のパックを見ると、
最初は100グラム2100円の値札が付いたものが、セールで800円となっている。
「おかん、でかした!!すごいすごい!」
っと言おうとしたら、そこには「ローストビーフ」の表示。
ま、昭和一桁生まれの養母にとっては、これが生肉に見えても仕方あるめぇ。
すき焼き用に使っても、全く問題ないと思う。。。たぶん。
それからしばらく、養母のマシンガントークが続く。。。うぅ。
長兄夫婦・次兄夫婦に対する愚痴とご近所さんや友達とのやりとりなど。
間断なく続き辟易するけれど、そこから逃げ出そうとしない自分に気付き少々驚く。
えらいぞ>自分!なんてね(笑)
NHKの紅白も終盤になり、何とは無しに聞きながら、「歌が上手な人っていいよね、それで食べていける人なんてさ。。。」
などという話になり、突然
「お前だってさ、歌が上手だったよ。ほら、小学校の学芸会でさ、独りで歌をうたったことがあったじゃないか。
なんだったかな、『ひとはりすーい』とか、そんな歌だったよねぇ。一緒に見にいった近所の人達が、皆ね『とらちゃん歌が上手だねぇ!』って褒めてくれてたんだよ。」
なんて養母がノタマッタ。
衝撃だった。そんなこと一言も言ったことなかったのに。
だから、覚えているなんて、これっぽっちも思っていなかったのに。
それも、つい先日私自身も突如思い出して古い記憶をブログに書いたばかりの歌である。
何かが伝播したのだろうか、だとしたらそれは何だろう。。。
やっぱり親子なのかしらん、と思ったりして、気恥ずかしくもあり嬉しくもあり(笑)。
養母とは決して仲が良かったわけではなかった。さりとて、仲が悪いわけでもなかった。
養母はどうだったか知らないけど、若い頃の私は常に分厚い鎧を身に纏って対峙する構えを見せていたように思う。
あれは何故だったのだろう。
その鎧は、古くなったためか、戦いで壊れたのか、自分で壊したのか定かではないけれど、ボロボロになっているはずなのに、馬鹿なアタシは後生大事にまだ着込んでいる。
紅白が終わり、「行く年来る年」が終わり、年が明けても養母の話は尽きることなく、4時頃まで続いただろうか。
私の方が程良い酔いもあって先に
養母は寝たのだろうか、、、。
朝7時には台所に立っていました。
私が起きだして、顔を洗い歯磨きを終えた絶妙なタイミングで、出来立て熱々のお雑煮が目の前に。。。
久しぶりで嬉しくって、二人で笑いながら食ス。
ええ、何が可笑しいんだか、笑いながら。
片付けを終え別にすることもなく、なんとなく、別に面白くもなんともないテレビを見ていたら、いつの間にか養母が横になって夢心地のようである。
今までこんな姿は見たことがなかったのに。
やっぱり歳をとってしまったんだなぁ、、、と思いながら毛布を取り出そうと居間の押入れを開くと、片隅に養母にはもう必要の無い用品と思われるモノがありました。
それは目立たない場所で、息を殺していました。
「尿とり・・・」の文字だけ見て目を伏せました。養母にしのびよる「老い」の実態だった。
殴られたような衝撃で、鎧の残骸が、またガサリと落ちた音が聞こえた気がしました。
「あと何年生きていてくれるんだろう」と咄嗟に思ってしまったけれど、一緒に暮らしているわけではないので、「あと何回会えるのだろう・・・」と考えると切実に迫ってくる。
うー、孝行しなくちゃね。
帰る前にまた作ってもらった素朴なお雑煮が、余計に美味しく感じました。
養母よ、その81年の人生に多謝・・・ぐすん。
よっし、今年も頑張る、頑張れる!
辛くて苦しい時は、大好きな人や大切な人を思い出して頑張ろう、うん!
皆様にとって素晴らしい年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
平成23年正月
とらよし拝
暮れに些やかな帰省をし、2日の夕方にまた狭い日常に戻って参りました。
今回は、養母と二人だけのちょっと寂しい正月でありました。。。
養父が亡くなって25年になるけど、米屋を営んでいた5年程前までは、養母が求心力となり、皆に声をかけ、正月くらいは兄妹で食卓を囲んでおりました。
けど、一昨年の年末年始は長兄が体調不良で、昨年の年末年始は、鯱さんチームが天皇杯決勝なんてことに相成り私が帰省しなかったところ、今年は誰も集まらず。。。
次兄家族など二世帯住宅なんだから、降りて来ればいいだけなのに。
豊田スタジアムでホームゲームがある時には、実家に立ち寄ったりもするけれど、泊まるのは2年半ぶりくらいかな。
ひょっとしたら、ろくに話を聞いちゃくれない息子達よりも、養母は、私と二人だけで過ごしたかったのかもしれません。
31日の夕方、実家のドアを開けようとすると養母の足音が聞こえ、鍵を差し込もうとすると同時にドアが開く。
いつもそう(笑)。
荷物を解いて、コートを脱ぐと同時に、酒のアテとか手料理には違いない手作りの漬物の数々が「これでもか!」くらいにテーブルに並べられました。
瓜の漬物、大根の漬物、金山時味噌、板わさ、らっきょう、数の子、これだけ食卓に並べられると「もういいってばっ!」って言葉しか出ないよまったく。。。
HNKの紅白が始まるまで、出されたものをツマにして、ぐいぐい飲んでいたら、
「ご飯食べとらんで、腹減っただら。すき焼きでも作ってあげーか?肉買ってあるで。」
(三河弁訳:「ご飯食べてないから、お腹空いたでしょ。すき焼きでも作ってあげようか?お肉買ってあるし。」)
などと言う。
こんな時間にすき焼きなどまるで欲していないけれど、差し出されたお肉のパックを見ると、
最初は100グラム2100円の値札が付いたものが、セールで800円となっている。
「おかん、でかした!!すごいすごい!」
っと言おうとしたら、そこには「ローストビーフ」の表示。
ま、昭和一桁生まれの養母にとっては、これが生肉に見えても仕方あるめぇ。
すき焼き用に使っても、全く問題ないと思う。。。たぶん。
それからしばらく、養母のマシンガントークが続く。。。うぅ。
長兄夫婦・次兄夫婦に対する愚痴とご近所さんや友達とのやりとりなど。
間断なく続き辟易するけれど、そこから逃げ出そうとしない自分に気付き少々驚く。
えらいぞ>自分!なんてね(笑)
NHKの紅白も終盤になり、何とは無しに聞きながら、「歌が上手な人っていいよね、それで食べていける人なんてさ。。。」
などという話になり、突然
「お前だってさ、歌が上手だったよ。ほら、小学校の学芸会でさ、独りで歌をうたったことがあったじゃないか。
なんだったかな、『ひとはりすーい』とか、そんな歌だったよねぇ。一緒に見にいった近所の人達が、皆ね『とらちゃん歌が上手だねぇ!』って褒めてくれてたんだよ。」
なんて養母がノタマッタ。
衝撃だった。そんなこと一言も言ったことなかったのに。
だから、覚えているなんて、これっぽっちも思っていなかったのに。
それも、つい先日私自身も突如思い出して古い記憶をブログに書いたばかりの歌である。
何かが伝播したのだろうか、だとしたらそれは何だろう。。。
やっぱり親子なのかしらん、と思ったりして、気恥ずかしくもあり嬉しくもあり(笑)。
養母とは決して仲が良かったわけではなかった。さりとて、仲が悪いわけでもなかった。
養母はどうだったか知らないけど、若い頃の私は常に分厚い鎧を身に纏って対峙する構えを見せていたように思う。
あれは何故だったのだろう。
その鎧は、古くなったためか、戦いで壊れたのか、自分で壊したのか定かではないけれど、ボロボロになっているはずなのに、馬鹿なアタシは後生大事にまだ着込んでいる。
紅白が終わり、「行く年来る年」が終わり、年が明けても養母の話は尽きることなく、4時頃まで続いただろうか。
私の方が程良い酔いもあって先に
養母は寝たのだろうか、、、。
朝7時には台所に立っていました。
私が起きだして、顔を洗い歯磨きを終えた絶妙なタイミングで、出来立て熱々のお雑煮が目の前に。。。
久しぶりで嬉しくって、二人で笑いながら食ス。
ええ、何が可笑しいんだか、笑いながら。
片付けを終え別にすることもなく、なんとなく、別に面白くもなんともないテレビを見ていたら、いつの間にか養母が横になって夢心地のようである。
今までこんな姿は見たことがなかったのに。
やっぱり歳をとってしまったんだなぁ、、、と思いながら毛布を取り出そうと居間の押入れを開くと、片隅に養母にはもう必要の無い用品と思われるモノがありました。
それは目立たない場所で、息を殺していました。
「尿とり・・・」の文字だけ見て目を伏せました。養母にしのびよる「老い」の実態だった。
殴られたような衝撃で、鎧の残骸が、またガサリと落ちた音が聞こえた気がしました。
「あと何年生きていてくれるんだろう」と咄嗟に思ってしまったけれど、一緒に暮らしているわけではないので、「あと何回会えるのだろう・・・」と考えると切実に迫ってくる。
うー、孝行しなくちゃね。
帰る前にまた作ってもらった素朴なお雑煮が、余計に美味しく感じました。
養母よ、その81年の人生に多謝・・・ぐすん。
よっし、今年も頑張る、頑張れる!
辛くて苦しい時は、大好きな人や大切な人を思い出して頑張ろう、うん!
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本当に疲れる<義務>(親孝行)?
母親の<マシンガントーク>に付き合うのも、大変ですが、子として、致し方無い<義務>なのかも知れませんね…。
死んでしまったら、聞いてあげることも出来ませんから。
本当に疲れる<義務>(親孝行)なのか…?と。
死んでしまったら、聞いてあげることも出来ませんから。
本当に疲れる<義務>(親孝行)なのか…?と。
Re:本当に疲れる<義務>(親孝行)?
>M様
あけましておめでとうございます。
お正月は如何すごされましたか?
たまに会うから、マシンガントークになっちゃうのかもしれませんが、ははは、こういうところに「いつまでも元気な姿」を見て安心(辟易?)するのですけど、だんだん、以前ほど苦痛ではなくなってきました。
聞き流す術を覚えたこともありますが、男性にとってはさぞかし面倒くさいだろうと思います。うちの兄二人も避けておりますので(笑)。
今年もよろしくお願いします。^^
あけましておめでとうございます。
お正月は如何すごされましたか?
たまに会うから、マシンガントークになっちゃうのかもしれませんが、ははは、こういうところに「いつまでも元気な姿」を見て安心(辟易?)するのですけど、だんだん、以前ほど苦痛ではなくなってきました。
聞き流す術を覚えたこともありますが、男性にとってはさぞかし面倒くさいだろうと思います。うちの兄二人も避けておりますので(笑)。
今年もよろしくお願いします。^^
あったかい気持ちになりました
人が生きていくことはまさに偶然の連続
でも広い広いこの世界のなかで
わざわざこの場所を選んで生まれてきたことに
単に偶然ではかたずけられない
縁のような強い絆を感じることがあります
そしてその結びつきは
私達の心に重くのしかかる存在であったり
生きがいであったり
私達の中でかたちを変えながら
いつも自分の心の真ん中の
奥深ーくに潜んでいるものなのかもしれません
今ここに生きていられるという
偶然と必然に感謝したくなるのは
おばさんになった証拠でしょうかネ・・・(笑)
でも広い広いこの世界のなかで
わざわざこの場所を選んで生まれてきたことに
単に偶然ではかたずけられない
縁のような強い絆を感じることがあります
そしてその結びつきは
私達の心に重くのしかかる存在であったり
生きがいであったり
私達の中でかたちを変えながら
いつも自分の心の真ん中の
奥深ーくに潜んでいるものなのかもしれません
今ここに生きていられるという
偶然と必然に感謝したくなるのは
おばさんになった証拠でしょうかネ・・・(笑)
Re:あったかい気持ちになりました
>14番目のお月様
コメントありがとうございます。
あったかいどころか、読んでて、なんだか涙が出そうになりました。
実の親子であろうが、そうでなかろうが、そんなこと関係ないですよね。
一緒に暮らしていても、離れて暮らしていても、不思議と何か通じていたり連鎖を感じることが少なくないです。
それが「絆」なのでしょうね。。。
誰かを重くのしかかったように感じるのもとても重要なことで、その人物を超える試練そのものだと思うんです。
身近な人物だからこそ常に意識して、対峙するたびに「今日は勝ってやる!」なんて思ったりしてたんですけど(笑)、私は決して養母が嫌いなのではなく、甘えていたかったんです。
仕事ばかりで構ってもらえなかったので。
今は養母が構ってもらいたいようですが(こんなこと言うと怒るかな・笑)
>今ここに生きていられるという
>偶然と必然に感謝したくなるのは
>おばさんになった証拠でしょうかネ・・・(笑)
いえいえ、本当はさ、誰もが感じなくてはいけないと思うんです。
思春期を迎える子供でも、きっと理解できるはずですから。
偶然も連鎖するとさ、必然になってくるんじゃないかな。
その必然が「絆」なんですよ、きっと^^
コメントありがとうございます。
あったかいどころか、読んでて、なんだか涙が出そうになりました。
実の親子であろうが、そうでなかろうが、そんなこと関係ないですよね。
一緒に暮らしていても、離れて暮らしていても、不思議と何か通じていたり連鎖を感じることが少なくないです。
それが「絆」なのでしょうね。。。
誰かを重くのしかかったように感じるのもとても重要なことで、その人物を超える試練そのものだと思うんです。
身近な人物だからこそ常に意識して、対峙するたびに「今日は勝ってやる!」なんて思ったりしてたんですけど(笑)、私は決して養母が嫌いなのではなく、甘えていたかったんです。
仕事ばかりで構ってもらえなかったので。
今は養母が構ってもらいたいようですが(こんなこと言うと怒るかな・笑)
>今ここに生きていられるという
>偶然と必然に感謝したくなるのは
>おばさんになった証拠でしょうかネ・・・(笑)
いえいえ、本当はさ、誰もが感じなくてはいけないと思うんです。
思春期を迎える子供でも、きっと理解できるはずですから。
偶然も連鎖するとさ、必然になってくるんじゃないかな。
その必然が「絆」なんですよ、きっと^^
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