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kanom-35°                                                                                               ご来訪、誠にありがとうございます。
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戦争を生々しくイメージするのは難しい。
通勤途中で、銃撃によって顔を潰されたフレッシュな死体に出くわしたことはないから。
会議中に空襲で屋根が崩れ、中断されたことはないから。
仕事が終わってスーパーに行っても、何もかも欠品してるという事態を体験していないから。

Emmanuel Jal(エマニュエル・ジャル)という、現在イギリスで活動しているヒップホップシンガーのことを少しご紹介します。
出来る限りの想像を巡らせて、文字の中で戦争を体験してみてください。

 「俺には、5歳くらいからの思い出がある。 あの時は、家族みんな一緒だった。
 そして、そこらじゅう、戦争だった。 だれだれが死んだとか、よく聞いたよ。
 だけど、子どもには「死ぬ」とかの意味がよく分からなかった。
 
 人がそこらじゅうで死ぬような所で、俺は育ったけど、 子どもたちには、死体を見せないようにしていた。
 だから「だれだれは、どこへ行った?」とか聞けば、
  「そいつは、みんながいつか行く、別な世界へ行った」って 答えがが返ってきたよ。

 俺には、何一つ、楽しい思い出はないね。 あったのは、暴力とトラウマと、闘いだけだった。
 それが、俺の思い出のすべてだ。」

エマニュエルはアフリカのスーダンで生まれました。アフリカの中央で広大な面積を占める、コンゴ民主共和国の北東に位置する、紛争地域。因みにアフリカ大陸で最大の国土面積。

アフリカ各地・ラテン・アメリカ各地と同様、欧州に植民地支配され、クーデター、内戦、独立を繰り返し、疲弊させられた国家の一つで、エマニュエル・ジャルは育ちました。

 「戦争が激化したころ、俺たちガキは 別な街に行かされることになった。
 後で、母親が死んだって聞かされたけど、 どんな風に死んだのかは知らない。
 俺は、6歳か7歳だった。

 親父が入っていた反政府軍SPLAは、 子どもを隣の国の エチオピアの学校へ行かせるよう命令した。
 それで、俺たちは、歩いて エチオピアに行かなくちゃならなかったんだ。

 たくさん死んだよ。 野獣に食われたり、川に落ちてワニに食われた。

 実際、少しの間、俺たちは学校に行った。 俺が、始めて英語を勉強したのはそこだった。
 やがて、でかいヤツがやって来て、 規律だのを教えるようになった。
 そして、俺たちは戦い方を学んだんだ。」

私はJリーグの試合がある度、小学校の1年生~6年生の子供達と接しています。
そこには、無邪気にはしゃぎ、これから憧れの選手と手を繋ぐことに嬉しさを隠せない、無垢な子供達の姿があります。
エマニュエル・ジャルはこんな子供の頃、武器をとらされ、使い方を教えられ、人の殺し方を学びました。

 「俺が最初に戦ったのは、、、「ソフト」なやつだったら、9歳だったな。
 村へ行って、動物とか盗むんだ。 まあ、戦いの練習みたいなものだ。
 だけど村人に見つかって、仲間が殺された。 それで俺たちは、 全部の村を焼き払った。

 それが、俺の戦士としての最初の経験さ。 まあ、誰もがみんな同じような感じで、
 『やったぜ!俺たちは戦士になった!』ってとこさ。」

やがて、エマニュエルは、戦いの前線へと送られます。

 「そのうちエチオピアの政権を守るために戦わされて、 でも結局負けて、俺たちは逃げなくちゃならなくなった。
 何千人も死んだぜ、泳げなくてな。 ケニヤへ行ったやつもいたらしいけど、
 俺は、南部スーダンのジュバにたどり着いた。

 そこは、最も恐ろしいことが起こってた場所だった。 若者は勇敢に戦ったぜ。
 自分たちが簡単に死ぬなんて知らなかったからな。」
 
 「俺は、はっきりと覚えているぜ。 人々がどうやって死んで行ったかをな。
 ヘリコプターが、人々を追い掛け回し、 戦車が、ぶっ殺すんだ。」

 「俺たちが何のために戦っていたか知っているかい?
 そうだ、自由のためさ。
 スーダン政権が、俺たちを押さえつけていたからな。

 やつらは「シャーリア法」ってのを始めて、 こいつは、つまり、イスラム教徒じゃないやつは、
 ちゃんとしたやつじゃないってことで、 まともな仕事にも就けないってことになった。
 そして、奴隷制度があった。
 あんたが黒人だったら、あんたは奴隷なんだよ。」

それから数年経った頃、反政府軍SPLAでの内紛が勃発し、少年兵達は脱走を試みます。
およそ3ヶ月、砂漠をさまよいました。

 「みんな死んで行ったよ。 たくさんの骨を見た。
 水がなくなって、 俺たちはみんな死ぬんだって思った。
 自分で自分の頭を撃ち抜くやつもいたよ。」
 
この時、エマニュエル・ジャル推定11歳。(彼だけでなく、少年兵の多くが自分の年齢が正確にはわからないそうです。)
脱出の旅の始めにいた400人は、 最後には12人。
生きて安全な場所へたどり着くため、飢えを凌ぐため、側で死んでゆく仲間を食べるという辛い経験もしました。

そんな凄惨な体験をした彼の音楽は、生命力と躍動感に満ち溢れています。

Gua


Gua lyrics - Emmanuel Jal

 Guaはアラビア語で'power'の意南スーダンの部族のヌエル語で’peace’の意

やがてケニアにたどり着いた彼は、イギリス人女性Emma MacCune(エマ・マッキューン)に助け出されます。
彼女は当時まだ20代半ばの若さでしたが、彼を養子にしました。
エマと共に暮らすうちに、硬い少年の心も少しずつ変化していったのでしょう。
まだ幼いのに、自分が生き残った意味を考え、これまで殺してきたイスラム系の人々に対する敵対心にも疑問を持ち始めました。

こうして少しずつ人間らしい心を取り戻していった彼に、更なる悲劇が。。。

2年後、彼を養子にしたエマが交通事故で亡くなりました。

再び荒廃した生活へ転落しそうなところですが、彼は、これまでの憎しみ、殺しの罪を見つめ直し、自分も赦し、赦される者となろうと決意します。
憎しみと争いが、自分のような少年兵を育てることに繋がると気づき、音楽を通じて平和活動を始めます。


Emmanuel Jal, Emma live at Mandela's birthday in Hyde Park, London, 2008


政府によって、世界勢力によって、暴力と犯罪と殺戮と闘争の醜い掃き溜めの中で育った彼なのに、
ラップやレゲェなどのヒップホップの歌にありがちな汚い歌詞を全く使いません。
生きていることを賛美し、賛美しきれない有り余った感情をアフリカの子供達の救済のために注ぎます。

 「俺からすると、今のヒップホップ音楽は、セックスと暴力まみれだ。
 誰も平和をメッセージにしていないことが、残念でならないよ!!」


彼は続けます。

 「俺は今、幸せだ。だけど、テレビには今も祖国でくるしんでいる人たちの姿が映っている。だから、
 自分の気持ちを伝える手段を持たない人たちの代わりに、俺が自分の経験を話すことが俺の義務なんだ。
 これは楽なことじゃない。むしろ、苦しいさ。」

憎しみを捨てる葛藤と、懺悔の苦しみは想像を絶する。
親を殺し、姉妹をレイプした敵を殺したことの是非、仲間を見捨てるしかなかったこと、食べたこと。。。
ここに「悔い改め(repent)」の精神がある。(repentとはこれまでの自分を全否定することから始まる)

かつての少年兵は、平和の使者となりました。

アフリカから遠く離れた平和な日本だけれど、戦争を生々しくイメージ出来ないだろうけど、せめて思いやることは出来る。
武器に対して、「要らない!」と言わなければいけない。
小学校に上がったばかりの年齢の子供が武器を持たされる現実を、もっと見なくちゃいけない。
スーダンのことだけじゃない。イラクもアフガンも緊張が高まっているイランについても。

スーダンでは、2010年の現在もダルフール紛争の只中にある。
1956年の独立以来、1972年から1983年の11年間を除く期間に、200万人の死者、400万人の家を追われた者、60万人の難民が発生しているとされる 。
こういう紛争の影には、やっぱりアメリカがあって、やっぱりブッシュJr.が居た。
ジェノサイド、民族浄化、経済制裁。
まったく、メリケンさんは、いつもいつもお決まりのことを、きちんとやってくれます。
 
参考記事
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1109296,00.html

Emmanuel JalオフィシャルHP
http://www.emmanueljal.org/

GUA africa
http://www.gua-africa.org/

 

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無題
スーダンで奴隷にされた少女、メンデの本を読んで調べていてここにきました。
世界は意図的に紛争、戦争を起こす輩に牛耳られていますが、負けてばかりはいられませんね。
彼のように憎しみを乗り越えていかなければ
如雪URL 2010/06/07(Mon)09:27:58 編集
Re:無題
>如雪様

拙ブログを見つけていただいた上に、コメントをいただいてとても嬉しく思っています。
どうもありがとうございます。
貴ブログを拝見させていただきました。
素敵なブログで、こちらが汗をかいたくらいです。。。

アフリカの諸事情については、当方で(勝手に)リンクを貼らせていただいている「私の闇の奥」という、藤永先生のブログがお薦めですよ。

よろしければ、また是非お立ち寄りください。
【2010/06/08 01:47】
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