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いつもはロケン・ロールだけれど、今日はなんとなくクラッシク(注・クリスタルではない)。

んで、やっぱりパブロ・カザルスなのだ。

Pablo Casals plays Bach Suite #1


パッハの同じ曲を演奏するYO-YO MAさんの演奏と是非聞き比べて。

http://www.youtube.com/watch?v=dZn_VBgkPNY&feature=related

私は幼い頃にピアノを少々齧った程度なので、評論など大それたことを言うつもりは毛頭ないけれど、カザルスの音に圧倒されます。

カザルスの経歴をほんの少しだけ。

1876年、スペインのカタロニアで生まれ、母国の内戦のために亡命。
スペインの独裁政権(フランコ政権)による影響と抗議のため、音楽活動を延べ30年ほど休止しました。
最後の演奏が、有名な1971年の国連での演奏。そのときカルザス、御歳95歳!

「私の国、カタロニアの鳥は、『平和・平和・平和』と鳴くのです。」

この言葉が耳を離れない。

peace peace peace の鳥の囀りは、この演奏を聴く限り、決して楽しい囀りではなく、悲しい忍耐と孤独との戦いだったのだろうと思いを馳せると、このカザルス独特の弦の擦れ、軋みは、痛々しくも生々しい争いの連鎖を投射するかのよう。


Casals "El Cant dels Ocells" at U.N. Day カザルス『鳥の歌』


何とも言いがたい重みと言うべきなのか。
平和を称える曲ならば、もっと明るく軽快なものなんだろう。

平和を訴えるこの曲の、鳥の囀りの、なんとも痛ましく悲しい力強さよ!

平和を訴えるなんて、本当は異常なことなんだ。
あって当然、本来約束されているべきモノなんだから。

牧歌的で長閑な、いかにも平和な優雅な曲は、平和を享受した者が奏でられる曲で、
平和を追い求める者とは、ちょっと違う印象を受けるんだけど、これは偏見だろうか?

日本の沖縄だけでなく、原発反対の都市だけでなく、植民地支配されてる国も含め、平和の願いは
カタロニアの鳥のように、何時まで痛々しく苦しげに鳴き続けるんだろう。。。
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無題
>平和を訴えるなんて、本当は異常なことなんだ。
あって当然、本来約束されているべきモノなんだから。

牧歌的で長閑な、いかにも平和な優雅な曲は、平和を享受した者が奏でられる曲で、
平和を追い求める者とは、ちょっと違う印象を受けるんだけど、これは偏見だろうか?

決して偏見ではありません。

野坂昭如は「蛍の墓」で書いたように、幼き日に極限状態を経験し、親も妹も亡くした。特に妹は餓死だった。
飢餓の恐怖は経験したものでなければわからないと彼は言う。
野坂昭如氏がラジオで
「北の国内事情がどんなに酷くて、西側諸国がどんなに援助したところでそのほとんどが指導部に奪い取られたとしても、そんなことは解りきっていたとしても、援助した米100万トンのうちに10KGしか飢餓に苦しむ市民に渡らなかったとしても・・・・私はその10KGを飢餓に苦しむ国民のために送りたい・・・・」
と話していたのを聞いたことがある。

軍事政権下での圧政と、独裁政権下での飢餓に苦しむ国民・・・・・・・・・・・・・・。

馬鹿な話だと笑って済ませることは出来るけれども・・・こういう話はそこら辺の政治談議とは区別するものだよなぁ!と深く考えさせられましたね。

ちょっと待てよ??これって野坂氏だけではなくってさ、日本中の人々が来た道だったのではないか?とも思ったわけでね
「自由」
と言う言葉の重みを改めてかみ締めています。

30年のブランクは重い。世界最高の名チェリスト・カザルスは決して弓を取らなかった。彼の無言の抵抗は、ピカソの「ゲルニカ」同様に、世界中に「戦争では侵略できない人間の心」をうごかし、高揚させた。

今宵はまたまた、スペインの偉大な三人のパブロに乾杯!・・・と言うことで酔い潰れますかねぇ・・・。

お久しぶりです。実質1位のシャチ様とはまだまだ対戦すら出来ません下位グループ15位のカエルです。
kappa 2010/04/13(Tue)18:57:59 編集
Re:無題
>kappa様

コメントありがとうございます。
お久しぶりですぅ~。

沖縄の基地問題だけでなく、世界各国で起こっている紛争・殺戮。
これこそ有事だと思い、複雑に絡みついた糸を解すには、国連に訴えるしか無いんじゃないかと思い、この拙いエントリーをアップしました。

国連も今やアメリカが牛耳っていて、存在は薄っぺらなんですけどね。
日本がさ、沖縄からの米軍撤退を国連に訴える、、、なんてことになった時、
日本におけるカザルスは誰なんだろう、、、なんて思っちゃいました。

鳩山総理夫人が、宝塚仕立ての美声で「さ~く~ら~っ、さ~く~ら~っ」ナドと歌う図がちょこっと脳内をよぎって、ブルンブルンとその図を払いました(笑)。
日本のカザルス、、、居ないかなぁ?

野坂さんといえば、あの有名な酒のCMが頭にこびりついています。

「ソ、ソ、ソックラテスかプラトンか?ニッニッニーチェかサルトルか?
みーんな悩んで大きくなった~ぁ。」

古いなぁ、、、なんでこんなの知ってるんだろ?(笑)
よく知りもしないくせに、軽薄なおじさんだと思っていましたが、「蛍の墓」で印象は一変しました。
私の養母の戦争体験と酷似していましたから。

戦争体験者の養母に、大戦の時代背景を聞いてみると、恥じ入るように言うのです。

「歴史を学ぶことを禁じられていたから、わからない」

ってね。
何も解らないまま、争いに巻き込まれ、日々の糧にも、知識(教育)にも欠乏した時代だったと語ります。
65年経った今も、何も知らない自分の置き場が無いと嘆きます。
私は戦争体験者でもないし、沖縄とか、外国の植民地的支配されている場におかれているわけではないので、私の平和論は空々しく響くだけかもしれません。
けれど、私の養母も高齢なわけで数年のうちに鬼籍に入るのは間違いないので、伝えられない戦争の惨禍は、養母の記憶に関してはアタシが伝えなくっちゃいけない、、、なんて思ってます。

でもさ、マスコミの言論や政府の対応を見てると、65年前と大して変わっちゃいないですね。。。

えぇ、えぇ、パブロに乾杯!!

あ、何度も言いますがね。。。
チーム成績は気になるところでしょうけど、Jが掲げる「百年構想」の前では、あまり関係ないですからね。

Jチームがすべきことは、人を動かすことですから。
負けてもいい。成績ではないと思います。

それでもタイトルは魅力的なんですけども。。。アタシも俗物だなあぁ。。。(苦)
【2010/04/16 01:27】
もう一人のパブロ
三人のパブロに関して記事があったので載せておきます。以下は全文コピーです。もっともこの文章書いた人も朝日新聞からのコピーなんですけれどもね・・・・以下、OTTVAからのコピー

三人のパブロ作家、五木寛之さんの小説「戒厳令の夜」には、ほぼ同時代を生きた3人の偉大なパブロが登場します。

画家、パブロ・ピカソ、チェリストのパブロ・カザルス、そして詩人、パブロ・ネルーダです。
チリの国民的英雄で詩人であり、外交官・国会議員でもあったパブロ・ネルーダは1904年、チリ中部のパラルという町で生まれています。



本名はネフタリ・リカルド・レイエス。ネルーダというのは、詩を作ることを好まなかった父親の目をごまかすため、たまたま目にしたチェコの作家の作家、ヤン・ネルダから借用したもの。



ネルーダが生まれてすぐ、一家は南部の町、テムコに移りますが、この土地の湿度が高く雨の多い密林地帯が少年ネルーダの心に、詩人の霊感を与えたと言われています。



彼は後に『チリの森を知らない者はこの惑星を知らない』と詩にしています。ネルーダは19歳で詩集『たそがれの書』、20歳で『20の愛の詩と一つの絶望の歌』を出して詩人としてデビューすると共に、23歳の若さで外交官としての活動を始めます。そして、領事として駐在したアルゼンチンのブエノスアイレスで20世紀のスペインを代表する詩人ガルシア・ロルカと出会い、意気投合します。1934年、ネルーダはロルカの住むスペインに転任しました。



しかし、1937年に勃発したスペイン内戦によりロルカは銃殺されてしまうのです。



この悲劇がネルーダの詩と人生を大きく変えていきます。彼はスペインの人民を支持し、フランコ将軍が率いるファシズム政権に反対する立場を鮮明にします。



チリ政府から外交官の職を解雇されてしまったネルーダは、パリを拠点にスペインの人民軍を支援する活動を続けます。また1939年に母国チリに人民戦線政府が出来ると、ネルーダはスペインからの亡命者をチリに避難させる仕事に従事します。



パリからチリに戻ったパブロ・ネルーダは1945年、共産党候補として上院議員に当選します。



しかし1948年、共産党が非合法化されたため、国外逃亡を余儀なくされます。



ちなみに、チリを逃れイタリアで暮らしていた時期のパブロ・ネルーダを描いた映画が『イル・ポスティーノ』です。



詩人としてのネルーダはもちろん政治的、思想的メッセージを発していますが、それと同時に男と女の性に関する表現も多く、生きることへの賛美に溢れた作品を多数残しています。



性に関する描写には「下品だ」との批判も文壇からあったそうですが、ファシズムやテロに怯えていたチリやラテンアメリカの人々にとって、生きることの喜びとしての愛や性の営みを生き生きと読んだネルーダの詩は、心に響くものがあったのではないでしょうか。



だからこそ、かれは今もなお多くの人々に愛されているのです。偉大なる作家ガルシア・マルケスは



「どの言語の中でも20世紀の最高の詩人」とネルーダを称えた。



キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラは常にネルーダの詩集を持ち歩き、ゲリラ戦に最中に兵士たちに読んで聞かせていたといいます。



南米では頻繁に詩の朗読会がひらかれている。彼は今でも自由主義者たち、そして恋人たちのヒーローなのです。


本日参考にさせて頂いた図書

『二十世紀の千人2 戦争と革命の中の闘争者』 朝日新聞社編
・・・・・・・・・・・コピー終わり
kappa 2010/04/16(Fri)14:50:58 編集
Re:もう一人のパブロ
>kappa様

コメントありがとうございます。
ネルーダの詳細もありがとうございます。
五木さんの「戒厳令の夜」には、もう1人、パブロ・ロペスというサッカー選手みたいな名前の芸術家が登場します。
架空の人物なんですけど、偉大な3人の平和探求者である芸術家が居ながら、五木さんはロペスにどんな役割を担わせようとしたのか、どのような位置づけをしたかったのか気になるところ。
もう一度、読み直してみようかな。。。

長い出典をありがとうございました。
さては、、、kappaさんも、要らぬ妄想を振り払おうとしましたね?(笑)

さ~く~ら~っ、さ~く~ら~っ♪

【2010/04/18 23:50】
ケケケ・・・・ケロケロケ~
や~首位取り残念だったねぇ~ケケケ!
気づくの遅すぎ・・・ケケケ!

ケロケロケロ~!

海に出かけなくとも、陸に上がったでかいズ~タイの奴を狙うのさ!ま、勝ちは無理として、当然狙っている勝ち点3を阻止してやるからねぇ~!ケロケロ!!
kappa 2010/04/23(Fri)17:32:29 編集
Re:ケケケ・・・・ケロケロケ~
毒物反対!

薬物反対!

緑物反対!
【2010/04/23 19:39】
あ~地球は緑と青だった!!
このあいだ帰還したガガーリン山崎さんが言うてはりましたな!
やっぱ地球とフットボールは
「緑と青にかぎります!!」ってな。

わてはいたく感動しましたな・・・。

ほんでなんでっか?
シャチいうのは・・・ダイダイと赤と黒・・・・これは火星かどっかの惑星でっか?

kappa 2010/04/23(Fri)21:42:19 編集
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