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会津旅行紀を記す前に、書籍を紹介します。



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名君の碑
中村彰彦 著









徳川時代に、会津藩主となった保科正之の治世が描かれています。
徳川二代将軍、家忠のご落胤であった保科正之は、三代将軍、家光の腹違いの弟で、
名利を求めず、家光の絶大なる信頼に驕ることなく

「足るを知る」

これこそ君主の道として清廉潔白を貫き、17世紀の世に画期的な社会保障制度を築き、幕政に全身全霊を捧げた名君の生涯が記されています。

 
保科正之の主な功績は以下の通り。

1.家綱(徳川4代将軍)政権の「三大美事」の達成(末期養子の禁の緩和、大名証人【人質】制度の廃止、殉死の禁止)

2.玉川上水開削の建議

3.明暦の大火(振袖火事)直後の江戸復興計画の立案と、迅速なる実行

4.社倉制度創設

5.間引きの禁止

6.日本初の国民年金制度の創設

7.救急医療制度の創設

8.会津藩の憲法とも言える、家訓十五ヶ条の制定

中でも注目なのが、4~7。


◆社倉制度の創設

「社倉」とは飢饉の年に民を困窮から救うため、あらかじめ救助米を備蓄しておく倉のこと。
これは年貢として徴収した米を備蓄するのではなく、会津藩が買い上げたもの。

主に天災によって被害を被った家庭を救済するための「災害見舞金制度」です。
この制度の実行条件は以下。
 
①郡村への救助米は、高百石につき八俵とする。

②困窮の郷村へは、米を与える場合と貸す場合がある。

③川堤や籾倉の造成のため郷村へ出張する者には、給金および宿泊費としてこれを与える。

④あらたに帰農する者、領外からきた農民、火事で焼け出された者にもこれを与える。

⑤新田を開発した者にもこれを与える。

⑥雨乞いの費用、農民たちへの褒美としてもこれを与える。

⑦町人が類火に遭った場合にもこれを与える。


◆間引きの禁止

産子を殺すのは不慈不仁なることを、下々へおりおり油断なく詳細に教えよ。
もし教えに耳を傾けぬ者があったなら、かようなことは中将(正之)がことのほか嫌いであるから耳に入ったらただでは済まぬかも知れぬぞと、よくよく申し聞かすべきこと。


◆日本初の国民年金制度の創設

「九十歳以上の高齢に達した領民には貴賎男女を問わず終生一人扶持を与えよ」

一人扶持とは、一日につき玄米五合、年に均して二石五斗。
これを生涯与え続けるとはまさしく養老年金そのもので、保科正之は日本の年金創設者だったのだ。


◆救急医療制度の創設

「旅人など煩い候節の取りあつかいを定め置くべし」

病んだ旅人は宿の主が医者に診せ、それが叶わない時は町奉行へ申し出よ。
その者に支払いが出来ない場合、必要経費は(会津)藩が負担する。
放っておいて病死させたり行き倒れにしたりしたたらば、検断(大名主)、名主から近所住まいの者たちまでの責任を問う。


およそ350年前の17世紀に、保科正之は会津において完璧なセーフティーネットを巡らしたのです。

その当時の人で90歳まで生きるというのは、ごく稀だったのではないかと思われ、藩の支出も微々たるものだったのではないかとの推測は容易ですが、この制度を諸藩に先駆けて取り入れた先見性は感嘆します。

姥捨てが珍しくなかったこの時代において、会津藩は孝行を奨励し、親孝行者には褒美を与えていたという話もありますので、案外90歳まで生きた人も少なくないのかもしれません。

保科正之は、21世紀にある日本の崩壊し続ける社会保障制度の現状を見て、大いに嘆くことだろう。
退行した日本、これが未来の姿なのかと。。。

ここ10年、年間の自殺者は3万人を越えてる。単純計算で、10年間に30万人ってこと。
それもデータ上の数字であって、そのデータから毀れた人を数えようとすれば、ひょっとしたら40万人になってるかもしれない。

そんなザワついた気持ちをぶら下げて、会津に行って来ました。。。

 
「名君の碑」、、、文庫本で680頁あまりの分厚い本ですが、読み応えがあり一気に読んでしまいました。
初めて読んだのは8年程前のことですが、また読み返して目頭を熱くしました。

お薦めの一冊です。


鈴木トオル Without You

 

保科正之は、その生涯で多大な喪失感を味わっています。
さまざまな不幸に見舞われながらも「足るを知る」の精神で、民政に尽くしました。

傷つくこと無しにリアルな痛みを知ることは無いと思う。
このあたりがね、現代のお坊ちゃま政治家と乖離しているように思えてなりません。

著者の「あとがき」から少々抜粋します。

(これほどすぐれた業績を残した人物であるのに)なぜ日本人が保科正之の存在を忘れて現代に至ってしまったのか、という問題に関する私見を述べておきます。

寛政の改革を指導した老中松平定信の口癖は、
「私が常に心掛けているのは、かの保科肥後守さまのひそみにならいたいということだ」
というものでした。
幕末の賢侯の一人として知られた越前福井藩主松平春嶽は、倒幕運動に対抗して幕府が京都守護職という新たな警察機構をもうけることになった時、その有力候補と見られた会津藩第九代藩主、松平容保に向かっていいました。
「尊藩には、土津公(正之)のお定めになった家訓があるではないか。土津公ならば、きっと京都守護職をお引き受けあそばされたであろう」
これほどまでに正之は、幕末まで屈指の名君としてひろく世に知られた存在でした。
その正之が急速に歴史の闇に塗りこめられてしまったのは、右のように春嶽からいわれてやむなく京都守護職に就任した容保が、戊辰戦争開幕とともに賊徒首魁と名指しされたこと、そのため旧会津藩が徳川三百年の平和に貢献した事実は明治以降意図的に無視されつづけ、今日なお保科正之を研究する歴史学者が皆無であることなどに原因がある。私はそう考えています。

本書によって保科正之という存在が、そんな”時代の事情によって蔑されてよい人物でないとわかっていただければ、作者としてこんなうれしいことはありません。

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今年の夏、これほど話題になった書籍はありませんでしたね。

1Q84 -村上春樹-

なかなか手に入らなかったので少し世間に遅れて読みはじめ、一読した後は感想らしき言葉を発することも出来ず、感慨に耽ってました。

はっきり言ってよくわからない、、、だからもっと知りたいっていうザワザワした感じ。

初めは、オーウェルの「1984」に対比した作品だと思い込んで読み始めたので、どうしても政治とか世相を反映した読み物だと思ったのだけれど、
これは壮大なラブ・ストーリーだと思い至りました。

マザもドウタも(正と副)、パシヴァもレシヴァ(与と授)も、恋する者同士で完結し得ない「想い」を伝える役割を担ったパーツだと考えると、
なにやらいかがわしく不吉な存在と思われた「リトルピープル」は、とても重要な気がしてきました。

 
読者として率直な希望は、「続編ヲ望ム」ところだろうけど、やっぱり青豆は死を選んだのだと思う。
愛する天吾を助けるためなら、熱情的でありながら冷静な彼女は信念を貫くと思う。

彼女が亡くなることでその強い想念はリトルピープルの理にかない、空気さなぎを生成させ、天吾の前に束の間現れたのではないだろうか。。。
 

 「つまり、僕には彼女が見つけられるということ?」
 「そのひとがあなたをみつける」と少女は静かな声で言った。柔らかな
 草原を渡る風のような声だ、
 「この高円寺の町で」
 ふかえりは首を傾げた。それはわからない、ということだ。
 「どこかで」と彼女は言った。
 「この世界のどこかで」と天吾は言った。
 
 ふかえりは小さく肯いた。「ツキがふたつそらにうかんでるかぎり」



物語のラストで、天吾は夜空に二つの月をはっきりと見たけれど、それは線路のカーブに従うことで、ゆっくりと視界から消えていった。

次の日も天吾には二つの月が見えるだろうか?

 
この物語で突如として現れる小ぶりでいびつな緑の月。
見慣れた黄色の丸い月と、ソレは一体どちらが本物の月なんだろう?

小ぶりでいびつな緑の月の方が、物事の本質を凝視しているような気すらする。
寄り添うアンバランスな月は、青豆の両の乳房を連想する。

均衡を求め無いことが均衡を保つことなのかもしれないとも思うし、抗らうことがことさら必要とも思う。

やっぱりわからない。
2ヵ月後、3ヶ月後の感想は、今とは全く違ったものになってるかもしれない。
 
それくらい奥が深い。

青豆はやっぱり死んだと思う。
 
青豆の想念がリトルピープルをして空気さなぎを生成させた。
 
天吾がいくら「絶対に探し出して見せる」と言ったところで、出逢うのはせいぜい青豆のドウタだろう。
 
月は時折人を狂わせる。
 
今見ている月は本物なのかな?


バッハ:マタイ受難曲 - 第1曲 (小澤征爾)


 
平日だというのにとんでもない本に出逢ってしまい、寝る間も惜しんで読みふけり、気付いたら早朝の5時。
カーテンの隙間から、明るい朝日が差し込んでいました。

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告白

湊かなえ:著

ジャンル:ミステリー

テーマ:少年犯罪・復讐



何かの賞を獲った小説ではありませんが、「本屋が一番売りたい本」の第1位だそうです。
テサロニケさんのサイトで知りました。
ナルホド、駅地下の小さな本屋でも他の書籍と比べると、スペースを割いて平積みされていました。

発想、展開、構成、ミステリーには重要なポイントです。
これをスポーツに例えるなら

野球:逆転満塁サヨナラホームラン
蹴球:タ○ダのハットトリック
庭球:エース連発
籠球:スラムダンク!(違うか・・・笑)

いや、笑っている場合では無いのだ。

とにかく読み進ませる小説で止まらない。
一言で言えば、恐いもの見たさ。

「決して見てはいけません」

そう言われると見たくなる、、、それと同じ。

読み手に「素晴らしい!」と言わしめるなら、著者にとっては成功でしょう。

発想、展開、構成

どれをとっても世界新記録樹立でしょう。

その意味では画期的な小説ではありますが、この小説の内容を「素晴らしい!」と多くの読者が絶賛するなら
悩むところ。。。

あくまでも私個人の感想ですが、この小説は、映画「バベル」を鑑賞した後と似ています。

決して読後感は気持ちが良くなく、なんだかザワザワしました。
なぜ本屋さんが勧めるのか、ちょっとよく分かりません。。。

読み応えとか、息をつかせない展開、ここまで犯罪心理を抉った作品として勧めるなら、納得ですけど
この本のテーマは

復讐、それに至るまでの経緯における倫理観の欠如

その一言に尽きます。

著者はそれを問題提起として書いているのか、復讐を正当化したいのか、ボタンの掛け違い一つで転落する
脆い人間の在り方を問うているのか。。。

しかしまぁ、、、『告白』と題した本を手にしたら、その最後には真実に結びつくだろうと期待を抱いてしまうのも事実。

最後に主人公の女教師が言ったのは、果たして真実なのかな?

人が他人に尊厳を感じられない、そんな社会になったしまった憂いを感じると同時に、この著者の
発想の源泉を思い巡らせ、空恐ろしい。

読み応えはたっぷりあるので一気に読んでしまったけれど、まったく嫌な気分になった。

「ねぇ、なんかいい本ない~?」

っと主体性の無い人にうっかり貸してしまうと、予期せぬ感想を聞かされて、また嫌な気分になるかもしれない。。。

この書中の「告白者」の6名は、皆救われていない。

ただ、オムニバスで書かれているので、関わった者同士が相手をどう見ているのか、現状の己の心理を
上手く伝えられない、伝えたくない、知られたくない、、、。
そんな葛藤の場面は十分イメージ出来る描写で、それ故に恐ろしい。

遊んでもいい、でも遊び過ぎてはいけない。
勉強が出来なくてもいい、でも出来無過ぎてもいけない。

常に中庸であることを求めれられ、何が「過ぎたること」なのか判らない大人に育てられた子供達。
自分の視界に自分しか映せない大人に育てられた子供達。

告白者の6人に聞けるのなら聞きたい。

「それで、、、結末には満足ですか?」と。

全く気分が悪い、それでも読んでしまう。
自分の中にも似たような因子があって、突出した似たような因子に共感を覚えるのだろうか?

この告白者6人それぞれに自分を投影し、自分がどのように振舞うかを考えると戦慄する。

加担か、傍観か、対立か、、、。

その3択のどれも正しいとは言えないのではないか、、、。

たっぷりとそんなことを考えさせられた。

少し萎れた時には浅田次郎さん、ちょっとニヒルになってみたい時は柴田練三郎さん、
立ち位置を見直す時には5人の作家さんの本を読む癖がつきました。

でも、とにかく何もかも忘れリセットしたい時、

「私が書く文章は嘘噺ですよ」

そう言って、川上弘美さんは笑う。

「蛇を踏む」で芥川賞を受賞した、大好きな作家の一人。

彼女の世界は、なぜかもの凄くフィットする。
毎日を幻想の中で生きてるような私には、彼女の世界は逃げ場でもあります。。。

川上弘美さんの作品で、特に大好きな「椰子・椰子」を紹介しますね。
もう、思いっきり大人のメルヘン童話、、、というより嘘噺なのだ。

現実では有り得ない世界感。
不安定な未来が、何故かどこまでも穏やかな拡がりを見せていて、一気に迷宮に入りこみ
困惑の中で楽しめる。

はちゃめちゃな世界にも、可愛らしい調和があるのです。

男性向きではないと断言できますけどね、、、(笑)。


彼女の感性が独特のタッチで、平凡な一人の人間を非凡な世界観で覆います。
日記形式。

抜粋。

五月四日 晴、夕方少し雨

 少し憂鬱だし、この何日かずっと乾燥注意報もでているので、雨乞いをすることに決める。
 直径一メートルの円を床に書き、円外へはみ出さないように片足飛びをしながら、
 「前線通過、前線通過」と唱えるだけの簡単な儀式だった。
 三十分ほど続けたら、すっかり気持ちが明るくなった。


九月二十四日 雨

 一日読書。
 十時間以上読みつづけていると、文字に影が見えるようになってくる。
 その影が、ページをめくるときには、いっせいにふるえ、「ぷう」というようなささやきを漏らす。
 少しうるさいが、情緒がないこともない。


十二月十八日 晴

 親族会議が開かれtる。長い机に、よく知った顔や遠縁でめったに会わない顔が並ぶ。
 上座にパンダが、一匹いるのが、どうしても解せない。


引き出しがいくつもあって、一つの引き出しを開けるのが楽しみで仕方ない。



可愛らしい嘘噺。

エイプリル・フールにはお似合いな情緒&読後感。


JUGEMテーマ:日記・一般

泥のように疲れて帰宅し、テレビを付けっ放しにして寝てしまったためか、
浅い眠りの内に、夢を見ました。
夢の世界に入り込みながらも、外の音声(テレビの音)を確実に拾っていたのであろう。

赤報、、、アカデ・・・賞受・・・、納棺・・・、、、チェロ奏者、反発、、、。

眠りから覚めたものの、神経だけは磨り減っている。
肩に疲労を感じた朝。

眠りの中で、邦画のアカデミー賞受賞を知り、主人公たる納棺士が元チェロ奏者であるという情報をキャッチし
また眠りの中で、知る限りのチェロ奏者を探していたのでしょうか。

パブロ・カルザスが聞きたい。

起きて真っ先に思ったこと。


Pablo Casals joue Chopin en 1928

ショパンのノクターンなんて、普通はピアノでしょ。
カザルスのノクターンはピアノ以上。
優雅で繊細、それでいて豪快なな音色はどこまでも深い。
チェロでありながら、時折、バイオリンなのかと思ってしまう。
指先で鍵盤をなぞるピアノに比べ、弦を弓で操りながらこの細やかな音の放出は何だろう?
常人を越えてる。。。


パブロ・カルザスを知ったのは、五木寛之氏の著書「戒厳令の夜」。

「その年4人のパブロが死んだ」パブロ・ピカソ。パブロ・ネルーダ。パブロ・カザルス。そしてパブロ・ロペス。「その店を見たとき、突然、<デジャブ>という奇妙な言葉が江間隆之の頭にうかんだ。」

今は絶版となっているみたい。
政府、芸術家、神事に仕える者、陰の有力者、闇の組織、そしてごく普通の男と女。
あまりにも壮大なスケールで、日常にどっぷり浸かっている我々などには、無縁としか思えなかったけれど。。。


妙な名前も聞こえた。
夢か現か?
赤報隊、、、西郷隆盛?
社会に使い捨てられたのか、NHKに使い捨てられたのか、旧幕府への抵抗勢力を真似て、
現政権を非難しているつもり?


また少し寝てすぐに目覚め、頭の中は全くすっきりしていない。


情報の断片に調和を持たせるかのように、夢はストーリーを創りあげていました。


しっかり目が覚めた時、日本映画のアカデミー賞受賞はとても嬉しく、
カルザスの生演奏が夢であったことは、がっかり、、、(笑)
 
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