[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今年は、ある勉強会に参加することにしました。
弓道を始めようと思っていたけれど、今年は名古屋市内の何処の道場も、募集要項がアップされていない。
もうお馴染みさん達だけでいいって事なのかな。。。ちょっとがっかり。
それで全く別のことを始めようと、勉強会の参加を決めたんだけど、いくつかあるテーマの中から一つを選ぶのには相当迷いました。
今年はサッカーワールドカップが、南アフリカで開催されることもあって、アフリカ諸国や紛争地域をテーマにした勉強会には、特に興味がありました。
でも、やっぱりまずは日本のことを知らなくちゃ!と思い、今回は別のテーマを選びました。
と言うより、本音は怖くなったのかもしれません。
南アで開催されるWCに便乗して、南アフリカに行こうと思っていたけれど、その国の在り様を本気で、見て、感じてこようと思っていたけれど、何だか突然怖くなりました。
前回、「思想・信条」について拙い意見を述べましたが、それだけじゃない、他にも大切なことがあるよってことで、「畏怖」についてつらつら述べてみます。
南アフリカの犯罪が怖いのではない、暴力が怖いのではない、殺されるのが怖いのではない。
貧しくて治安も悪く、劣悪な環境で暮らしている人々を、実際にこの目で見て、短期間のうちに「知ろう」などと思い上がった自分が怖くなりました。
写真を撮ろうと思いました。。。さて、私は一体何の写真を撮りたいのだろう?
ジャーナリストでもないのに、何を撮ろうとしていたんだろう。
貧しい人々の生活だろうか、暴動を起こす人々の熱量だろうか、それとも、病や怪我で命を落とす人々の身心都滅の様だろうか。
カメラを向けられる人々はそれを歓迎するであろうか、、、少なくともニッコリ笑ってはくれまい。
写真を撮る行為そのものは別に「悪く」はないだろうけれど、これらの場合、被写体にレンズを向ける、向けたいという欲求にかられることが、実は「畏怖」を忘れた恥ずべき行為で、「原罪」に当たるのではないかと思いました。
1993年にニューヨーク・タイム紙に載り、
1994年にピューリッツア賞を受賞した写真、「ハゲワシと少女」。
旱魃と内戦で疲弊し、飢餓に苦しむアフリカのスーダンで、この写真を撮影したケビン・カーター氏は、受賞後、世間からの轟々たる非難を浴びて自殺。
批判の多くは、写真を撮る以前に少女を助けるべきではないかという人道上のもの。
しかし、カーター氏は写真を撮った後に急いでハゲワシを追い払い、この少女が立ち上がり、弱々しく歩き出すのを見ていました。
カーター氏は、なんともやり切れない気持ちになり、しばらく泣いていたと伝えられています。
彼に罪はあったのだろうか。
否。
罪は無い。
では非難に追い詰められたのだろうか?
違うと思う。
「写真を撮る以前に少女を助けるべきではないか」という人道上の大部分の批判ではない、少数派の批判が彼を苦しめ、彼自身も罪と感じ入り恥じたのではないだろうか。
それは、生と死の境目(セフィロート)にレンズを向けるという行為、その衝動。
通常は「畏怖」する領域に触れてしまった事に対する批判があったからではないだろうか。
社会から罰せられない罪なれど、一生忘れられず一人で背負わなければならない、彼だけの「罪」の重さを指摘されたのが、一番辛かったのではないだろうか。
「畏怖の念」を持つことは大切だと思う、どこかで学ぶべきだと思う。
人として根源的な問題を孕んでいるし、持つべき感情だと思うけれど、それは人それぞれ、個人の感情として存在すればいいもので、これが全体主義的になったらたまったもんじゃない。
自分の中の「畏怖」の定義で、他人を非難するなど、それこそ大いなる罪である。
だから学校教育で教えられるべきものではない。
家庭の中でとか、思想・哲学書で、密かに育てていくものなのだろう。
それが、現在の日本で、正しく育てられているかはわからないけれど。
聖域と呼ばれるアンタッチャブルな領域は、狭い方がいい。
この領域が広範となればなるほど、私たちの言論や表現は狭められていくのだから。
しかし、その聖域はあった方がいい。
己の「恥辱」を映す鏡として。
そんなことを考えているうちに、畏怖する領域(聖域)に対面することは、簡単に考えてはいけないと思い、南ア行きは断念しました。。。
けれど、いつか必ず行ってみたいと思っています。
(これは国民!様のコメント返信と、米屋の息子様へのコメレスで語った気持ちです)
これに関して、ごく最近感じたこと、身近に起こったことについて、思うままに書いてみます。
5/16 J1リーグ 名古屋グランパス vs 鹿島アントラーズ戦
●名古屋 1 - 4 鹿島○
もう!思い出すだけで何度も何度も脱力する。なんで鹿島には弱いかなっ!?
この日、会場となった豊田スタジアムの観客は約35,000人。
今年一番の入場者数である。
こういう動員多数の時とか、全国放送の時とか、首位攻防戦の時とか、ここぞという時に、鯱さんは勝てない。
ほんっとに勝てない。
ACLでメタメタになってるハズの鹿島なのに、やっぱり興梠・マルキーにやられちゃってる。
おまいら、ゴール前に9人並べ!FWは闘莉王据えとけ!
なんて、不貞腐れちゃう。
それはともかく、この日アウェー鹿島からの観客は3,000人程だったでしょうか。
残りの32,000人は、グランパスのサポーターでした。
試合開始前からの応援は、そりゃもう、大変な盛り上がりでした。
老若男女・サッカー通・ミーハー集団・コアサポ・素人、色々居たでしょう。
けれど、応援が始まると、皆が同じ動きをし、同じアンセムを歌いだし、スタジアムは熱狂に包まれます。
何とも言えない熱量を感じます。
「スタジアムが一つになる」こんなキャッチコピーは、サッカーファンにはかっこよく聞こえるかもしれません。
ええ、応援を見ている限りでは。
試合は1-4で大敗。
その後は掌を返したようなブーイングの嵐でした。
32,000人という観客が、たった11人の選手に向かい、罵声を浴びせるのです。
このブーイングを、「期待の裏返し、これも応援のうち」と言う人もいます。
サッカーファンならこれが通説となっています。
けれど、それを通説にしちゃったメンタリティは何に拠るものだろう、、、と考えます。
私の老養母も、豊田スタジアム開催の試合には欠かさず観戦に来ていますが、こういう負け試合後のブーイングは「みっともない」と言います。
私は、この養母の感覚、昔の人間の感覚が、現代人に欠落しているように思えます。
ブーイングはブーイングでしょ、野次と罵声。
これを応援の一つと考えよと言われても、悲しいかなサッカーオンチの私には理解できない。
5/16(日)、豊田スタジアムには、歓声と罵声が鳴り響きました。
よく知りもせず、その歓声と罵声にのっかっている人がほとんどである。
よく知りもせず、罵声にこそ力を込める人が居る。
群集心理の恐ろしさを知る瞬間である。
一人になった時、楢崎くんを目の前にして、今言ったその罵声をもう一度その調子で言えるのか。
畏怖を忘れた、卑屈な者の哀れさよ。。。
サッカーのスタジアム内でのみ繰り広げられる光景ならば目を瞑ろう。
しかし、現実にはそこかしこで繰り広げられている。
彼らは一体、今まで何を学んできたのだろう。。。
大切なものだからこそ近寄りがたいもの。
畏れと親しみと尊敬がいりまじったもの。
そういうものが世の中からなくなってしまったのか
それとも私達にそれを感じる力が弱ってきたのかは
わからないけれど、自分の中の価値基準というものがどんどん曖昧になって、マニュアル、一般的価値基準で行動する人が増えているような気がします。
物事をプラス面とマイナス面、白と黒、そんな表面にでてきたことだけで判断しようとする。そこに至る過程や中に隠れた本質を見ようとはしない。
命の重さを写真を通じて私たちに訴えかけたカーターさんには、生きていて欲しかったなぁ。写真に対する是非はあるにしても、少なくとも彼の写真で多くの人心が揺さぶられたのですから・・・。
いろんなものを超えた時、彼がどんな写真をとるのかが見てみたかったです。
コメントありがとうございます。
ぐだぐだと抽象論だけで挙げたエントリーに、直球ド真ん中のお返事をいただいて、物凄く喜んでます。とても嬉しいです。
>お天道様が見ている的な発想は、今流行らないですよね。
この時代にあってアタシはやっぱり時代劇は、勧善懲悪モノの水戸黄門が好き。暴れん坊将軍が好き(爆)。
流行らない、今の時代では流行らない。
でも時代遅れではないと思う。世の中はそういうものでなければおかしいと思う。
例え「ばーか!」と言われようとね(笑)。
利便性の向上だけで生活が豊かになったと錯覚したらいけませんよね。
政治のゴタゴタで社会不安が蔓延していますが、じゃ、普天間が解決したら、消費税増税が先送りされたら、ワーキングプア問題、高齢者問題、原子炉の問題、財政再編等等、全ての問題が綺麗に解決されたら、全ての国民は幸せになれるか、、、って考えると、今のままじゃダメだと思うんです。
「お天道様が見ている的」な畏怖心が必要だと思うんです。政府にも官僚にも国民にもね。
これが無いから、諸問題も一向に解決しないのだと思うんです。
「ハゲワシと少女」の写真に何が写っているのか、マスコミも世論も、よーく見て考えないといけませんね。。。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |