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◆6月5日(日)、養父の27回目の法要のため実家に帰りました。実家まで駅から徒歩5分の道のりなのですが、シャッターが下りて「閉店」の張り紙がある店と新しくオープンした店ばかり目につきました。豊田スタジアムで試合がある時は、たまに実家に泊まっていたけれど、最近はあまり立ち寄らなくなっていました。駅を基点にスタジアムとは反対方向にある実家の界隈は、来るたびに変わっている感じで落ち着きがない町に成り果てました。その世界では全国的に有名だったバレエ教室も移転してしまったのか、そのビル自体が飲食系の雑居ビルになっていました。車の利用者が圧倒的に多いこの町で、駅周辺の居酒屋が繁盛するのは、サッカーの試合がある時くらいなのに。学歴とか身につけるモノのブランドを気にする現代人みたい。中身は空っぽ。思えば20年ほど前、駅に直結して高級デパート(そごう)が出来てからこの町はおかしくなったような気がします。だいたいそれまで農業と製造業で成り立っている田舎の保守的な女達は、割烹着にサンダル姿で、そごうに出かける素朴な人たちばかりでした(笑)。高級デパートの商品の価格を見て、当然のように生協や農協、小さな個人商店やスーパーと比較して目の玉が飛びだすほど驚いていたのだから、デパートなんて全く異質なものでしかありませんでした。はい、当然閉店しまして、今は大丸松坂屋が細々と営業しています。ここで一番客の入りがいいのが、100円ショップとユニクロだとか(笑)。もともと、新しいものは容易に受け付けない土地柄ですからね。新しい店を横目に、何時までもつのだろう、なんて思ったけれど何度も何度も見てきた光景。町並みはどんどん綺麗に整備されているけれど、不似合いなほどに古いお店というのが、昔から変わらない「自慢の味」を持った御菓子屋さん だったり、コロッケが売りの精肉店だったりします。懐かしい。まだ変わっていないことにほっとします。
◆旦那寺へ向かう道すがら、車窓を眺めて変貌した町並みを見ていましたが、市街地から離れること10分程で、他地域はそれほど、、、いえ、全く変わっていないことに気づきます。世界的に有名な某大手自動車会社に続くこの道は、30年前と変わらない片側一車線の国道。今でも毎朝大渋滞だそうです。地方自治体が国有地(この場合は国道)を買い取るってことはできないものかなぁ。出来るのであれば、なぜ馬鹿みたいに儲かっていた時期に買い取らなかったのだろう。うちの旦那寺は、在原業平の伊勢物語に登場するかきつばたで有名なお寺(無量寿寺)の近くです。年忌の時くらいにしか訪れないところなので、道もちゃんと覚えていないのだけれど、市街地から遠く離れた場所はやっぱり変わっていません。狭い道を右折し、お寺の石垣が見えました。おそらくここは、40年も50年も変わらない景色、、、というか、空間なのでしょう。
◆法要が始まる前に、お寺の住職さんから小さな冊子を受け取りまます。読経の後に、皆で唱和する『正信偈』なるもの。はい、うちは浄土真宗大谷派、お東さんです。じいちゃんもばあちゃんも、伯父も伯母も、養父も実母もお東さんに倣ってきました。『正信偈』は何度も目にし、唱えたものですが、これが経典ではないってことを始めて知りました。釈尊が残したものだけを経典と言うのであって、浄土真宗の始祖たる親鸞が残した『難異抄』と同じく、真理を求めた者がようやく辿りところを記したものに過ぎないのですって。仏の教えと言うより、どう解釈すれば良いかの親鸞聖人独自の説明であり、讃美し感謝して有り余る親鸞聖人自身の気持ちに過ぎないらしいのです。親鸞聖人自身は、かつて貴族のものでしかなかった仏教信仰を、一番救われなくてはならない庶民達に広めました。罪とか業とか贖罪とか往生とか、経典の理屈は自分(僧)が担うから、何も知らなくてもいいから、この念仏を唱えれば救われると残したのです。言霊信仰でもあるよね。なんまんだぶ、なんまんだぶ。たまたま『一個人』という雑誌の表紙に「美しい日本の言葉」なんてキャッチがデカデカと載っており、パラパラと捲っていたら、親鸞聖人のことが書かれておりました。養父の(最後になるかもしれない)年忌にあたり、親鸞聖人が残したものに興味が向かいました。
正信偈現代語訳
http://www.gobosama.net/gendaigoyaku/index.html
驚いたのはこちら。
http://j-ken.com/category/all/data/753192/
真宗宗歌
作詞 真宗各派協和会
作曲 島崎 赤太郎
1 ふかきみ法(のり)に あいまつる
身の幸(さち)なにに たとうべき
ひたすら道を ききひらき
まことのみ旨(むね) いただかん
2 とわの闇より すくわれし
身の幸(さち)なにに くらぶべき
六字のみ名を となえつつ
世の生業(なりわい)に いそしまん
3 海の内外(うちと)の へだてなく
み仏(おや)の徳の とうとさを
わがはらからに 伝えつつ
浄土(みくに)の旅を ともにせん
キリストさんの賛美歌と何が違うんだろ。。。しかし、やっぱりインターネットって便利ですね。20年前だったら、決して「正信偈」の意味に簡単には辿りつけなかったと思います。
◆久々に会った甥っ子は既に二十歳。小学生からずっと野球を続けていて、野球推薦で高校に進学したけれど、プロの道は厳しいです。毎日毎日、暗くなるまで家の前で素振りをしていたのを知ってる。プロになる夢が潰え、かける言葉も見つからないまま再会。まったく、、、茶髪・ピアス・喫煙。見た目は決して麗しくなくなっちゃってました。そんな甥っ子が4月の下旬から5月の上旬にかけて、福島の郡山へ復旧支援のため出張ったそうです。「あんなにニュースで騒がれて問題になってんのに、町の雰囲気はここら(豊田市)と変わらないのに、郡山の子供達はフツーに通学してんですよ、雨とか降ってきても、濡れちゃっててさ。平気なんかなぁ??自転車で元気よく駆け抜けて行くんっすよ。。。ありえねーと思ってさ、落ち込むっつーか、悲しいっつーか、、、確かにどうにもならないかもしれないけど、俺じゃナンともできないけど、『なんか違うだろ』って思った。なんかすごくショックだった。あれ、なんなのかな、そこで生きていく覚悟なんかな?雨なんかに濡れんじゃねーよ!って思ったけど、何も言えんかった。」でかい図体の甥っ子が、声をひそめてそう言いました。見てくれはやんちゃなんだけど、その感性が嬉しいよ。相当ショックを受けているように思えたのだけど、脳天気な兄は、甥っ子の気持ちをきちんと酌んでいるのか、ちょっと心配になりました。
在原業平の歌でよく知られているのが
千早ふる 神代も知らぬ 竜田川 からくれなひに 水くくるとは
からころも きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ
私は後首の方が好きです。^^
無量寿寺は小学生1年の頃に遠足で来たことがあります。花を愛でるなんて気持ちなどないものだから、細い小道で皆で走り回っておりました。お弁当の時間になりお茶を飲もうとしたら水筒の蓋が開かなくて、男子にも試してもらったけど駄目で、半ベソをかいていたら校長先生がニコニコして近づいて来て「開ける時は左にまわすんだよ」そう言って簡単に開けてくれました。「こうちょうせんせーっ!すごい!すごい!」なんて皆で大騒ぎして校長先生を取り囲み纏わりついて、さぞかし喧しかったでしょうに、私たちのグループの隣で一緒にお弁当を食べてくれました。一人一人のお弁当を覗き込んで、「これは海のものか山のものかわかるかい?」なんて質問して、窓際のトットちゃんの先生と同じでした。私のお弁当の中にあった「ちくわの磯辺揚げ」を指差して、「これはどっちだと思う?」と聞かれ、「山のもの?」っと見事に外してしまいましたが(笑)。あの遠足以来、皆校長先生が大好きになって、授業と授業の間の休憩時間(愛知ではこれを『放課』といいます。)に校長先生を探しに必ず校庭に出るようになりました。いつも中庭とか観察植物の場所で草取りばかりしている先生でした。
ワイシャツの袖をまくり、首にタオルを巻いて麦藁帽子を被っているのが私たちの校長先生でした。今の時代、そんな校長先生いるのかな。。。
百貨店は庶民価格商品から高級品を扱っていたのに、
庶民価格商品を排除して高級品だけを扱って、
「上流階級しか相手しなくなった」
デパ地下だけが好調になり衰退をしていく形になりました。
百貨店業界では鉄道会社が経営する
百貨店は2流と言われているそうです。
西武、東武、京王、小田急、東急、京急、京成、
遠鉄、名鉄、京阪、阪急、近鉄、阪神、山陽など。
「南海、西鉄は百貨店を持っていないみたいです」
ユニクロはこの頃は大手スーパーの店舗に入っていたりして、
そのうちデパートにも店舗を置くかなと思っていたら、
銀座のデパートにも店舗をおく時代になりました。
夏は男女共にドライ機能の下着類など本当に有難いです。
100円ショップは丸井の中に店舗を置いている所もあります。
時代ですね。
だいぶ前の話ですけど、
OIOI「丸井」を西日本から初めて関東に、
上京した人達はOIOI「おいおい」に行こうと言うそうです。
おいおい?あそこと指を指されてやっと関東の人達は理解し、
丸井のことね(笑)と落語のような話がたびたびあるそうです。
コメントありがとうございます。
>百貨店業界では鉄道会社が経営する 百貨店は2流と言われているそうです。
あは!モロに名古屋の名鉄百貨店が入っておりますね(笑)。
この長きに渡るデフレの時代、売り上げ拡大を見込めない一流デパートの一角に価格破壊的格安ショップが入ることに、誰もが違和感を覚えていいはずなのに。
100円ショップやユニクロに否定的なわけではないのですが、あらためて、再分配が成されていない社会になったのだなぁ、、、と実感しています。
○I○I、懐かしいですね!
私は「マルアイ」と読むのだと思っていたので、銀座四丁目の丸愛ビルのことだとばかり思っていました(笑)
バブル崩壊直後に、私は東京を離れたのですけど、不況、デフレと言われながらも、東京ではバカみたいに開発が進み、たまに訪れると全く様相が変わっていました。
多大な財政赤字を産むくせに、東京の発展は異常と見ました。
でもね、先日東京にデモに行った時、かつて勤めていた会社の前を通ったんですけど、ソコは全く変わっていなくて。懐かしさもあり、ちょっと嬉しかったです。^^
私の実家は真言宗智山派・・関東には成田山新勝寺と川崎大師、高尾山薬王院の三大本山がありますが、寺は高尾山の流れです。小さな村の小さな寺です。
真言宗が皆そうかどうか知りませんが、葬儀の最中「御詠歌隊」のおばちゃんたちが「御詠歌」を歌い続けます。これ、悲しいメロディで、坊さんの読経に乗るととてもきれいな音楽になります。
まるでキリスト教の聖歌みたいです。
違いは「聖歌隊はとても若く」、「御詠歌隊は年寄」ばぁさんたち・・・という点ですね。
私が知っている歌はほんと少ないのですが
「今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし、消えずはありとも花と見ましや」
「名にしおはばいざ言問わん都鳥、我が思ふひとはありやなしやと」
なんてのは好きですね。まぁ、彼は稀代のプレイボーイ。女にモテテモテテ、女に苦労したんでしょ。
「世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからまし」
同じ業平の句をまねたもので
「世の中に 金と女はかたきなり 早く仇に会いたいものよ」・・・なんてのもあるなぁ・・・私はこちらのほうが好き。実に私の心を打つのだよ、ガハハ・・・。
それから、在原業平の由来のある東武「なりひら駅」が、「東京スカイツリー駅」に名前が変わります。
愚かなものよ・・・・。
コメントありがとうございます。
週末は出かけておりまして、お返事が遅くなってすみませんでした。
今一度、お母様のことお悔やみ申し上げます。
万物には「その時」があります。残された者にとっては、どんなに受け入れ難くてもね。
でも、お母様は今生よりもずっと幸せな場所に旅立ったのですから、笑って送ってさしあげてください。
>違いは「聖歌隊はとても若く」、「御詠歌隊は年寄」ばぁさんたち・・・という点ですね。
賛美歌はカソリックでもプロテスタントでも、礼拝に来た教会の信徒で歌うので、「聖歌隊はとても若く」はちと違います(笑)。老若男女の混成で年配者の比率が高いんじゃないかな。
賛美歌の一種でも、ゴスペルだと老若問わず兄弟・姉妹がノリノリで歌ってたりして、聞いているだけで楽しくなっちゃいます。
>それから、在原業平の由来のある東武「なりひら駅」が、「東京スカイツリー駅」に名前が変わります。 愚かなものよ・・・・。
スカイツリーの場所って台東区でしたっけ?墨田区でしたっけ?
古き良き東京を僅かに残している印象だったのに、なんだか残念でなりません。
挙母町が豊田市になったくらい情緒の喪失だと思う。
愚かしさの象徴でもある「バベルの塔」を思い出しちゃうよ。。。まったく。
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