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傲慢で排他的なヒエラルキーに毒された(キリストの)教会と聖職者を、横暴と欺瞞に満ちた自身の浅はかなプライドのために糾弾し、断罪し、最も忌み嫌われる「裁き」を下す振る舞いをし、信仰に背いていることも解(かい)せぬ信者が言う「神の子」など、私は信じない。そんな見下げた外道が言う宗教上の救世主なら要らない。教会という集団から離れ、指導者からの呪縛を解かれたとたんに、イエスの教義をも否定するキミ等の軸は、一体何だというのだ。
腐敗し、糜爛した者どもが、あくまでも「イエスは神の子」と言うならば、私は彼を【革命家】だと位置づけたい。
聖書に対するニーズが高まっている勢いで、再び聖書考。
盲目的な信仰から離れて、俯瞰的に。
決して上から目線ってことでは無いので、、、念のため。
キリスト教を信仰する者でなくとも、これまでの人生のうちに、一度くらいは聖書の言葉に触れたことのある方はいらっしゃると思います。
さて、その時に、イエス・キリストをどう感じたでしょうか?
私の場合、常に無抵抗で愛を説く「優しい方」であり、残念ながら力強いイメージはありませんでした。
(磔刑のイエス像は、それだけで弱々しさを物語っていると思うんです。だから嫌なんです。)
けれど、そのイメージが一変し、非常にラディカルな人物だったのだと思ったのが、留学時代に日曜礼拝した時の牧師さんの説教(preah)でした。
イエスがヨハネから洗礼を受けた直後、悪魔の誘惑を退ける場面です。
まず、日本語で紹介しますね。
さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いにたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにされる。』と書いてありますから。」
イエスは言われた、「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て(イエスに)仕えた。
マタイ伝 : 4章1-11節
英語だとこうなります。
Then Jesus was led by the Spirit into the desert to be tempted by the devil. After fasting forty days and forty nights, he was hungry. The tempter came to him and said, "If you are the Son of God, tell these stones to become bread."
Jesus answered, "It is written: 'Man does not live on bread alone, but on every word that comes from the mouth of God.
Then the devil took him to the holy city and had him stand on the highest point of the temple. "If you are the Son of God," he said, "throw yourself down. For it is written:
" 'He will command his angels concerning you,
and they will lift you up in their hands,
so that you will not strike your foot against a stone.
Jesus answered him, "It is also written: 'Do not put the Lord your God to the test.
Again, the devil took him to a very high mountain and showed him all the kingdoms of the world and their splendor. "All this I will give you," he said, "if you will bow down and worship me.
"Jesus said to him, "Away from me, Satan! For it is written: 'Worship the Lord your God, and serve him only.
Then the devil left him, and angels came and attended him.
Matthew 4:1-11
引用した「マタイによる福音書」は、日本語でも英語でも同じ意味です。
けれど、英語で聞いたpreachは、牧師さんがイエスと悪魔のパートを声色で変化させ、どちらも怒気をもって叫ぶ「対峙」の場面でした。
日本語の聖書に書かれている丁寧語は、その緊張感と気迫を奪ってますね。
この場面を初めて読んだ時は、悪魔が丁寧語を使っていることに、もの凄く違和感を覚えました(笑)。
これじゃ悪魔の誘惑の恐ろしさは伝わってこないのだけど、四十日間の断食の後、弱っているハズのイエスの断固たる対応でその誘惑の厳しさを少し想像は出来ました。。。。が、英語による説教(preach)で、印象は一変しました。
この一文を紹介したのは、イエスは決して無抵抗の弱々しい人(神)の子ではなく、力強い革命家だったのではないかと思うに至ったから。
生粋のクリスチャンからお叱りを受けそうですが、教会を離れ(信仰を捨て)た者は、こういう解釈も出来るというか、、、罪の意識から逃れたいがための独自思想なのかもしれません。
これも一種の脱構築思想なのかな(笑)。
◆ナザレのイエス
イスラエル(現パレスチナ自治区)の、とりわけ貧しい地区であるナザレで、イエスは誕生しました。
紀元前10世紀頃までのパレスチナは、ダビデ王とソロモン王の善政により栄華を極めましたが、やがてローマ帝国によって滅ぼされ、圧政に苦しむことになります。
民衆は、20%以上の直接税(所得税)に加え、多岐に渡る間接税の重さに苦しみました。ローマ帝国および、ローマ帝国によるユダヤの傀儡政権は、経済至上主義を唱え、富める者はあらゆる手段で貧しい者から搾取と収奪を続けます。民衆に救いを与えるべき宗教家(司祭)は、快楽に耽りながら、所得(徴税後)の10%以上の献金を求めました。被虐者たる民衆が不満を増大させていた時代に、イエスは誕生しました。
(まるでどこかの国のようです)
◆支配下からの脱却、救世主(メシア)待望論
当時のイスラエル(現パレスチナ自治区)では、厳しい税制の他にも、民を苦しめたモノがあります。
それが律法。異国(ローマ帝国)の統治となっても、ユダヤの律令は変わらず遵守されるべきとして、民衆は厳しい戒律下におかれ、破戒する者、異論を唱える者は、ヒエラルキーによって保護された聖職者・律法学者達が弾圧しました。こうして民衆によるメシア待望論が高まっていきます。
(やっぱりどこかの国のようです)
◆12人の使徒の忠実性
ペテロ・アンデレ・ヤコブ・ヨハネ・ピリポ・パルトロマイ・トマス・マタイ・アルバヨの子ヤコブ・タダイ(ユダ)・シモン・イスカリオテのユダ
これらの人はイエスが弟子として選出した人々なのですが、イエスの生涯を記し新約聖書の福音書として編纂されたハズのマルコとルカの名前が無い!
イエスを裏切った「イスカリオテのユダ」は12使徒に認定されているのに。
最も古いといわれているマルコの福音書が書かれたのは紀元70年頃と言われていて、イエスの死の40年後です。そして、80年頃にルカの福音書、85年頃にマタイの福音書、90年頃のヨハネの福音書と続きます。迫害を伴う布教活動は辛酸を極めていたので、容易にイエスの活動記録を纏めることは出来なかったでしょうけど40~50年の歳月は永過ぎではないでしょうか。どれもわずか50頁ほどの書なのですから。その陰にイエスの教えを利用しようとした、地位に固執したい律法学者や司祭が、はるか後に俄かに新約聖書の編纂を急がせたようで、何かそうすべき理由があったのではないかと穿った見方もできます。イエスの多くの弟子達は実はそれほど忠実ではなく、時の施政に都合良く買収されたのではないかと、考えられなくもないわけです。
少しばかりミステリー作家になった気分で、当時の時代背景を鑑みながら、聖書の信憑性を考査してみたいと思います。
新約聖書は、イエスの12使徒ではなく、むしろ迫害していた「パウロ」という人物の書簡がほとんどなんです。
パウロは厳格な律法遵守のユダヤ教徒(パリサイ派)で、大祭司から書簡を預託されるほどのエリート中のエリートでした。それが、蘇生後のイエスに出会って回心し、12使徒以上にイエスの教義を布教しました。
最終的には殉教しましたが、それまでに何度も捕縛され、その度に拷問を受けたとされていますが、他の教徒に比べて意外と自由なんです。捕縛されている間に、仲間に送った書簡は新約聖書に収められていますしね。
キリスト教徒の間では、パウロは最も力強く(ラディカル)に語った【聖人】とされていますが、実は司祭と律法学者が放ったスパイではないかとの疑念も湧いてしまうのです。
イエスの出現によって威厳を保てなくなった政府と司祭が、一介の田舎の大工の倅が説く、民衆の支持を受ける教義を自分達のものにしてしまおうって、永い月日をかけた陰謀の結果がパウロなのではないかなぁ。。。
なんて思いかえす今日この頃。
教会に通っている時も、「イエスは神の子ではなくって、革命家だったんじゃないの?」と言ったことがありましたが、もの凄く怒られました。。。
たとえ彼が神の子だとしても、「革命家」には違いないと思うんだけど、違うのかな。
聖書は、世界史のオリエント史とローマ史を読みながら紐解いていくと、非常に面白い。
壮大なミステリーを、あれこれと思いついてしまいます。
聖書熱が冷めやらぬうちに、またエントリーをあげたいと思います。
そうそう、私は「神」の存在は信じますが、願いを叶えてくれるとは思っていません。^^
同時に「神」は白いお髭を生やして、白い衣を纏い、杖を持って世界を統治する実態のある者だとはサラサラ思ってません。^^
エントリーには全く関係ないけど(笑)、最近ちょこっとアクセスが増えたので「んんん?」っと怪訝になって調べてみたら、「夏目漱石 こころ」の検索結果によるものでした。
はっはーん、夏休みの読書感想文対策なのかしらん?
ま、アタシが書いたものなど、コピペの価値はないけれど、考えるヒントは与えているかもしれない。
ふっふっふー、考査のヒントを探すのは結構だけど、若人よ、あらすじを探すなかれ。ちゃんと読むんだぞっ(笑)。
故に、ユダヤ教支配階級に反感を募らせた民衆に取って、メシアとなり得た。
ユダヤの律法の不正を糾そうとした故に、革命家であると言う定義は正しいと思います。
彼自身は、純粋であっても、死後生き残った弟子達が、自分達の立場を強固にする為に『教団』を組織する必要に駆られ、組織を維持する為に『福音書』を必要として、イエスの時代の純粋性が失われて行ったのでしょう。
後は、官僚組織としての教団の中でのヒエラルキー闘争が、時代毎のさまざまな矛盾をはらんで行く結果となったのか。
ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、イスラム教徒も、「神を信じよ」という。
いちいち「何々教の神」などと「区別」して呼んだりしない。
「我は神を信ずる者なり」と、ユダヤ教徒内部で発言されれば、それはユダヤの神。
キリスト教徒同士では、キリスト教の神。
イスラム同士での会話でなされれば、イスラムの神。
何処に軸足を置くか、で宗教が異なってしまう訳で、その信じる対象は、『神』。
いずれも、教典は『旧約聖書』で、本家がユダヤ教、イエスが語ればキリスト教、ムハンマドが語ればイスラム教な訳です。
後は『教義』のちがいのみ。
勿論、教義が異なれば、完全に思想が違う事を意味するものの、各個人が帰依する相手は『神』。
ですから、この世は『神と仏』のどちらか、と言う事になってしまいますね。
従って、神は「白い衣を纏って」居る訳では無く、各自の「誘惑に負けない」為の拠り所なのでは無いのでしょうか。
ですから、「願いを叶えてくれる」存在ではあり得ませんね。
言い換えると、『人でなし』にならない為の、「依って立つプライド」と言うか、早い話が『矜持』なのでは有りますまいか。
ただ、そう言ってしまうとミもフタも無くなるので、教義をひねくり回し、教団の権威の為にヒエラルキーを築いて、「支配構造」を確立して来たのでしょう。
個人は、自己の「道徳」の拠り所、と言う<ぎりぎり>の最後の砦が、神なのでは無いか、と言う気が致します。
ただ、やはり人間の英知を越えた存在を想定する事、派人間と言う「弱い」存在に取っては、必要な事でしょうね。
先日のコメントにも書きましたが、「至高の存在への恐れ」を無くしてしまうと、命を軽視してしまう結果になってしまう。
今、日本に一番かけている物、だと思っています。
菅直人にも、その他大勢の、永田町と霞ヶ関に巣食っているバカな「人でなし共」に、一度で良いので『神を恐れよ!』と言ってみたくてたまりません。
コメントありがとうございます。
>従って、神は「白い衣を纏って」居る訳では無く、各自の「誘惑に負けない」為の拠り所なのでは無いのでしょうか。
ですから、「願いを叶えてくれる」存在ではあり得ませんね。
言い換えると、『人でなし』にならない為の、「依って立つプライド」と言うか、早い話が『矜持』なのでは有りますまいか。
ただ、そう言ってしまうとミもフタも無くなるので、教義をひねくり回し、教団の権威の為にヒエラルキーを築いて、「支配構造」を確立して来たのでしょう。
個人は、自己の「道徳」の拠り所、と言う<ぎりぎり>の最後の砦が、神なのでは無いか、と言う気が致します。 <
わ、わ、わ!
何故このように綺麗に纏められるのでしょうかっ!
当にこれを言いたいがために、あと2・3のエントリーをあげようと思ってましたのに、必要なくなっちゃいました!(笑)
私もまさに時々パリ様と同様に考えます。
新約聖書の4つの福音書の中には、イエスが語った(とされる)言葉がありますが、これらを読むと、人の在り様を説きながら、社会の在るべき様も説いています。言外に政府と教会を鋭く批判してたので、イエスの周囲の者は誰しも「宗教家」というより「革命家」と映ったことでしょう。
「唯一神信仰の国こそ好戦国じゃないか」なんて言葉をよく耳にしますが、それはイエスの教義では無く、それを利用した教会の罪です。
ヒエラルキーに護られ、そこでぬくぬくとしている聖職者の罪です。
聖職者間でそういう構造を確立してしまったことは、非常に罪深いことです。
政教分離などと言い、宗教と同時に道徳も捨てた政治家が永田町を跋扈しております。
悪魔が
"All this I will give you," he said, "if you will bow down and worship me."
そう言うと喜んで飛びつく馬鹿どもに、「神を恐れよ!」と言っても、馬の耳に念仏でしょう。。。
嘆かわしいことです。
自分の心の醜さ
自分の中身をそのまま映しだす鏡が
神であり信仰なのかもしれないと思いました
人は弱いからこそ
自分をもっと知ろうとするし
強くもなれる・・・
キリスト教のこと
何も知らないのにゴメンネ~♪
コメントありがとうございます。
神は、自分の内に作り出すのものだと思ってます。
だからおっしゃるとおり、弱さや醜さを映す鏡でもありますが、同時に、希望と美麗も映し出してくれます。
鏡は磨かないと曇ります。
信仰も同じデスネ。。。^^
学生時代に同じゼミにオーストラリアからの留学生がいて、そいつにこんな事を言ってしまった。
半分冗談で半分は本心かな。
「僕は君のことは好きだが、キリスト教というのは大嫌いだ。僕みたいな異教徒は地獄に堕とされるんだろ。」
彼が私に懇切丁寧に説明してくれたのが、このエントリーと同じ内容でした。
彼は怒っていませんでしたけど(少なくても表面上は)。いつもと表情や声のトーンがあまりにも違っていたのが印象に残っています。
「天は自ら助くる者を助く」というのは聖書の言葉ではないことを最近知りましたが、
「異教徒だろうが、悪人だろうが、神様だったら平等に助けておやんなさい。」そんな風に思って、若い頃はクリスチャン(特に日本人の)は嫌いでした。
今はそんなことありません。信じている宗教と人格は全く違うことを実感していますから。
ただ「寺と神社とシャーマンが曖昧に共存している日本が好き」です。
クリスマスケーキは食べますけどね。
コメントありがとうございます。
なんで「ビジネスホテルも連想する」なのかわかりませんが???(笑)
あたしゃ、イエスはチェ・ゲバラ以上のいい男だと思ってるんだ~
キリスト教が本当にイエスの教義を軸とするならば、本来一つじゃなければおかしい。なんでこんなに宗派があるんでしょう?(仏教も同じだけど)
それはやっぱり、教会とか寺社の内部的分裂に他なりません。
いかなる宗教団体も、そういう分裂があり、階層があります。
その時代に都合よく変えられてしまう。
でも、ア・タ・シ・の・イエスは異教徒でも、敵でも、弱い者を虐めさえしなければ、「地獄へ堕ちろ」とは絶対に言いません。
時々パリ様がおっしゃるように、私も神とは「誘い惑に負けない拠所」だと思いますので、突き詰めていくと、なんだかどの宗教も結局同じで、唯一神に行き着くのではないかと思ったりします。
甘いものは好きではないのでケーキはほとんど食べませんが、実家に帰ると養母に、「仏壇に供えた『おぼくさん』を食べなさい。」と言われ、ボソボソと食べたりしていますよ。^^
奇麗にまとめたつもりなど<サラサラ>有りませんです。
とらよしさまの書かれた内容に、多いに感じるところが有って、何かをお伝えしたくなったのです。
ただ、書き始めたら、自分が一体何をかきたかったのか、自分で訳が分からなくなって、ダラダラとりとめも無くかいて行くうちに、こんな風になってしまいました。
「一体何を言いたいんだ!ブログ荒らしかい!」と言われてしまいそうで、心配でした。
私は『クリスチャン』では有りませんが、現代のカトリック教会は嫌いでは有りません。
かつては、組織の上層部は王侯貴族であって、権謀術数に明け暮れるのみ。
現場は、熱心に私心なく打ち込んでいても、世界の現実を知らないケースが多かったようです。
今は(恐らくヨハネ・パウロ2世から?)真摯に世界平和の為に貢献したいと願っている気風が感じられます。
いずれにせよ、世界のどこかで何か天変地異や大事件が起こると、即献金活動を始めたりする、世界の民衆に密着している様子は、好ましい物が有ります。
有る意味で「金万国家ニッポン」が、ダルフールの難民の子供達や、スーダンの餓えに苦しむ子供達や、パレスティナの難民達に、常に<援助>を惜しまない活動を繰り広げる、なんて事は有りませんから。
かつての教団が、「トップは王侯貴族、現場は熱心」な様子は、有る意味で『グリーン・ピース』と似ていない事も無い?
ガリレオを認め、ダーウインを認めたあたりから、バチカンも変わって来ましたね。
日本人のバチカン付き枢機卿であった『浜尾大司教』さまも、良い人でした。
日本の宗教は、今や<本来の存在意義>を失っている様に見受けられます。
コメントありがとうございます。
>「一体何を言いたいんだ!ブログ荒らしかい!」と言われてしまいそうで、心配でした。
そんな心配など、全く無用です。
どう伝えようかとぐだぐだ考えていたことを、ズバリを言ってくださって、本当に私も学ばせていただきましたし、何よりスッキリしました!
私自身、すべてのキリスト教徒が横暴で欺瞞に満ちているとは思っていません。私が通っていた、イエスと聖書の原点回帰派の教会(彼らは無宗派と言ってました)が、実は傲慢で排他的で、それゆえに離れていった信者がイエスの教義も捨てて誹謗中傷するの様を思い出して、今更ながらやりきれなくなったんです。
どこかの政治家を見ているうちに(笑)。
現代のカソリック系の教会の弱者救済の態度は、私も素晴らしいと思います。
ただ、装飾が豪奢な教会を見るにつけ、私には偶像崇拝のように思えて、受け付けられないんです。
一介の建築家や画家の、信仰の表出として成ったものなのかもしれないのですけどね。。。
キリスト教とダーウィンの「進化論」については、物議を醸しましたね~。
けれど、もともと実態の無い神なのですから、何が問題なのか、今もって私には全く理解できませんです。
別にアダムとイブが猿でもいいじゃん。。。そんな感じです(笑)。
15年前の職場が
所長・・医師免許を持ってる天才肌
次長・・上昇志向丸出しのガリガリ亡者
この二人ともがクリスチャン(宗派は知らんが)で、ものすごく仲が悪かった。
下っ端の私どもはいつも間に挟まれ、迷惑千万!!隣の女性(一応部下)曰く「右の頬を打たれれば、左の頬を打つべし!!打つべしだよね。」(あしたのジョーだ)
結局なぜか所長のほうが、「会社に絶望した。」と捨て台詞を残し、退職して「聖書学院」というところへ行ってしまった。
貧しい我々にパンならぬラーメン一杯も分け与えずにです。
変な時期の突然の異動に、迷惑だけを被った下々は口々に「自己満神父誕生」と悪口を言い。次長は勝名乗りをあげました。
二人の共通点といえば「とにかく堅い」
飲み会で前述の女性に「生涯一穴主義!!セイショの記述にあるのだ!!」と言ったら・・・・。
ついでに言えば、私は革命家に興味はありません!!
「生涯ノホホン主義者」ですから。
妻にも「細かいことは気にせずノホホンと生きよう」と常に言っております。
革命など起こされたら、お昼寝の邪魔です。
コメントありがとうございます。
>」飲み会で前述の女性に「生涯一穴主義!!セイショの記述にあるのだ!!」と言ったら・・・・。
「時代遅れっ!」っとばかりに「叩けっ、叩けっ、叩けぇ~っ!」っと殴られましたか?
(これもあしたのジョー、、、それとも下手なゴルフ???)
本土には随分前から、文房具の26穴のバインダーとかパンチがあるよ。
定義として、「世の中を変える」のが革命なのだとしたら、KOIZUMI・TAKENAKAも革命家に違いありません。
こいつらのおかげで、製造業でもってる愛知県の「非正規社員切り」はダントツです。
変えないといけない。
イエスみたく(よっ!いい男!)、誰も殺さない革命を望みます。^^
「赤と黒の縦じま」のジャガイモが出てきたけれども、どうせ皮は捨てられちゃうから(剥かれちゃうし)、味は変わらないんだよね。
「煮ても焼いても食えない」ガハハ・・・。
そういえば、千葉のI市に住んでいたとき、サッカーチームに北海道から牧師一家が越してきて、たぶんアワビさんが通っただろう教会に赴任されました。その教え子は、北海道ではスケートでは有望選手だったらしく、足の速い子供だったなぁ・・・。
牧師さん?の奥様にもご挨拶しました。
将来有望だったスケートには未練は無いのですかと聞けば・・・当時流行りだした「スラップスケート靴」高かったのにもったいないなぁ・・・と言うくらいです・・・と聞いた。
なんと小学生の子供が20万円位するスケート靴はいていたんですね。
そりゃ、もったいないわなぁ・・・。
ハスカップ・・・って、あれは春先だっけ?ブルーベリーよりも少し酸味があるけれども美味しいよね?
ありゃ?場違いな御邪魔虫だったかしら???
コメントありがとうございます。
赤と黒のジャガイモに食われそうなところを、助けていただきありがとうございます(爆)。
>たぶんアワビさんが通っただろう教会
束の間、千葉の市川市に住んではいましたが、私が通っていたのは代々木八幡の教会です。バレちゃうけどいいや(笑)。
私が通っていた頃は、戦前に建てられた古い木造の小さな教会で、白壁に赤い屋根。
200人も入ればいっぱいの小さな礼拝堂でした。
木製のベンチタイプの椅子が並んでいて、床から磨き油の匂いがする、簡素な教会でした。
諸々の理由で、通うことを止めましたが、その後すぐに、この愛らしい教会は3億円という巨額を投じて、再建されました。
木村拓也が出演していた、月9ドラマの「交響曲」とドラマでも使われたらしいです。
牧師夫妻は大喜びしてたらしいです。。。バカバカしいね、まったく。
それを目の当たりにした信者はさ、唖然として怒るわけだ。
「献金の無駄遣い!」ってね。
カリスマ的牧師夫妻でしたが、教会の収支報告(これがホントに酷かった!)を怠って糾弾され、呆れた実態が明るみに出たとたん、信仰を捨てて逃げました。
教会を去ったものの、そんな話を聞くとやるせなくって脱力したけれど、もっと落胆したのは、これを機に、熱心だった信者が、教会と牧師夫妻と聖書バッシングにまわったことです。
人の心の変わり身の素早さを、痛切に感じて、虚しかったな、、、。
牧師さん一家が、I市の教会に赴任されて、そこの息子が私のいるサッカーチームに入部した・・・ということ。
ホントオラは支離滅裂だなぁ・・。
コメ訂正どもっ!
支離滅裂な文だとしても、支離滅裂な者(酔っ払い)が読むと、全く違和感がなく、訂正後の文として、ちゃんと読めちゃうから不思議でありんす(笑)。
弱い者虐めは、人間の習性だからなぁ
好きな女の子の上履きを隠したり、スカートめくったりするんだよな。
アリンコを線香の火や虫眼鏡で炙ったりもする。
カエルの肛門にストロー刺してふくらましたりもするな。
カエルといえば、間違ってほ乳類の世界(J1)に迷い込んだものだから、鯱やら鹿やらにコテンパンに虐められているのだろ!!。
いくら弱い者虐めでも鯱さん鹿さんは地獄には堕ちない。
だけど、カエルはとっくに泥沼に墜ちているな。
まあ、来年泥試合でもしよう。
コメントありがとうございます。
(あれ、横レスになるのかな?)
最近さ、会社の近くにあったイタリアン・カフェが店名変更したんだよね。
TOPE(トペ)って可愛い名前から、RANA(ラーナ)って名前に。
ちなみに、RANAってイタリア語で「蛙」。
とっても美味しいトコなんだけど、メシ屋に「蛙」はどうかとねぇ。
よくランチで利用してます。
なのに、なぜか蛙を虐めてる気分になるのは何故だろう(笑)。
けど、蛙を侮ってはいけません。
ヤツ等(ケロロ軍隊)は、地球侵略を目論んでいるんですからっ!!
人によってはカエルの肛門に爆竹を入れて爆発させる奴もいます。
クリスマスが終わった次に日から年明け5日ぐらいまで、
繁華街で拡声機から流れる聖書が不愉快で毎年腹が立ちますし、
街のふいんきを壊すので止めてもらいたいです。
「誰もいない山の中ならOKですが」
コメントありがとうございます。
男子は誰でも、蛙を弄んだ記憶があるのかな。
田舎の川や田んぼで、蛙を捕まえては土手の壁(コンクリート)に投げたり、表面のぬめりを拭い、変わりにワセリンを塗って笑っている男子をよく見かけ、その度にドン引きしてました。
>繁華街で拡声機から流れる聖書が不愉快で毎年腹が立ちますし
拡声機で何事かを言いながら繁華街をまわるのは、聖書もそうですが、それ以外の内容でも腹が立ちますって!
人の迷惑を考えない者など、イエスを語る資格などありまっせん。
あれって、はっきり言って何をいいたいのか主張が伝わってこないんですよ。
右翼と同じデス。
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