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2ヶ月ほど前のある日、会社の電話をとったら

「あのぅ、住所変更の連絡なんですが、こちらでいいですか?」

礼儀正しい青年の声が聞こえてきました。
こういう場合のほとんどが、ファンクラブ会員さんが転居したための連絡です。

ファンクラブの会員番号・氏名・本人確認のための生年月日を問い、新しい住所地の郵便番号を聞き検索したところ「宮城県石巻市○○」との答えが返ってきました。
石巻市かぁ。。。
その後に続く地名を聞き、電話番号も変わったのか、既に転居したのかを聞き、普段であれば「ご連絡ありがとうございました」と受話器を置くところなのですが、この時ばかりは思わずこちらから話しかけてしまいました。

「石巻は大変な被害だったと聞いていますが、大丈夫でしたか?もう落ち着かれましたか?」

「はい、私はなんとか助かったんですが、家が流されちゃって。ははは。もっと前から実家に世話になっているんですが、連絡が遅くなってすみません。」

明るい口調で、そんな答えが返ってきました。受話器越しの知らない者に対しても丁寧に話してくれる人は激減したと感じている昨今だけに、声が震え同時に視界もぼやけてしまいまいました。
昨年、とある場で出会った大学生のことを思い出しました。姓は岩手県の風雅な都市名と同じなんだけれど、出身は宮城県と言っていたっけ。

「ストイコビッチ以来、名古屋グランパスが大好きなんです。あ、もちろん今はベガルタが一番ですけどね!」

そう言っていた彼はどうしているだろう。。。

前置きが長くなってしまいましたが、石巻市出身の辺見庸氏による、タイトルの本書について。
再読でした。初めて読んだのは数年前ですが、「もの食う人々」に打たれ、何でもいいから辺見さんの本が読みたいと思って手に取ったのが「赤い橋の下のぬるい水」。
こりゃ順番間違えた(笑)!
正直に告白すれば、初めて読んだ時は甚だ荒唐無稽なエロスしか感じられなくて面食らいました@@。
しかし、、、辺見さんのその後の著書の中には、「赤い橋の・・・」の中にも出てくる「汽水」という表現が何度も出てきます。詩集の「生首」にも、「水の透視画法」にも。

「汽水」という言葉が出てくる度に、「赤い橋の下のぬるい水」を思い、一体辺見さんが表現する「汽水」とは何ぞや?と(自分がエロスと位置づけた概念は忘れて)再考しようと思いました。

「汽水」とは、河口で海水と河水と混ざりあった水のこと。
作中のヒロインが語るところによるろ、相対的な水が交わる「汽水」の領域で生きて行ける生物は、限られているらしいけど、事実はどうなのでしょう。
大海へ淡水が注ぐ河口では、多様な生物が集まり豊かな漁場だというのが私の認識だったのだけど。

辺見さんは、「汽水」という言葉で現世(うつしよ)を表現したのでしょう。
互いの長所を生かし取り入れるのではなく、短所を罵り殺し合いながら混じり澱む領域。
何も日本における政治だけでなく、商業も産業もそう、世界各国のソレも同じ。

もはやソレは淡水でもなく海水でもないため、淡水生物も海水生物も生きられなくなる領域に広がる水。
思想・文化・人種・風習・流行・地域・国籍、、、職業においても澱んだ汽水が拡大しつつあるように思います。
相対的なモノがぶつかり合い、対抗するのではなく、互いに交じり合うことによって得体の知れないものとなる事象。
有機物過多な生活排水まで注ぎ込み、環境に適した生物だけが生き延びることを許されるに至ったのかもしれない、などと考えてしまいました。
右が左になり、左が右になり、強はさらに強になり、弱はさらに弱になり、男は女になり、女は男になり
昨日まで頂いていたものが今日には地に堕ち、猥雑の度合いを増していくその混沌の根源が「汽水」。
ごくありふれた、刺激の少ない日本特有のカオスというところでしょうか。



この小説が翻訳され、英語圏でも読まれるようになったそうです。
英語のタイトルは「Gush」。
このタイトルを見て作中のヒロインの生理現象だとすぐに理解したけれど、「汽水」とどう関連してくるのかが難題でした、、、。
そういえば、女にも汽水があるね。「○キー○線」とか「バ○トリ○線」とか。
もちろん辺見さんはそれを承知しておられたのでしょう。
女性の「汽水」を考えると男女の性の深淵に少し触れたように思います。ええ、少しだけ。

もっと掘り下げて読み込まなくては、この作品はわかりにくい。
わかったとしても、この小説の感想を赤裸々に書くのには抵抗を感じます。
それだけで自分にも、間違いなく水が溜まると思います(笑)。

ヒロインのそれまでの苦痛が解消された時、それを望んでいたはずの男は大いに落胆してしまい、二人は別れることになるのだけれど、これもまた「汽水」の仕業なのでしょうかね。

「水は、私という器のなかの恥だった。あなたは、恥だけを愛して、恥を抱えている器そのものは愛せなかった。」

読後は虚無感に襲われたけれど、それもまた辺見さんのメッセージなのでしょう。
こんな時代だからこそ、まずは一人を真剣に見つめ、理解し、そして、、、。

この小説の感想を赤裸々に情熱的に書けたら、どんなにかっこいいだろう。。。
私がしめくるる感想は、こんな言葉になってしまいました。

かっこ悪いな(笑)。
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天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くときに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

伝道者の書 : 3章1-8節
 
わたくしごとですが、先日夏休みの子供向けイベントのお手伝いで、名古屋市科学館に行ってきました。
新設されたプラネタリウムの体験と鯱さんチームのホームゲーム観戦をセットにしたコラボ企画。
プラネタリウムなんて、20年以上前に、東京の渋谷だかどっかで観て以来。
イベント終了後にご好意で観せていただきました。

「真夏の今日の星の配置、、、(名古屋上空では)こんな感じです。夏の大三角形が夜8時くらいにははっきりと見えますよ。今年は節電の効果もあり、例年より星が綺麗に見えます。」

最近のプラネタリウムって凄いのね。
半球状の空間を数十分割したCG画像で埋め、超リアルなバーチャル宇宙体験が出来ました。

「今、私たちが居るのは、名古屋市のココ。人工衛星からの映像です。せっかくだからちょっと飛び出してみましょう、、、名古屋市、愛知県、日本、アジア、、、もっと飛び出してみると、青くて丸い地球です。」

「太陽系を旅してみましょう、、、水星、金星、地球、木星、火星、それぞれの色が違いますね、それぞれの星の運動を観てみましょう。一見バラバラに見えますが、それぞれの星の軌道をを観るととても規則的なんです。」

「次は太陽系から銀河系に飛び出してみましょう。。。太陽系が遠くなりました、もっと遠くに行ってみましょう。あ、どこかでビッグバンがおこったようですネ。」

いかにも、子供達に宇宙の神秘を教えるのが大好きって役所のオジサンが、朴訥ではあるけれど親しみのある口調でナレーションをしていました。MC的なキンキン声の若い女性でなくて良かったと思います。

この銀河系の彼方からは地球など、あまたの星くずの一つに過ぎないのに、そのちっぽけな星にはあまたの国があって紛争がおこり、天災がおこり、新たな争いを生み、金に群がり、権力に群がり、放射線被害よりももっと深刻な負のエネルギーが満ちているのが滑稽。
地球外の遥か彼方から俯瞰して観ている者があるとすれば、無数の星のひとつに過ぎない地球で起こっている紛争や天災など、くしゃみどころか、欠伸か瞬きなのかもしれない。

近しい愛する者を失った人に対し同じ喪失感を味わった者として、「どうか力を落とさないように」と、元気の出る言葉とか、慰めになる言葉とか、そんな気の効いた言葉を贈りたいと思ってたけど、私にはやっぱり無理みたい。
力を落とさないためにも、どうか大切な人を今まで以上に愛しみ、慕い、学び、語り、敬ってください。
それがこれからも「共に生きる」ってことだと思うし、喪失からの脱却だと思うから。

9月8日は私の養父の命日でした。
ここ数年、お盆にも命日にも秋のお彼岸にもお墓参りできてなくて心苦しいんだけど、最近養父のことを思ってる時は、ほっこり癒されるようになりました。

くしゃみやら欠伸を繰り返しているうちに、また嫌でも会えますよ。^^


 


お父様を亡くされた国民さんも、お母様を亡くされたkappaさんも、生前慕われた方と、どうか、どうか、どうか、、、これからも変わらずに仲良くお過ごしください。
久しぶりにNHKの9時のニュースを見ました。
何時からか、冒頭の「NEWS9です」の常套句が「ニュース無いんです。。。」と聞こえるようになったので、ほとんど視聴していなかったのだけど。
久しぶりに観た番組で印象に残った情報を二つ、雑感として書き留めておきます。

一つは、宮城県のとある小学校のはなし。
震災から半年、家を無くし、家族・親戚・友達を亡くし、心に深い痛みを負った子供達の傷に触れ始めた教師の試みのこと。
「学びやとして、どんな学校に通いたい?」
との教師が問い、理想の学校のイメージを絵に描かせたところ、ほとんどの子供達が「海に浮かんで流されない学校」を描いていました。海と共にある生活(学校)を望んでいました。

あれほどの恐怖体験をしたものの、失ったものが多かったものの、故郷の海を恨むどころか、その場所でまた共に生きて生きたいという夢を描けるってことは、故郷の海無しの生活など考えられないほど親密で回帰となる場所ということでしょう。
この反応には教師の方が驚いたとのことです。
自分が小学生だった頃はどうだっただろうと考え込まずにはいられませんでした。

忘れられない場所、一時離れてはみてもいつか帰る場所、、、故郷とはそんな場所なのだと気づかされ、幼い子供達にその想いがしっかり刻まれていることに感動し、不覚にも涙がでてきました(ニュース無いんですごときに・笑)。

横目で見ていたから詳しいことは覚えていないのだけど、確か山田町の小学校だったかと。
NHKのアナウンサー大越氏が、山田町の小学校の校長先生にいくつか質問をしておりました。

大越氏 「この大災害を克服するために・・・云々」

その質問に

校長先生 「克服と言うより乗り越えるためにできること・・・云々」

と、確かに歯切れの悪い(テレビニーズでは無い)答えを返しておりましたので、大越氏のような人には「イラッ」としたでしょうね(笑)。
地方の小学校教師で、特に年配の方とか女性なんかは、公共の電波に乗るようなインタビューに対しても、幼い教え子に語るような口調で話すことが多いように思います。
でもあれは、端から大越氏を相手に語っているのではなく、電波を通して被災地の子供達に語りかけていたから、敢えて「克服」という言葉をわかりやすいように「乗り越える」と言い換えたんじゃないかな。
素敵な校長先生だと思いました。母校の校長先生を思い出し、なんだか懐かしくて嬉しい気持ちになりました。

もう一つは、陸前高田の学生(中・高生?)が主体となって復興のための提案を自治体の人々にプレゼンするシーン。
画面で一瞬だけ切り取られたある語句に驚いてしまいました。
プレゼン用の掲出紙には、こう書かれていました。決して見間違いではないと思うのだけど。

「Save the hope (for) TAKATA」

カッコ書きした「for」はありませんでした。

「The hope (to) save TAKATA」

なら納得するのだけど。

前者は「高田の希望を守れ」或いは「高田の希望を救え」
後者は「高田を救う(守る)希望」

Take the hope (for) TAKATA

なら解せるのだけど、中学・高校生の単純な間違いなのでしょうか、あるいは東北地方の復興を阻む者への精一杯の皮肉(抗議)だったのでしょうか?
ただ単に、私の目の錯覚だったのかなぁ。。。Saveの意味はもっと広範で、やっぱり私の無知ってことに落ち着くのかなぁ。。。


☆お知らせ☆
永らくブログを放ったらかしにしておりました。変わらずご訪問くださった方々には申し訳なく思ってます。
ご無沙汰している間も何度も書こうとしていたのですが、書こうとすることすべてが負のエネルギーに満ちておりまして、ずっとクールダウンしてました(笑)。
おかげで益々、「どんだけ~っ!」 飲んでも酔わなくなりました。

ウル「トラ」星人に乾杯!(笑)

☆14番目のお月様より☆
例えば100年後、3.11の大震災となでしこジャパンW杯優勝と、どちらが色濃い記録として残っているだろう。
わたしは、後者の方ではないかと思う。
今後、ナショナリズムに拍車をかけながら「W杯優勝」の誇りは色褪せることが無いのではないか。
なでしこの選手・スタッフだけが持てる「誇り」を、日本人全体の「誇り」とする風潮がとても奇妙に映る。
蹴球界では、男女ともに五輪予選・W杯予選で負けなし。
それは凄いことなのだけれど、既視的な闘いに擬えるのは不謹慎だろうか。。。

一方で絶対に忘れずに後世に正確に伝えなくてはならないのが、2011年に起こった自然災害と原発人災の政府初動と復旧・復興対策なのだけれど、3.11から半年経って、仕事も家も家族も失った人々に対する政府・東電による補償や職業支援も聞かれない。
新内閣が組閣されたけれど、身内の好き嫌いでほぼ毎年首相が変わるなんて、どうかしてる。
明日、というより今後の生活の目途が立たないまま、放り出された人々を尻目に、よくも権力にしがみつけるもんだ。
しっかし、これだけ権力志向しかない者達ばかりなのに、「どじょう」やら「金魚」程度の比喩で、内閣の支持率が上がっちゃうなんて、「馬っ鹿みたい」としか思わないのだけど。
野田政権なんてどうせ短命に決まってる。
福島第一が燃え続ける限り、誰も責任を負わないで済むように舵取りをしながら国民が忘れることを期待しているように思えてならない。
3.11の大震災は、100年後の人々の記憶に無くなるとともに、記録からもその甚大さが窺えなくなるのではないかと、ただただやりきれない気持ちになる。
まったく、毎日毎日、テレビをつけても新聞を広げても、気が滅入るばかり。
菅さんがやっとお辞めになる気になったらしい。。。わかんないけど。

んで、ポスト菅ってーのが、次。

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     鹿野道彦

     野田佳彦
 
小沢一

だってさ。

大笑いしたいところだけど、背筋が寒くなる。
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