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会社がちょっと落ち着いてきて気分的に余裕が出来たので、久しぶりに友人に連絡をとり家にお邪魔してきました。
その友人の娘(5歳)に熱烈歓迎を受け本気でいじくりまわして遊びまくりました。
寝技、足技、追いかけっこ、、、「全く、何やってるんだろ>わたくし」などと自問することなど、全くございませんで、「素」になっちまいました(笑)。
中でもその娘が気に入ったのが、「この色なぁに?この色と同じ物は何処にある?」ってゲーム。

走り回って部屋の中にある同じ色のものを、どちらが早く見つけられるかの競争。
いい歳して、本気で遊んじまったぃ。
子供は一度嵌ると、いい加減しつこいくらい続くので、時に辟易するんだけど、その日はこの私も飽きることなく。。。ははは。
「黄色」探しをしている時に、その娘が、ディズニー仕様の絵本の表紙にあった「白雪姫」のドレスを指差し得意気に笑う。
それを期に、なんとなく疲れて眠くなったのか、「絵本を読んで」と甘えてくる。
可愛いなぁ。。。

本棚を覗きどれがいいかと物色していたのだけど、ま、どれもきっと何度もママに読んでもらっているものだろう。
ここはひとつ、この本棚には無い話をしようと思い、セレクトしたのが私が一番好きな童話でクリスマスを間近に控えた今の時期にもぴったり。

小人と靴屋

床に二人で寝そべって話を始めると、その娘にとっては初めて聞くお話だったようでパクパク食いついてきました。

「なんで真面目に働いているのに貧乏になっちゃったの?」

真摯な問いだ。
どう答えれば良いのだろう。。。

◆小さな田舎の靴屋さんには、あんまり沢山の靴は置いてないよね。デパートの方が沢山の靴が置いてあるし、好みの靴も見つかり易いから、みんなデパートに行くようになっちゃったのかもね・・・(これなら少しは解ってくれるかな)

◆手作りの靴は高いからね・・・(こんな答えは5歳の子に理解できるだろうか)

◆おじいさんは、いい靴が作れても流行を取り入れることが出来なかったのかもね・・・(この答えも5歳の子に理解できるだろうか)

◆来るべき不況に、きちんとした対抗策を練っていなかったからかもね・・・(いやいや、真面目な靴屋なんだし、こんな理論は子供には解るわけあるめぇ)

◆規制緩和によって量販店がメインストリートに増えすぎちゃったから、国政とか地方都市改革の有り方にも問題があったんだよね・・・(言わないでおこう)

子供の質問ほど真摯で根源的なものは無い。
答え難いものはない。

メディアに登場しまくってる賢い知識人さんは、自分も賢いと思いたがっている多くの大人を欺くことは容易いだろうけど、5歳児を納得させることが出来るだろうか。

「なんで真面目に働いているのに貧乏になっちゃったの?」

この幼子の問いが普遍なんだと思う。

この「小人と靴屋」の話をこの娘に聞かせながら、なぜこの話が好きだったのか、そこに何を感じていたのかを思い返しました。

そうだ、アタシは基本的にハッピーエンドが好きなんだ!

クリスマスに因んだ有名な童話として、「フランダースの犬」とか「マッチ売りの少女」とかがあるけど、どちらも貧困と寒さのうちに主人公である幼子が死んでしまう。
「小人と靴屋」は、貧しい靴屋さんも、裸の小人もどちらも結末ではハッピーになりました。
これを、winwinというのだろうね。(この軽い言葉もあまり好きにはなれないのだけど)

幼子の問いに、改めてこの童話を考えてみたのだけど、この真面目な靴屋の老夫婦に欠けていたものを、今になって無理やり探してみるなら、それは労使関係じゃないかなぁ、、、なんてね。

貧しい老夫婦は、そりゃ真面目だったことでしょう。
けれど、裸の小人達が夜を徹して靴作りに励んでいることには気づきませんでした。
誰が靴を作っているかを、知ろうともしませんでした。
生活に余裕を感じ、初めて「一体誰が働いてくれているんだろう」と真剣にその正体を突き止めようとしたわけです。

そして裸の小人達が一生懸命素晴らしい靴を作っていることを知ったわけ。

次の夜、クツ屋はクツの皮の代わりに、おかみさんがぬった小さなシャツとズボンとチョッキと、クツ屋がつくった小さなクツとクツ下を二人分置いておきました。
すると小人たちは大喜びで服を着て、そこら中を飛びはねながら歌いました。
♪これで、ぼくらは可愛い小人。
♪もう、クツ屋じゃ、なくなった。

利益再分配

裸の小人は、昨今の非正規労働者。
やっと、地味で目立たぬ、陰ながらの労働に対する対価が支払われ、みずぼらしい小人が可愛い小人(不当就労させられている労働者が人間)として認めてくれたことを喜んだのではないかなぁ。
素晴らしい靴を作り続けた小人が居なくなっても、なぜこの靴屋が繁盛したのか、、、それは小人達の口コミですよ、きっと。うん。




この「小人と靴屋」、小学校2年生の時の学芸会で我がクラスの演目でした。
幼馴染で仲良しだったタケオくんは、優秀だったので主人公の靴屋のおじいさん役。
私はといえば、おじいさん役のタケオくんが靴を縫う場面で、お歌を歌う小人1役(笑)。

その時の歌も、何故か未だに覚えてる。

一針(ひとはり)すーい 二針(ふたはり)すい
丈夫で素敵な靴作ろ
三針(みはり)目 固いぞ やーれすいすい
丈夫で素敵な靴作ろぅ

30年以上昔の田舎の小学校、クラスの半分は商売人の子で、4分の1が専業&兼業農家の子、残りの4分の1がサラリーマン家庭といった具合。
自分の親の働く姿を見ている子が多かったように思います。

この演目を共に演じた中で、とりわけ仲の良かった友達が靴屋の女の子でした。

私が生まれ育った田舎町に、今や(個人の)靴屋専門店は一件もありません。
いまどきそんなことは珍しくも何ともない現象になりつつあるけど、やっぱりちょっと寂しい。。。
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初めて聞いたKenny Gの曲は、当時アメリカで放映されていたドラマの挿入歌だったけど、初めて買った彼のCDの最初の曲がこれ。

チリの落盤事故で地下に閉じ込められていた33人が、70日ぶりに地上へ。
つまり、全員救出されたわけで、この快挙に言いようのない喜びと感謝が湧き上がります。
最初に救出された作業員が地上に現れた時、彼の幼い子供が泣きながら駆け寄り、その小さな身体をがっちり受け止めた映像に、この曲が脳裏に浮かびました。

生きる喜び。

事故が起こったのは8月、実は全員の生存は絶望的だと思っていましたので、この事故の後の報道については耳を塞ぎ、目を瞑っていました。
嗚呼、私の信仰の何と浮薄なことよ。
本当に、久しぶりのグッドニュース。

チリ、いいね。
大統領が一介の市民のために泣いて喜んでくれるなんて、抱擁し長く言葉を交わすなんて、残念ながら今の日本では考えられない。

そんな救出劇に釘付けになりながら思ったことがあります。
つい先日、立て続けに名の知れた二人の方の講演会に参加してきました。
一人は貧困問題に取り組み、今は内閣の参与となっている湯浅誠氏。
もう一人は、北朝鮮拉致被害者の関係者で、今年の3月まで家族会の代表だった蓮池透氏。

今回の救出劇を追いながら、その蓮池透氏の講演を思いました。
北朝鮮が日本人拉致を認めて8年、5名生存、8名死亡という事実(?)が発表されました。
誰もが嘘臭いと思うでしょうけれど、「5名生存、8名死亡」という北朝鮮の謝罪を受けて、2002年9月17日、日朝平壌宣言が成されたのだ。
つまり、両国政府が、「これで拉致問題にピリオドを打つ」と約束したわけ。
そう、この宣言の下では、拉致問題は両国で既に解決してるのだ。
この点においては、北朝鮮は決して嘘はついていないのだ。
そんなことくらい、家族会や右側の人々は承知してるハズなのに、未だに北朝鮮を批判し「経済制裁を!」などと言っているけど、なぜKOIZUMIを批判しないのか理解不能。

拉致問題解決のための方法を模索するために、「拉致問題対策本部」なる政府機関が設けられたのだけど、何をやってるのだか。

この団体の第一の目的は、拉致問題の認知度を高めるための啓蒙活動ですって。
ブルーリボンの普及と、拉致された少女の描いたアニメや映画製作。
その崇高な啓蒙活動が評価され、今年度は昨年より倍の予算(6億→12億)を与えられたとか。
それで思い出話をするためだけに、金賢姫さん招致が実現できました。よかったよかった。www

蓮池透さんのこと、実は嫌いでした。
「北朝鮮への制裁のためなら、何でもしてやる」というような態度が、鋭利な刃物のようで。

けれど、実際にお会いしてみると、印象が違っていました。
顔つきが随分と柔和になり、疲れている様子。
話し方も、クールに論点だけを主張するのではなく、何気ない世間話をしているような形で進みました。

彼がしきりに訴えていたのは、「問題解決のためには、まず現実的にならなければいけない」ということ。

守る会や家族会は、「北朝鮮が謝罪するまで経済制裁を続けるべき」と頑迷に主張していますが、かの国は、「日本に謝罪するつもりなどない、そんなことをするくらいなら死んだほうがいい」と給うとか。

強気だなぁ、、、とは思うけど、確かに平壌宣言でこの問題は両国間で解決したはずなので、確かにそれ以上謝罪する必要はないよね。
歴史を遡れば、尚更謝罪する気にはなれないよね。

チリの救出劇を見ながら、拉致問題が発覚して8年もの間、何も出来ない日本政府の外交力に脱力してしまう。
アメリカ人女性ジャーナリストが2人、かの地で拘束されたことがありましたが、速やかに解放されました。
その裏には、あの厚顔不遜のアメリカでさえ、必要とあれば密かに頭を下げる外交を知っているのだ。

蓮池氏の講演については、これとは別に改めてアップしようと思います。
最近無気力なので、何時になるかわからないけど。。。




日本史に滅法詳しい整体師の友人がおりまして、以前、こんなクイズを出されたことがあります。

「日本の、三大原っぱの戦いを挙げよ」

というもの。

うーん、関ヶ原でしょ、戦場ヶ原でしょ、、、うーん、あと一つ?あったっけ?何だっけ?
と大真面目にに考えたんだけど全く思いつかない。

ちぇっ、っとばかりに「参りました、お教えください。ははー。」

と降参したら。

「吉原。女の激戦場。」

っとキタもんだ。

脱力。答えを聞いて思わず大笑いしちゃったんだけど、確かに激戦場だったろうなぁ。
その頃は、浄閑寺のことも知らなかった。

そんな遊び心たっぷりの整体師から、久しぶりにメールが届き、

「初恋の人から手紙が届くらしいよ、やってみそ。」

なんて紹介されたのがこれ
 
直感でちゃっちゃと答えていったら、やがて手紙が届いた。

それがこれ

http://letter.hanihoh.com/r/?k=10073057944c5261d81646b

初めは大爆笑したものの、読み返してみたら、なんだかリアルで不愉快になってきた。
うーむ、全然シャレになってないかも。。。

どうでもいい反論を。

>そろそろ顔だけで男を選ぶのはやめて(笑)

たまたまそういう人が近づいてくるだけのことです。

>またいつか会いましょう。

やめておきましょう。

>うちに黒魔術の本を忘れていったよね?そのまま持っているので返します。

私のではありませんが、その技なら、非常時には使用出来る域に達していると思うので要りません。



ってなわけで、不本意で不愉快な手紙が届くかもしれませんが、お試しあれ(笑)

 ノセられた私が言うのもなんだけど、整体師、相当暇とみえる。。。

私生活で特別嫌なことがあったわけでもないのに空疎感を味わっていたけれど、今日は殊更に虚しい。
また選挙だ。
嘘ばかりを並べていた一国の最高責任者が辞任は当然だけど、何時になれば、国民第一の世の中になるのか、先が見えないから空疎になるのだ。
参院選で、社民が勝とうが、民主が勝とうが、また「何も変わらないのではないか」という疑いが晴れない、信じることが出来ないから虚しい。

目を上げると、乾いた砂の世界があって、こちらもどんどん乾いていく。
だから内側へ、更に内側へと向かっていくけれど、所詮アタシの心にも潤いが無い。
せめて、湿気のある曲や本を欲するけれど、狭い領域でしか生きていない者には、ジャストなものにありつけない。

結局いつもの信頼に値する少しばかりの本を手に取り、自分に水をやっている。

先週末、久しぶりに友人と食事に出かけた。
あまり気乗りはしなかったけれど、内側に向かい過ぎてもいけないと思ったし、この地方では有名なベトナム料理のお店へ繰り出すと聞いて、行ってみる気になった。

本格的なベトナム料理は初めてなので、そのお店の料理が美味しいのか美味しくないのかは判断できない。
友人は「美味しい、美味しい」と言って絶賛していたけれど。

私はそうは思わなかった。

皆、薄っぺらな嘘の味のような気がした。
上品な、ベトナム風の日本の味。

タイ料理にも使用される香草が、ベトナム料理にもふんだんに使われているはずなのに、全くパンチがない。
他の野菜の香りも味もそっけない。
そんな薄っぺらな料理に、これだけは本場の強烈なヌクマム(魚醤)をつけて食べろと言うのだから、生臭くて仕方なかった。

別にアタシはグルメでもなんでもない。
食事には頓着しない。

けれど、嘘くさいのは嫌だ。

ベトナムで強烈なヌクマムが珍重されるのは、野菜の味がヌクマムに劣らないほどに強烈な香りと旨みがあるからだろう。
個性を剥ぎ取られたようなお上品な、日本のお野菜に、合うわけあるめぇ。

美味しそうに食べる友人は、きっと本当に美味しいと思っているのだろう。
きっと悪くもないし、間違ってもいないと思うのだけど、、、湿気を帯びた楽しい時間になるかと思いきや、やっぱり私は乾いて内側へ向かってしまったよ。
 

まぁ、なんだ、、、人は誰でも悩みの一つや二つは抱えてるよね。
他人から見れば、取るに足らないことだとしても、悩む本人には深刻だったりする。
けどさ、忘れてはいけない過去の過ちに囚われ過ぎるのもイカんと思うし、間違ってると思うんだ。
それはさ、ぱーるぴあすさんが言っていた、「未来の自分をつくる」ことが出来ないからね。

元来、アタシはものすごいお気楽人間で、悩みなど抱えることが大嫌い。
そんなもんそこいらに放り出して、快楽だけを求めがちな無責任な人間だと思う。
だから、苦悩の定義が何かさえ忘れてしまったくらいだ。

けれど、葛藤はある。
相反する事象に、掻き毟られるほど苦しむことがある。
これも「悩み」なのかな、、、でも、ちょっと違うような気がするんだ。

「名古屋グランパスで働いています。」

そういうと、凡その人は「おお!」と驚きます。
有名な会社だからだろうか、、、。

けれど、私がそう言う時、罪の告白(confession)そのもののような気がしています。
そう思うようになったのは、去年、辺見庸さんの「しのびよる破局」という書籍が発売され、読んでみてから。

p58にこんなことが書いてあります。

たとえば、愛知県に世界でも有数の自動車工場がる。あそこの減産でどんどん派遣労働者たちのクビが切られて、関連企業をふくめれば膨大な人たちが解雇されている。そのただなかでもその企業は、何億円もするようなテレビCMを断じてやめない。それをだれも不思議だとはおもわない。あるいは、大きなサッカー大会のスポンサーからもおりもしない。労働者たちのクビ切りは、一方で冷酷に強行される。商品の宣伝は絶対におろさない。「それは当たり前じゃないですか」と今の若い人たちにいわれるかもしれない。でもぼくは当たり前だとはおもわない。

これを読んだ時は衝撃でした。
拙い表現で、派遣切り、ワーキングプアについてブログに書いたりもしたけれど、彼らの労働によって得たお金が、彼らに正しく分配されることはなく、うちのような会社に注がれ、私などはそこから給料を貰っています。
そんな事実にさえ気づかなかった恥ずかしさでいっぱいになりました。

けれど、そこで働くしかない。
上層部がトヨタからの出向者ばかりで、独自の方向性を貫けない体制に、憤りと無力感に苛まれ、最近は少々出社拒否気味なのだけれど、それでも働かないわけにはいかない。

怨嗟を感じることもある。
それでも、ここで働くしかない。
そんな葛藤がある。

kappaさんのところで、サッカーをネタに遊んでもらったことも多々あったけれど、この本を読んでからは、そんな気分になれなくなったという、心境の変化はありました。

おそらく、うちの会社でこんなこと考えるのは、変わり者の私くらいなモンだとおもう。
色んなことを知るにつけ、時には寄る辺のないくらいの感覚に陥ることがあるけれど、知らないほうが良かったとはおもわない。

まったく、何て無様な告白なんだ。
恥ずかしくて滑稽だ。

けど、こんな思いは誰でも一つや二つ抱えているんじゃないのかな。
それで嫌われるならそれでもいい。別に構わない。

本当に素敵な仲間は、笑って見守ってくれる。

そう思うよ。。。隠遁中の誰かさん?


 

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